ピーター・グリーナウェイ監督『英国式庭園殺人事件』

 来年2024年3月にピーター・グリーナウェイ監督の特集上映が開催されるとのこと。楽しみが増えた。そんなわけで、傑作を紹介します。シンメトリーな構図、緑と赤/黒と白の色調、屋外撮影による昼の光と夜の闇のコントラスト、バロック絵画をそのまま持ち込んだような映像体験が得られる『英国式庭園殺人事件』(原題:The Draughtsman’s Contract)です。

 

【あらすじ】

 イングランドの大地主ハーバート氏は屋敷と庭が自慢で、妻のことは蔑ろにしている。屋敷で開いた招待客で賑わうパーティの夜、ハーバート夫人ヴァージニアは、ハーバート氏が執心する庭園の絵を贈って夫の心を取り戻したいと、有名な画家ネヴィル氏に制作を依頼する。夫が家を空ける十二日間に十二枚の絵を描いてほしい。ネヴィル氏はその仕事は退屈そうだ(「本物の庭を持っている方が絵を欲しがるでしょうか」)と渋るが、こちらの条件を呑むのなら引き受けましょうと提案する。

 こうしてネヴィル氏とハーバート夫人の間に契約が結ばれる。曰く、描く場所はネヴィル氏が決める。指定した時間、その場所にだれも立ち入らない。さらに多額の報酬と別に、ネヴィル氏が行う快楽のための要求に夫人は必ず応えなければならない。

 傲慢で、自惚れが強く、上流の人々からの依頼を受けながら彼らを軽蔑し、歯に衣着せぬ言葉で愚弄さえするネヴィル氏は、上流のご婦人を己の欲望の道具にしてサディスティックな悦びを覚えようというのだろう。

 ハーバート家には夫妻の娘サラ、サラの夫のタルマン氏、財産を管理する公証人のノイズ氏が同居している。使用人や召使や客人は大勢いて、また、タルマン氏の幼い甥もドイツから引き取っていた。

 ハーバート氏不在の屋敷にネヴィル氏は逗留し、精力的に絵を描き、精力的に夫人との密会を楽しんだ。あるとき、彼が描いていた景色に異物が紛れ始める。乗馬靴。衣服。梯子。昨日までなかったのは制作中の絵を見れば明らかだ。だれが置いたのだとネヴィル氏は苛立つが、ふと考えを改めてそれらも絵として描き込むことにする。

 やがてタルマン夫人サラが見物に訪れ、絵の中の異物に気付く。彼女は、そのシャツや上着が父のもので、梯子が父の寝室に掛かっていることを指摘し、そのようなものを描いているとあなたの身も危ないのではないか、と忠告する。しかし、ネヴィル氏はますます興味を惹かれる。

 サラは、あなたが母と結んだ契約内容を知っているとネヴィル氏に打ち明け、自分とも同じ契約を結んでくれるように依頼する。ネヴィル氏は戸惑いながらも、サラとも契約を交わすことになる。どうやらタルマン氏とはセックスレスのようだ。ネヴィル氏はサラとの密通も楽しみ、それから戯れに、新たに描き始めた絵に彼女の飼い犬や脱ぎ捨てた彼女の衣服などを描き込んでゆく。

 そして十二枚の絵は完成する。ハーバート氏の帰りを待っていたその日、屋敷の堀でハーバート氏の死体が発見される。

 

※※※

 

 構図と色彩がよく語られる映画だが、実はセリフに含まれている情報量が多いのも特徴だ。その上で、画面構成だけでなくストーリーが緻密に構成されている。セリフに隠された意味は、短いカット割のモンタージュで巧みに強調される。

 物語の軸となるのは、ハーバート家の相続問題である。上流階級の屋敷で主人が殺害される。古典的な相続がらみのミステリなのだが(監督がクリスティ風というのはこのこと)、一見してそうは見えないところが面白い。

 状況を整理すると、現在、ハーバート家には相続人がいない。ハーバート氏が相続人として指名したのは、娘サラの息子だ。つまりハーバート夫妻の孫なのだが、いまのところタルマン夫妻の間には子供がいない。サラの夫タルマン氏に相続権はなく、あくまで彼の息子の後見人という立場である。女性の相続をハーバート氏は端から認めていない。

 ハーバート夫人は控えめな目立たない性格で、夫に抑圧されてきた。ハーバート氏が所有している屋敷や土地はもともと夫人の父の財産で、夫人と結婚してハーバート氏が相続したものだ。

 この辺りの事情は、たとえばオースティン『高慢と偏見』を参照すると分かりやすいかもしれない。こちらは18世紀末と時代が下るが、ベネット氏もジェントリ階級であり、土地を持ち、財産もあり、相続人がいない。ベネット氏の五人の子は全員娘なのだ。ここから相続問題がすなわち結婚問題へと発展する。

 そこで、相続人がいないハーバート家の現状において、当主であるハーバート氏が死ぬとなにが起こるだろうか。第一に考えられることは、遺族が家産を失ってしまう可能性だ。だから、ハーバート氏が現時点で死ぬことによって得をする人間がいるとしたら、かなり大きな殺人の動機となるだろう。

 

 ネヴィル氏が行った契約には常にノイズ氏が立ち会った。当然、契約内容も知っている。ノイズ氏はハーバート氏の親友だったが、一時期はヴァージニアと婚約していた。いまだに夫人に想いを寄せている。ハーバート氏が死ねば、ハーバート氏が持っていた財産(彼が管理しているため正確な数字を知っている)と、彼に奪われたヴァージニアとを手に入れる機会が訪れるだろう。

 未亡人となった夫人がこの屋敷を手放さないためには、だれかと結婚し、その夫に相続させる他ない。ノイズ氏はそう考えるだろうし、当然、それなら自分の番だと考えるに違いない。

 

 相続人がいないのは、まずもってタルマン夫妻に子供がいないからだ。セックスレスなら当然子供はできない。サラは不服だが、タルマン氏はむしろこの状況を作り出したようでもある。タルマン氏はドイツ人だ。故郷から甥っ子を引き取ると、家庭教師や家政婦にもドイツ人を雇った。イギリス風に染まらないようにと自ら教育もする。甥っ子を引き取ったのはなぜか。もしこのままサラに子供ができなければ、この甥っ子を養子に取って家産を相続させられる。ハーバート家をタルマン家にしようと企んでいるようである。

 

 ハーバート氏と親しい大地主たち、シーモアたちにすると、相続人不在のままハーバート氏が死ねば、彼の持っていた屋敷や土地を買収する絶好のチャンスだ。土地所有権を失えば、結局手放す他ないのだ。シーモア氏たちはハーバート家の友人として夫人に援助を申し出るだろう。その場合、ハーバート家の所有地を全て買い上げる交渉も視野に入れているはずだ。

 

 このように複数の人間が、ハーバート氏の死によって利益を得られる立場にいる。彼らには殺人の動機がある。

 それでは逆に、ハーバート氏の死によって損害を被るのはだれだろう? まず考えられるのが、夫人や娘といったハーバート家の女たちだ。彼女たちは住む家さえ失う恐れがある。ハーバート夫人は夫に抑圧されていた。彼女は生まれ育った家や土地に対し、なんの権利も持つことができなかった。それでもハーバート氏を殺害すれば、路頭に迷うことになる。だから、どんな扱いを受けようと我慢したのだ。いまになって夫を殺すことには大きなリスクが伴う。

 別の観点から見て、ハーバート氏は本当に殺されたのだろうか。鞍も奪われ裸馬として帰ってきたハーバート氏の馬は足を怪我していたのだ。単に堀の近くで落馬し、水中に落ちたのかもしれない。

 しかし、画家が絵に描き入れている数々の証拠があった。ハーバート氏が出先へ持参したはずの衣服(胸元が刃物で切り裂かれている)や乗馬靴、寝室に掛けられた梯子(少なくとも女の力では掛けられないほどの重さ)。それらは事故死ではなく殺人を示している。

 やはり男たちのだれかがハーバート氏を殺害し、利益を得ようと企んだ。おそらくそう考えるほうが自然だろう。

 

 

 

※※※ 以下、ネタバレを含みます。※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、こんなふうに書いてみたが、この映画、実際は犯人当てのミステリではないので、犯人は最初から隠されてはいない。ハーバート氏を殺害した犯人は、ハーバート夫人ヴァージニアと娘のサラである。実行犯は庭師のクラーク(赤いパンツの男)だろう。

 夫人がネヴィル氏を雇った理由から考えてみる。もちろん、絵の中にハーバート氏殺害の証拠を描き込ませるためだ。上で見たように、夫人と娘には犯行動機と物証の面からハーバート氏殺しを疑うことは難しいように見える。しかし、確実ではない。確実に自分たちへの疑いを晴らすには、犯人を他に作ればいい。そこで、動機ある者たちへ疑いを向けるための物証を絵の中に描かせた。サラはそれが父の持ち物だと指摘すれば、傲慢なネヴィル氏が調子に乗って描き込み続けると分かっていたのだ。

 とにかく夫人たちにすれば、自分に疑いが向かなければよいので、はっきりと犯人を名指す必要はない。そもそもほぼ全員に動機はあるのだ。

 そうすると、問題はひとつに絞られるだろう。夫人が犯行を計画したと仮定しよう。しかし、なぜ彼女はこの時点で夫の殺害に踏み切ったのか? ハーバート家に相続人がいない状況は全く改善されていない。いまの状況で夫が死ねば、夫人は屋敷も土地も失う恐れがあるだろう。もしもノイズ氏なりだれなりと共謀していたなら分かりやすいが、むしろ夫人は積極的にノイズ氏に罪を着せようとしている。ネヴィル氏にしてもそうだ。現に、ハーバート氏の死を知るや、大地主たちは嬉々として買収に向けての準備を始めようとする。

 

 この謎を解く鍵は、オープニングにある。トーマス・ノイズのキャスト紹介の場面に現れる、August 1694という記述だ。この映画の時代設定が1694年8月というそのままの意味。ノイズ氏の名前の下に日付があるのは契約書を模したためだろう。契約の立会人としてノイズ氏がサインし、その下に日付を書き込んだということだ。

 時代への言及は何度も出てくる。タルマン氏が語る、オレンジ公ウィリアム三世によるアイルランド侵攻もそうだ。

 さらに、タルマン氏が甥を引き取った理由もそうだ。彼の兄が戦死した後、未亡人がカトリックに改宗したからと語られる(このカトリックプロテスタントへの言及も、うがってみれば、当時の王室の混乱のパロディのように読める)。

 1688年~1689年に名誉革命が勃発し、国王ジェイムズ二世が退位させられ、長女メアリー二世と夫のオレンジ公ウィリアム三世(オランダ総督オラニエ公ウィレム三世)が共同統治者として即位する。ウィリアム&メアリー・ピリオドと呼ばれる、イギリス史上で唯一、二人の君主が王位について共同統治した時代である(メアリー二世は1694年死去)。

 ウィリアムとメアリーが即位し、イングランド王はプロテスタントのみと決められる。対して、メアリーの父ジェイムズ二世はカトリックだ。退位後、彼はカトリック国であるアイルランドへ渡って蜂起する。その結果、ウィリアム三世に侵攻されてアイルランドイングランドに征服されてしまう。

 さらにうがった見方をするなら、メアリー二世には王位継承権があったが、その夫のウィリアムは王室の出ではあるが本来なら継承権はなかった。ハーバート夫人は自らをメアリー二世に、ハーバート氏をウィリアム三世になぞらえて考えたことはあっただろうか。他所からきた男に父の家産を奪われた。タルマン氏が甥を使って目論んでいただろう計画も同じものだった。

 いずれにせよ、こうした感情はペルセポネーの神話の引用によって改めて語られるだろう。(後述)

 

 舞台が1694年である意味とはなにか。

 名誉革命によって議会が力を持つようになった。1694年はイングランド銀行が設立された年だが、監督は、同年に女性の所有地管理の権利が議会によって承認されたことに注目した。ハーバート氏と結婚して家も土地も奪われ、虐げられようと屋敷で暮らすためには耐える他なかったヴァージニアには、議会で女性の権利が取り沙汰されたことは、女性の地位が向上する動きと見えただろう。夫がいなくても女が土地を管理できるのなら、これ以上我慢しなくてもいいのだ。だから、彼女は夫殺しに踏み切った。

 それでも法の効力を全面的に信用することはできなかった。大地主たちは慣習の下で生きている。そこでサラがネヴィル氏と契約し、相続人となる子供を作ることにした。ネヴィル氏は真実をなにひとつ知らないまま、女たちに利用されただけだ。彼が果たした役割は、犯罪の隠蔽と種馬だった。

 妊娠したサラにとっては、夫のタルマン氏もネヴィル氏ももう用済みだ。媚を売る必要もない。彼女はオランダ人の庭師を愛人にして自由に生きている。タルマン氏はヴァージニアがそうだったように、今後一生自分の財産を持つことはなく、生活の安定のため離婚することもできず、ハーバート屋敷に居続けることになるだろう。

 

 劇中で、ペルセポネーの物語が二度引用されている。

1)黄泉の国の悪い神ハーデースがペルセポネーを攫った。彼女の母親である女神が嘆き悲しんだので、黄泉の国の神はペルセポネーを母親のもとに帰した。

2)ハーデースはペルセポネーにざくろを贈った。ざくろを食べたせいでペルセポネーは毎年黄泉の国に戻らねばならなくなった。畑と庭の果樹園の女神であるペルセポネーの母親は悲しみに胸を痛めて人間に果物を与えることを拒んだ。庭師たちはざくろの呪いを祓うため温室を作り、年中果物ができるようにした。そうして作ったのがざくろだった。「因果を増やしただけだ」と夫人は言う。

 

1)は、ドイツ人家庭教師がタルマン氏の甥に語った。ここでは、ペルセポネーを甥っ子に、ハーデースをタルマン氏に、ペルセポネーの母をカトリックに改宗した母親になぞらえたのだろう。

2)は、ハーバート家を再訪したネヴィル氏に、ヴァージニアが語った。このときネヴィルはお土産にざくろを持参した。ここでは、ハーデースはハーバート氏、あるいは後釜に座ろうとする男たち(ネヴィルも含む)だ。ペルセポネーの母がヴァージニア自身だとすれば、取り戻すべきペルセポネーが彼女の父祖の土地だろう。ざくろは、男の権力として語られる。ハーバート氏の後釜につこうとする男が未亡人と結婚して家産を手に入れようとする。ざくろを贈ることで男の庭に女を閉じこめるつもりだろう。ヴァージニアはそう突きつけるが、ネヴィル氏は傲慢にして愚鈍なので気が付かない。

 

 その後、ヴァージニアはネヴィル氏の望む十三枚目の絵を描かせることに了承する。彼女はハーバート氏の遺体が発見された堀の前(画家が望んだ場所だ)にネヴィル氏を夜中に向かわせる。そこへタルマン氏、ノイズ氏、シーモア氏たちがやってくる。男たちはネヴィル氏がハーバート家を再訪した理由を理解している。それは彼らが望んで果たせなかったことだからだ。自分たちが手に入れられなかった〈ペルセポネー〉を、卑しい画家風情が手にしようと画策すること自体、上流の彼らには侮辱だった。ヴァージニアはもちろん、男たちが勝手にネヴィル氏を処分することを分かっている。彼ら動機ある者たちが画家と絵をまとめて処分することで、今後、ハーバート殺しの一切には誰からも触れられなくなると分かっている。

 上流階級を侮蔑し嘲弄してきた傲慢な画家と、上流階級という差別意識に凝り固まった品性下劣な男たちが共食いするようにして、ヴァージニアの世界から消えてゆく。

 彫像のふりをする道化だけがこの屋敷で起きた一部始終を観察しながら、口をつぐみ続ける。なぜ? 階級の外にいる道化にとってはそんなことどうでもいいからだ。

 

 

 ちなみに、1702年にオレンジ公ウィリアム三世の死により即位するのが、メアリー二世の妹アン女王だ。そして、アン女王を描いた傑作と言えば、ヨルゴス・ランティモス監督の『女王陛下のお気に入り』である。

 

『脱獄計画(仮)』という驚愕のビオイ=カサーレス体験:Dr. Holiday Laboratory『脱獄計画(仮)』

 こまばアゴラ劇場で、Dr. Holiday Laboratory『脱獄計画(仮)』という演劇を観た。作・演出、山本伊等。

 なんて挑発的な。最高だった。

 アドルフォ・ビオイ=カサーレスの小説『脱獄計画』を原案にした演劇ということで興味を持ったのだが、え、こんな原案の使い方するの!?という驚きが一番目にきて、それが、ビオイ=カサーレスの舞台化以外の何者でもない!という驚きに変わって全身が震えた。もう一度言いたい。最高でした。

 

 実を言うと、僕が期待したビオイ=カサーレス原案の舞台劇『脱獄計画』はすでに終わっていて、その初演から日を経た後の公開インタビューを、今日、劇場で観ることになった。

 と、この時点で??となるけど、大丈夫、話の筋で混乱することはない。この戯曲の優れた点は、ビオイ=カサーレス原案の演劇『脱獄計画』についてのインタビューという主軸を決してズラさないことにある。

 だけど、淡々とインタビューが続くわけではない。最も特徴的だったのは、役者が演じる配役を舞台上で変えていくことだろう。

 そう言ってしまうと、寺山修司なり野田秀樹なり思い浮かぶだろうが、『脱獄計画(仮)』が野心的でユニークだったのは、舞台の上ではなくて舞台の外を舞台にしているからだと考えた。

 まずもって、この演劇が、演劇そのものへの自己言及のように、初演とそのインタビューという対立構造から語り始めるため、観客側としては「現実」として踏まえておくべき足場がかなり脆弱である。役の入れ替えというならば、現実と虚構の境界線をしっかり引いた上でなければ混乱が生じるだろう。この舞台ではどうかと言うと、舞台装置としてあたかも境界を区切るかのような、四隅に四本の柱の立ったインタビュー用の舞台が設けられる。四本柱の舞台と言えば古式ゆかしく、神事や葬における結界としても用いられるもので、見るからに強固な結界である。

 それなのに、演者は早々にこの舞台から足を踏み出すのである。インタビュー用舞台の外には地下への階段があったり二階へのエレベーターがあったりする。インタビューという演劇の外部から始まりながら、演じるべきインタビュー用の舞台から役者が簡単に降りられるのなら、虚構を虚構たらしめる結界は全く機能しないだろう。

 すると、どうなるだろう?

 役者もまた役者役でしかなくなる。それはつまり、自分も自分役でしかないということだ。自分役もまた他の役者と代替可能になってしまう。こうして、オリジナルはあっけなく消失する。

 これを顕著に示すのが、まさにいま語ったこの演劇の結構だろう。インタビューという形式で始まるからには、そのインタビューの対象である「初演」は大前提として存在しなければならない。そこでインタビューの最中に、初演がどんなものだったか役者たちによって再現される。が、そこで初演にはなかったセリフが語られ、さらに、その再現を行うのが、演じたはずのないインタビュアーとなって、こうなると、いったい初演が本当にあったのかどうかはっきりしなくなる。それでもなお初演として再現し続けることで、オリジナルとしての「初演」が消えてゆくのだ。

(加えて、インタビュアーの特権性が剥ぎ取られるのは、インタビュアーもまた配役に過ぎないからだ。)

 これはとてもビオイ=カサーレス的状況である。有名な『モレルの発明』で描かれたのは、再現のみが残されてオリジナルである当人たちは不在である状況だった。むしろ、オリジナルの不在によって再現性は担保されるのである。

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 このオリジナルなき再現については、舞台装置として置かれたモニターの存在が印象に残っている。いま現に観客の前で行われているこの演劇が、脇のモニターで放映されている(画角はインタビュー用の舞台のみ)のだが、その映像はライブではなく少しだけディレイしている。観客席にいて舞台とモニターを見比べる観客はその時間差に気付くけれど、演劇が終わり映像だけが残ったとしたら、このディレイにはなんの意味もなくなるだろう。記録は常に語り直しであるために現実から必ず遅れるものだが、その遅れへの自覚が消えてしまえば、それこそが現実として何度も反復され得る。同じ現実が繰り返されることで初演(一回性の現実)の再現が不可能になるという逆説も『モレルの発明』の主題でもある。

 この『脱獄計画』というビオイ=カサーレスの原案に即して進行する演劇『脱獄計画(仮)』は、存在しない初演の再現として進行し、それに伴ってインタビューという「現実」も解体してゆく。それでいてインタビューは続くのだから、かなりユニークな構成だ。

 インタビューと初演、語られる対象と語る主体、役と役者、自己と他者、時間、舞台上と記録映像などなど、本来なら明確に分けておくはずの境界線を軽々と越えてゆく。

 あまりに奇妙なこの世界に説得力を持たせるのが、役者の演技だった。演技に衝撃を受けたのは久しぶりだった。本当にすごかった。特に印象に残ったのは油井文寧の老婆ドレフュース役(老人?)から役者役への切り替えで、ハッとするような鮮やかさだった。思わずキャスリン・ハンターを思い出した。

 衣装も素晴らしく、特にインタビュアー役(と言っていいのか)の石川朝日の白基調の服とやはり白でクリアソールのスニーカー。変容するようにのたうつときソールがこちらへ向けられ、樹脂に全身が取り込まれるような不気味さを感じ(この演技もすごい)、マシュー・バーニーのクレマスターを思い出した。

 

 自然に自在に何層もの境界をしかも明らかな異常を伴いながら打ち消していく方法は、あまり観たことがないものに感じた。もとより、現実と虚構の境界を侵犯する演劇は少なくないし、舞台上での役の入れ替えもままあるだろう。それを踏まえても、今回の観劇の印象は他と一線を画していたと感じた。

 ひとつには、ビオイ=カサーレスという実在するテクストへのレファレンスが可能だからかもしれない。自己言及性の強いテクストを下敷きにしたことで、役を入れ替えるという異常さも戯曲の都合には見えない。

 また、配役を入れ替えることによる権力勾配の変化が顕著に生じていないのも特徴かもしれない。たとえば、寺山修司の『奴婢訓』では格差が配役換えの動機でもあるし、そこが面白さに繋がる。しかし『脱獄計画(仮)』では、こうした権力の入れ替えが配役転換の主題にはなっていないようだ。

 演出家=総督という権力者がいて、それも代わる代わる演じられはするのだが、権力自体は空席になっているように見える。いるのかいないのか判然としないし、配役替えによって生じる様々な状況は、演出家の権力によって起きているとは言い難い。

 ここでも、ビオイ=カサーレスが島という隔離されたアノミーな状況を舞台にしたことと関連するのかもしれない。小説をそのまま舞台化していないのに、そうするよりもはるかにビオイ=カサーレスだと感じさせられたのは、かなり特異なことだと個人的には思えた。優れたビオイ=カサーレス批評であり、またビオイ=カサーレス入門としても機能しそうだった。

 ともあれ。

 演劇ならではの驚異的な体験だった。原案小説を知らなくても観た人に衝撃を与えるのではないだろうか。

 そして、自分たちが生きているこの「現実」にもこれと近い状況を感じ取るかもしれない。

 現実を担保される保証がなければ、自分が自分役であることは怪しくなる。自分が自分役である保証がなければ、現実は担保されない。

 凄い演劇というだけでなく、演劇の凄さを味わった。

【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部3

近世説美少年録

 

 

3 白蛇と大鳥

 

 大江弘元は手勢を指揮して洞穴の前後を塞いだ。彼の精兵三十余人が逃げる山賊を斬り伏せ、生け捕り、勇猛果敢に休む暇なく賊を誅し続ける。

 一方、川角連盈は慎重に隙を窺っていた。この死地を切り抜けようと頼みの手下十余人を己の前後に立たせ、抜け道から脱出を試みた。

 が、弘元はこれを見透かし、「あれだ、逃がすな!」と激しく下知すると、賊の行く手はたちまち寄せ手に遮られた。五、六人の山賊が一斉に刃を抜いて罵声を荒らげはしたが、すでに賊徒は狩場のイノシシよろしく追い詰められていた。めいめい勝手に逃げ道を探り、もはや足並みはいっさい揃わず、痛手を負うた者から元の穴へ戻される。そこへ南に陣取っていた寄せ手が洞穴へ押し入り、手当たり次第に賊を討った。賊の悲鳴は止むことなく飛び交った。

 そこへ突如、薄暗い洞穴の中を激しい音が轟いた。次の瞬間、辺りは不気味な静寂に包まれた。見れば、弘元の先手二人が地面に倒れていた。

 川角頓太連盈が鉄炮を放ったのだ。

 ――鉄炮

 未だ世に知られていない、九州の島人が密かに伝えた舶来の新兵器である。見知らぬ武器の威力を目にした大江弘元勢は、なにが起きたのかさえ理解できずにいた。たった一発の銃砲で彼らは耳鳴りを起こした。耳の奥でぐわんぐわんと反響する凶音に頭を揺らされ、戦うどころではなくなった。勇猛な兵たちがほぼ無意識に怯え、左右へと退いた。

 隙を得た連盈がイナゴのように抜け穴から躍り出る。

「あれが連盈ぞ!」弘元が声を振り立てて「川角、待て!」と自ら呼びかけると、連盈は鉄炮に弾丸を込めようと取り直す。

 敵がなにをしているか弘元には分からないが、禍々しさだけは否応なく感じ取った。とっさに手裏剣を打った。狙い違わず、敵の右腕を貫く。からりと金属音がしたのは、連盈が鉄炮を取り落としたのだ。そして、それはそのまま谷底へ落ちていった。

 武器の行方に構わず、弘元はまっしぐらに間合いを詰めた。連盈もまた腕に刺さった手裏剣を引き抜くや、矢声を掛けて弘元めがけて投げつけた。弘元は慌てずそれをかわして刀の柄に手をかける。連盈のほうこそ先に刀を抜こうとし、駆け寄る弘元は己の柄から手を離し、相手の柄を掌で押さえて抜かせない。二人は同時に組打ちに掛かった。

 川角連盈もまた猛者だった。互いに上になり下になりしながらもみ合った。が、手裏剣で右腕に深手を負ったのが祟った。弘元の膝に押さえ込まれ、それでもなお跳ね返さんと抵抗したものの、弘元の手勢五、六人にのしかかられ、ついに縄を掛けられた。

 この襲撃によって討たれた山賊は三十余人あった。生け捕りは十人余り、辛くも逃げ得た者はわずか二人だった。

 

 寄せ手側も負傷者を出したが、鉄砲で撃たれた者も含めて幸いにも死は免れた。大江弘元は手勢を呼び集めて、手柄を立てた者を褒め、疲れた者をねぎらい、負傷者をいたわった。生憎、薬の用意がなかったため、素陀六夫婦から贈られた草の葉を押し揉んで傷口につけさせたのだが、すると、たちどころに痛みは去り、ほどなく傷も癒えてしまった。

 そうこうするうち、この日も暮れ果てた。

 兵たちは枝を伐って夜通し火を焚き続け、生け捕りを監視して夜明けを待った。やがて東の山の端が白む頃、弘元はふと思い立って、

「かの鉄炮とかいう武器は珍しいものだった。川底を探れば見つかるかもしれん」

 と、水練上手を谷へ下ろした。半日ほど川底を漁らせたが、瀬が速い場所で、すでに押し流されたらしくなにも見つからなかった。

 同じ頃、洞穴を検分した弘元主従は、三、四百両もの金銀を発見した。さらには調度や衣服、酒器などもあり、ここで生活するのに不便はなさそうだった。

「この洞穴を放っておけば、いずれ別の山賊の巣穴となるだろう」そう案じ、弘元は手勢に命じた。「金銀のみを運び出し、他は焼き崩せ」

 兵たちは伐採した材木を使って洞口を前後から燃やした。石造りの戸が炎に熱されて砕けると、前後の洞口を埋め尽くした。もはや何人も穴へ立ち入ることはできなかった。

 午後、大江弘元は生け捕った山賊を引き連れて下山を開始した。連盈は右腕に深手を負い、しかも最もきつく縄で縛られたため苦痛に堪えず夜通しうめいていたが、この下山の途中で死んだ。連盈以外にも重傷の虜囚は五、六人あり、弘元はこれらを山に置いていくことにした。連盈の首だけを斬って兵に持たせ、生き残りの賊どもを引っ立てて歩かせた。夜は麓近くの寺に投宿した。

 その寺で幕府軍の安否を問えば、総大将大内殿自ら軍勢を率いて阿蘇山古城を攻めたとの噂だった。弘元は焦った。連盈捕縛に日を費やしすぎた。菊池武俊征伐に遅れるなどあってはならなかった。明日は未明に出発し、夜を日に継いで急ごう。

 翌日、弘元は払暁に宿を出て馬の脚を速めた。道中は草の葉を舐め続けるだけだったが、効き目は持続した。荒れ寺だろうと野宿だろうとぐっすり眠れて気力も充実した。素陀六夫婦への恩義を新たにしつつ、弘元はひたすら先を急ぐ。

 

 阿蘇宮司の屋敷から阿蘇谷の陣へ戻った大内義興は、大友親春、太宰教頼と協議を始めた。

「菊池武俊は阿蘇山の古城からとっくに逃げ失せた。肥後の賊徒はもはや絶えたと言えよう。都へ帰り、そのように報告をすることになる。大友、太宰各人は我々とともに上洛し、今度の証人となれ。今次の征伐はこれにて終わりだ。原田以下の者に暇を取らせる」

 それから、原田、山鹿、宇佐、千手、酒殿、立石ら諸隊の将を本陣に招き、征伐以前に賊徒に逃げられた現状を説明した後、彼らを領地へ帰すと告げた。一方で義興は、菊池武俊の居場所が知れたならば速やかに討伐せよ、と念を押すことを忘れなかった。

 さらに翌朝には、諸将が次々と阿蘇谷の陣を引き払い、めいめいの領地へと帰っていった。大内、大友、太宰の三将にも大軍は不要となったため、帰洛前に自兵の大半を本国へ帰した。残した四、五千人を引き連れ、大内義興は最初に陣を張った阿蘇沼へ引き返した。

 

 阿蘇弁才天別当は、鱗角院法橋といった。

 彼は、管領代大内義興が都から大軍を率いて阿蘇沼ほとりに本陣を布いたとき、長年関係が続いた菊池氏からの報復を恐れて出迎えず、山林にこもって様子を窺っていた。

 いま、菊池武俊は逃げて阿蘇山城は破却された。総大将大内義興が大友、太宰両将を引き連れて阿蘇沼へ退却すると伝え聞いたのも、それを知った後だった。

 鱗角院は悩んだ。

 ……先日は菊池との旧縁から己の行方をくらまして大内殿とは面会せなんだが、すでに武俊はいない。征伐隊は無血で動乱を治めたという。大内殿が再び当社の近くに陣営なさるというのに、またも出迎えを拒めば後日の咎めに遭うのではなかろうか。ここは菊池氏が建立した神社ではあるが、わしは武俊の謀叛に関わったわけではない。こんな些細な菊池との縁で出家が処刑されることはあり得まい。よし。今度は大内殿を出迎えたほうがいいだろう。

 大内義興は士卒百人ほどを連れて、大友親春、太宰教頼とともに阿蘇沼のほとりを散策していた。やがて弁天社の社頭へ着くと、ここに床几を据えて会議を開いた。ちょうどそこへ鱗角院は行き合わせたのだ。大内家の近臣に名簿を渡して取り次ぎを申し入れた。

 義興は鱗角院を召し寄せ、社頭で対面した。鱗角院がおそるおそる帰陣の喜びを述べると義興は嘲笑い、

「以前もこの地に軍兵を駐屯させたが、院主は我々を一度たりとも出迎えなかったな。いま菊池武俊が落ち失せ、我らもやがて退陣となるだろう今日に至って姿を見せるのでは如何にも遅かろう。この神社は菊池の父祖、菊池武光の代に建立されたと聞く。どうやら院主は武俊びいきのようだ。いまも菊池との旧縁を大切にし、菊池の旗色を確かめたために遅参したのだ。そうであろうな」

 なじるように語調が強くなり、鱗角院は青ざめた顔を上げた。

「滅相もございません。たしかに当社は菊池氏による建立ですが、歳月を経たいまとなっては菊池の末裔は父祖に似ず、信仰はおろそかで、兵乱によって荒れ果てた社の修復さえ行いません。そのために某らは金策に走り回り、ご来陣の折も他郷にあったために見参に及びませんでした。うかうかと見参できずにおりますうちに再度ご下向のよしを聞き及び、昨日、帰院仕った次第でございます。ご賢察いただいてお許しを願うのみです。南無阿弥陀仏

「その理屈めかした弁解が事実とは思わぬが、ともかく、この神社は菊池の祈願所である。逆徒を守護する神なのは問わずともたしかなことだ。よって、菊池武俊追討のついでにここを壊すことにした。そう心得ておかれよ」

「なんともったいないことを仰せられますか。たとえ菊池が建立しようとも、土地に祀られた弁才天安芸国厳島の神と一体です。菊池氏滅亡こそ当神社の神が彼を見放し給うたからでございましょう。いまさら神社を破却したまうとは感心しがたきご命令。当社はいまや菊池とはなんの関係もございませぬ。寛容なご沙汰を願い奉るのみでございます」

 大友親春が太宰少貳と目配せを交わし、義興を諌めるように口を開いた。「別当の訴えには捨てがたいところがあります。鬼神は敬して遠ざけるべし、とも言います。凡夫と同じように征伐するのはもったいないことです。どうか賢慮をめぐらしくだされ」

 太宰もまた同じように言い添えると、義興は穏やかな態度でわずかにうなずいた。

「某とて権威を誇って神を神ともせぬ振る舞いなど好みはせぬ。鱗角院の遅参が疑わしいため、内心を試さんとして言ってみただけだ。諸将がそう言うならば、本社はこのままにしておくことを許そう。しかし許しがたきは、当神社に巣食った毒蛇のことだ。この地に陣を布いたあの夜、沼水がにわかに荒れて数多の人馬を損なったのは神の祟りだとみなが言う。大蛇であろうと鬼であろうと、幕府から逆徒討伐を承った我が軍兵を害したならば、これは邪神だ。毒蛇を退治し士卒の魂を祀らんため、阿蘇谷からこの阿蘇沼へ来る途中に焔硝、硫黄の火薬を多く買い集めてきた。辺りの樹を伐らせ、薪も数多用意した。聞くに、件の毒蛇の穴がこの社頭にあるそうではないか。東の方角に歳月を重ねて榎が見えるが、おそらく、そこらに毒蛇の穴があるのであろう。さあ、みな立て! 行って毒蛇の穴を探るのだ!」

 鱗角院はすっかり青ざめ、慌てて発した声も震えた。「お怒りは分かりますが、当社の白蛇神は霊験あらたかにして祈る者へのご利益は多うございます。元は雌雄の白蛇でして、夏四月から秋九月の頃までは穴を去って沼の底におります。また冬十月から春三月までは沼を出て穴の中におります。雌雄が代わる代わる穴から出、沼水を飲みたまうのを見た者もあるようですが、恐れて近寄りはしなかったと言います。大榎は祠から五、六十間のところにございます。幹の太さは十人が腕を伸ばしてなお余る巨木で、冬から春にかけて、たしかに白蛇は幹にできた虚の中にお住まいになられているとか。しかれども、かような霊蛇をどうしてたやすく退治できましょう。たとえ管領様のご威徳で焼き滅ぼされたとしても、後の祟りを如何なされましょうか。どうか、こればかりは思いとどまってくだされ」

 義興は聞く耳をもたなかった。

「またもくどくどとのたまうつもりか。毒蛇を神と敬うなどは愚民を惑わす売僧の奸計であろう。武士たる者が欺かると思うか。わしを止める者があれば、それらも穴の焼き草にしてくれる。毒蛇の祟りが恐ろしいと言うて軍令に逆らうのか。どうだ、はっきり言ってみろ!」

 その表情は凄まじく、なにかに憑かれたかのようだった。鱗角院は恐れ惑ってもう口を利けなかった。大友と太宰も黙り込み、「まことに仰せのとおりです」と答えるだけだった。

 むしろ、士卒たちのほうが正直だった。彼らはみな祟りを恐れて立ちすくんだ。その様子に義興はいっそう苛立って、

「なにをしている。毒蛇が沼にいるなら退治するのも難しかろうが、春の末のいま時分なら穴にいるのは疑いなかろう。さっさと始めんか!」

 そう叫んで床几を蹴倒し、自ら大榎のほうへ歩きだした。大友親春も太宰教頼もまた士卒もろとも義興の後に随った。鱗角院も弟子を連れ、気落ちした足取りでついていった。

 

 義興の興奮は治まらなかった。大榎の大木を仰ぎ見れば、いったいどれほどの歳月を経たものか、太い枝がいくつも四方に茂り合い、日差しを遮っていた。そして、その巨大な幹の内側が朽ち、虚になっていた。筵が十枚ほども敷けそうなほどの広さだ。大きな枝と枝の間に注連縄が渡され、その下にはささやかな鳥居が建っている。義興はこの大榎をつらつらと眺めて嘲笑い、

「さっさと焼き草を虚の内へ積み入れよ。焼き殺すのだ。急げ!」

 猛々しく声を荒らげた。

 兵たちは用意していた薪や焔硝、硫黄を大樹の虚へ次々に投げ入れると、火を移してついに焼き始めた。

 義興はまばたきもせず見守った。猛火が吹き出して幹を焦がす。炎はどんどん立ち上り、大枝、細枝を焼き落としながら急速に火勢が増していく。虚の内と幹の外に積み上げた薪には硫黄と焔硝が混じり合っている。それに引火し、凄まじい爆破音が轟き渡った。煙が虚空に満ち満ち、炎は有頂天に届かんとするほど盛った。辺りの土まで焦がした火勢は坤軸にまで通るのではないかと思われた。見る人はみな魂消て胸の潰れる思いだった。

 薪が尽きようとすれば、もっとおびただしい量の焼き草が虚に投げ入れられた。ここまですれば霊蛇も神龍も逃れられまい。義興はそう思った。

 大榎は燃え続けた。巳の刻に始まった燃焼が申の頃まで及んだとき、この世にも稀なる大榎の幹が焼け砕けて、ついに倒れた。その瞬間は大地が震えた。百千の雷が一度に落ちたような轟音が辺り一帯に響き渡った。

 そのときだ。

 燃える大榎から、二筋の白気が煙を突き破るようにして中空へ上り、見る間にそれが二匹の白蛇になった。煙の中に唐突に現れたその二匹の蛇は、それぞれ二十尋余りの長さがあり、真っ白な絹を引くように東へなびき西へ流れてひらひらと閃いた。

 ……と、

 沼のほとりから突然、美しい山鳥とたくましそうな雄の野雉がはばたき出で、空高く翔けた。鳥たちは白蛇を追った。そして白蛇の身からは薄墨色の二匹の蛇が現れ出で、その鳥たちと戦い始めた。さらに数多の小蛇が空中に出現し、薄墨の蛇の戦いを援護しだした。

 山鳥と野雉は蛇に敗れ、いまや命さえ危うく見えたが、沼のほとりから巨大な雎鳩と一羽の錦雞が空へと舞い上り、山鳥、野雉と力を合わせ、薄墨色の二匹の蛇と数多いる小蛇を追い散らしては突き落とし、突き落とした末には、鳥たちが一丸となり二匹の白蛇を討つべく突進を開始した。

 白蛇に恐れる気配など微塵もなかった。堂々と頭をもたげて舌を突き立て、その四羽の鳥をひと呑みに呑もうとした。それらの争ううちに、西のほうから鷲よりも大きな一羽の孔雀が翔け来たって、山鳥たちの援軍となり、白蛇を攻め立てた。孔雀は嘴で大きな蛇体を突き貫き、そうして二匹の白蛇は地上へ墜落していった。

 その瞬間、突如として疾風が吹き荒れ、一帯の砂を巻き上げた。その砂に覆われて空の色が朧になったと思うや、いまのいままでそこにいたはずの二匹の白蛇も五羽の鳥もどこへ行ったものか、かき消えたように影さえ見えなくなった。

 これは前兆だった。

 後に大内家に大奸雄の逆臣が現れ、徒党を組んで主人を惑わし、家そのものを倒すに至るだろう。そのときには義勇の少年があり、また毒悪なる少年があるだろう。良善の少年は艱難を受け必死の厄に及ぶとも、両雄の侠客とともに善に与して悪を討ち、世の英雄と出会って奸悪を滅ぼして大内領の中国七ヶ国を治めるだろう。

 これがその前兆だとは、神ならぬ身のだれに知られようか。

 だれもがこの奇怪な光景に驚き、怪しみ、祟りがあるのかどうかさえも測りかねた。大友太宰の両将も慨嘆するばかりだった。だれも言葉を発さなかった。あれほど猛々しく興奮していた大内義興さえが、いまや呆然とし、まるで酔ったように放心していた。

 

 大江弘元が山賊連盈の首級と生け捕りを連れて阿蘇谷の陣に到着すると、総大将大内義興はすでに大友、太宰とともに陣払いして阿蘇沼の本陣へ退いた後だった。弘元は義興の後を追って道を急いだ。

 ようやく沼のほとりに到着したとき、義興が霊蛇の祟を憎んで蛇穴を焼こうとしていると聞き、驚き、危ぶみ、ともかく諌めなければと本陣にも入らず阿蘇弁才天の鳥居前まで駆け寄ると、霊蛇の霊魂が煙の中から虚空はるかに飛翔し、五羽の鳥と戦う様を図らずも目撃することになった。弘元主従はひとしく驚愕し、大いに怪しんだ。

 弘元が受けた衝撃は大きかったものの、口も利かず本心を心に秘め、怪異が治まってから改めて社頭へ入って義興の前に見参した。

 以前この神社を本陣としたときに行った弘元の諫言は、不幸にも的中した。義興は沼水の祟りで数多の兵を失ったことを内心恥じたが、弘元への同情は湧かなかった。むしろ、あの夜弘元が帰らぬ人となったときはもっけの幸いと安堵したほどだった。

 その弘元が手勢を連れて帰着したのだ。義興は喜ばず、密かに憎くさえ思ったほどだ。しかし表情や態度にそれを出さず、弘元を近くに招き寄せると微笑して言った。

「沼が荒れた夜、そなたは手勢とともに流され、亡き人となったとばかり思うていたが、今日、無事に帰ることができたのはなにか事情があるのだろうか」

「仰せのとおりです。某は漂流して死を覚悟しておりましたが、幸いにも漁師に助けられました」

 そこで弘元は素陀六夫婦への恩義から語り始め、飯田山での山賊退治まで隠さず語り尽くした。

「菊池武俊と縁のある山賊を討伐できましたのは、将軍家と管領のご威福によれるものです。遅参いたしましたが、ここにその賊の首を持参いたしました」

 この意外な土産を義興は心から喜んだ。興奮を冷ますように何度も自分の額を撫でながら、「かたじけなくも武俊討伐の総大将を承った甲斐もなく、賊徒は早々に逃げ失せ、一度も刃を交えることはなかった。あまつさえ、不慮の水火によって大勢の士卒を失い、帰洛の日に将軍家へ申し上げる言葉もないことをどうすべきか迷うていたが、図らずもそなたが菊池武俊一味を討ち滅ぼしたことは莫大な手柄だ。ここは社頭ゆえ、首実検は本陣へ戻ってからにしよう。この地で士卒を大勢失うたのは、この社頭に棲む毒蛇の仕業と噂になった。その毒蛇を殺さずしてなにをもって死んだ士卒の魂を慰むべきか。いま蛇穴を焼き崩し、我らの怨みを晴らした。これで本陣へ帰ることができる。備中介も長旅の疲れをせいぜい憩われよ」

 大内義興は心のうちで呟く。

 ……初めから大江弘元の博士ぶった態度は不快だった。諫言が的中したのだからなおさらわしを侮るだろう。そう見做していたが、案に相違し、弘元は思いも寄らぬ手柄を立てて戻った。菊池の残党たる山賊の首級をもたらした一事は、なによりもわしに対する忠義の証だ。この上まだ妬ましいと執念深く弘元を忌み嫌うほど、この義興も人でなしではないぞ。

 事実、義興は弘元と打ち解け、その後は懇意となった。大友や太宰、それに大内の老臣、近習もまた弘元を大いにねぎらい、だれもが褒めちぎった。

 

 雑兵に火を消させて灰を掻かせた後で、義興は弘元とともに蛇穴に近付いた。じっくりと観察しながら歩き回った。白蛇は火攻めの苦しみに堪えきれなかったようで、穴から半身を出して焼け死んでいた。焼け焦げた白骨死骸はふたつあり、それぞれの頭骨は挽き臼くらい大きかった。その周りには小蛇の骨も多く見られた。

 身の毛もよだつ光景だ。

 大内義興だけが異様なこの景をつくづくと見つめ、微笑さえ浮かべた。

「みな、なにを思うているのだ。霊蛇などは虚名にすぎん。まことに霊験があるならば、雲を起こして雨を降らせ、この火の被害を避け得たであろう。しかし、どうだ。ここに残るのは焼かれた後の骨のみだ。これこそ霊験などなかったことの証ではないか。煙の中に現れた妖しの物も見る者の迷いであったのだ。疑心、暗鬼を生ず、とことわざにもいう。それも理由あることらしい。忘れるな。蛇霊などと語って他人に笑われれば武士たる者の恥だ。しかとそう心得、兵どもにも余計な口を叩かせるな」

 家来たちは額づき、うやうやしく承った。事は終わった。義興はもはや蛇への興味もなくし、社頭を出た。多勢を前後に立たせ、三歳馬の手綱を繰って陣所へ帰った。大友親春、太宰教頼は途中で別れてそれぞれの陣へ退いた。

 それから大江弘元は義興の陣所に入り、川角連盈の首と生け捕りの実検に備えた。分捕りの金銀も義興に披露した。

 生け捕りを京都まで曳いては行けぬと、義興は彼らの首をその場で刎ねさせ陣前に晒した。連盈の首級のみ都へ持ち帰ると決めると、この地での用件はこれですべてなくなった。

 

 夜、義興は弘元を陣屋に招いた。

「明朝、大友親春と太宰教頼を伴うて帰洛の途につく。そなたは大手柄があったゆえ、ともに都へ参らせるつもりでいたが、菊池武俊の行方がいまだ知れぬ。肥後に隠れたままでいれば後顧の憂いとなるであろう。そこで、そなたにはしばらくこの地に残って奴の居場所を探ってほしい。かようなことに熟達した者がそなたの他にあるとは思えぬ。某が凱陣した日にはそなたの手柄を抜かりなく将軍家に報せるゆえ、恩賞のご沙汰は必ず後日届くであろう。当座の引き出物として、賊の巣穴から分捕った金銀すべてをそなたのものとしたまえ」

 懇ろにそう説いたが、弘元は金を受け取らずに謹んで答えた。

「長年の兵乱のために民は疲弊し、お上の財政も乏しいこの折、この金銀を受け奉ることは臣たる者の志ではありません。お許しください」

 何度も頑なに辞退して決して受け取ろうとせず、義興はますます賞嘆した。実に廉直な人だ、武士たる者はだれもがこうあるべきだ、と褒めそやした。

「しからば、その金銀は水火のために死んだ士卒の妻子たちに分け与えよう」

 義興はそう答えた。

 

 大内義興の陣屋を出ると、弘元はようやく考える時間を持てた。

 ……我ら主従の命を救い、山賊を討てと教えてくれた素陀六夫婦、彼らこそが阿蘇沼で歳を経た雌雄の白蛇の正体だったのだろう。漁師の名は子自素陀六だった。妻の名を綾女といった。素陀の「素」は白。「陀」は、蛇の字の旁だ。「子より」数えて「六」番目が巳でこれまた蛇だ。蛇の異名は「あやめ」という。

 ……間違いない。あの白蛇こそが素陀六と綾女だったのだ。

 ……命数が尽きたと言った。仇に迫られ死期が近いと言った。大内殿に焼き殺されることをかねてから知っていたのだろう。霊蛇でさえも前世からの報いからは逃れられないものなのか。穴から逃げずに猛火を受け、灰燼となって命が失せたことが、かえすがえすも不憫だ。

 あのとき弘元は、立ち上る煙の中に二体の白蛇を見た。あれが彼らの魂だったのだろうか。そうだとしても、ならば白蛇に打ち勝ったあの五羽の鳥となんの因縁があったのだろうか。天機は測りがたい。しかし、霊蛇を殺した管領の行く末は安寧とは行かないだろう。たとえ義興自身が業の報いを受けずとも、必ず子孫のためによい兆しとはならないだろう。

 

 翌日、大内義興は大友親春と太宰教頼を伴って、三将の軍兵合わせて四千余騎とともに帰洛の途についた。大江弘元は阿蘇郡にとどまり、菊池武俊の行方を探索することとなった。この逗留の間に、弘元は鱗角院と相談して白蛇の骨を埋め、灰を寄せて塚を築き、墓標として若木の榎を植えた。やがて、土地の者はこれを蛇塚と呼んだ。

 同年の秋、大江弘元は安芸国の自領へと帰った。帰郷した後、弘元は素陀六と綾女の追善のために法師を集めて経を読ませ、石塔婆を建てて懇ろに弔った。

十三時の鐘は何回鳴ったのか?:ジョージ・オーウェル『一九八四年』雑考

 ジョージ・オーウェルの名作『一九八四年』は、以下の有名な文章によって始まる。

四月の晴れた寒い日だった。時計が十三時を打っている。(高橋和久訳)

 原文はこう。

It was a bright cold day in April, and the clocks were striking thirteen.

 『白鯨』や『高慢と偏見』などと並んで、印象的な小説の書き出しの例としてよく挙げられる。(ちなみに『白鯨』の ”Call me Ishmael” をそのまま書き出しに援用したアラスター・グレイの小説もある(『ほら話とほんとうの話、ほんの十ほど』高橋和久訳))

 この書き出しの特徴はどこかと言うと、「四月の晴れた寒い日」ではなく、「時計が十三時を打っている」ところだろう。この一文はハイコンテクストなので、ここだけ抜き取ってみても意味が分からない。英語の慣用句というか、諺が下地になっている。そして、それを踏まえることで『一九八四年』という小説の描く管理社会の奇怪さや矛盾が開幕早々(しかも鐘の音によって)読者の眼前に展開することになる。

 だれもが知るように、時計の鐘が十三回鳴ることはない。時計は十二進法なので、十二時がくれば一巡し、十三時に鳴る鐘の音は一回である。それが通常だ。

 『一九八四年』は SF であり未来の話だから、ここでは十三時に十三回鐘が鳴るという設定なんだろうとあっさり受け取ってしまうと、その後の物語全てを見誤ることになりかねない。

 十三回の時計の鐘は、本来ならば起こり得ない異常事態だという前提をもって読まなければならないだろう。そうでなければ、小説内で起きる出来事は我々の現実と地続きであり、我々の世界でも起こり得るという恐怖から目をそらすことにもなるだろう。

 鳴るはずのない十三回目の時計の鐘が鳴っていた。

 それが、Thirteen strikes of the clock という英語の諺を参照して書かれたこの文章である。その意味は、「時計が十三回目の鐘を打てば、それ以前の十二回までの鐘、つまり時間そのものへの信頼性に疑いが湧く」ということ。つまり、ひとつでも誤りが出てくると、そこに至るまでのすべての発言、行動、出来事一切を信用することはできない、という意味だ。

 ここを「十三時の鐘が鳴っていた」と読むと、つい見落としてしまいかねない。以前なにかの本で読んだ覚えがあるが、『一九八四年』をイタリア語かスペイン語かに翻訳する際、翻訳者が、時計の鐘が十三回鳴ることはあり得ないから作者オーウェルが書き間違えたのだろうと「誤読」し、午後一時の鐘と「誤訳」したそうだ。どこで読んだか忘れてしまったが、この誤読、誤訳のどこがどう誤りなのか説明はなかったように思う。指摘した人(および想定された読者)にとっては常識だったのだろう。

 個人的には、ここの一文は「十三時を打っている」ではなく、「時計の鐘が十三回鳴っていた」とはっきり書いたほうがいいように思う(さらに言えば、clocks と複数形なのでいま鳴っているこの鐘だけでなく、いつもそうだという状況も示されている)。その一方で、この部分で読者が「あれ?」と思わないことが重要なのも分からないではないのだが(これは後述する)。

 

 この「十三回鳴る時計の鐘」の奇怪さを描いた有名な小説には、エドガー・アラン・ポオの短編「鐘楼の悪魔」がある。こちらはそれが主題になっているのでより分かりやすいだろう。

 「鐘楼の悪魔」の冒頭には、こんな詞書がついている。

 What o’clock is it ? ――Old Saying

 人を食ったような文章だ。”What o’clock is it ?” は “What time is it ?” の古風な言い回し(old saying)だが、後にくっついている old saying は古い諺の意味でもあって、その場合は「何時ですか?」が古い諺(old saying)なのではなくて、時計にまつわるこの短編の主題である「十三回鳴る時計の鐘」が古い諺なんですよ、という暗示である。

 この短編は、ポオがいくつも書き残したのに文学史的に無視されてきた(と坂口安吾が嘆いている)ファルスのひとつで、時計とキャベツにしか興味がない住人たちが暮らす小さな町を舞台にした軽い読み物だ。軽いのだが、これまた管理社会が舞台である。

 住人たちは町の正確な時計を誇りにしている。町のシンボルでもある時計塔は町のどこからでも見え、彼らは定時ごとに鳴る鐘の音を聞きながら自分の時計を確認する。住人たちは町の外へ出ることはない。だが、あるとき外から人がやってきた。その見知らぬ何者かは町を練り歩き、そして時計塔に忍び込んだと思うや鐘楼守りを殴って占拠してしまう。住人たちはその様子を地上から眺めていたが、いまにも時刻が十二時になろうとしていた。すぐに時計の鐘が打ち始め、だれも手の施しようがなかった。なぜなら、みんな時計の鐘の音を数えなければならなかったからだ。ワン、ツー、スリー、と数えるうちに十二回目が鳴って一安心。が、その後にもう一回鐘が鳴った。十三回目だ。なんでなんで? いまは十二時だと思っていたのに十三時なのか? と住人たちはパニックを起こす。町中の時計が十三回鐘を鳴らし始めて、たちまち町の正確な時間と秩序はすっかり失われてしまった。

 これは、Thirteen strikes of the clock の症例として描かれているので、『一九八四年』と合わせて読むと面白い。

 「鐘楼の悪魔」を踏まえてあえて言えば、十三回鐘が鳴ったからといって、その時刻が十三時だとは限らないのだ。この古い言い回しは、ある異常が生じることで正確な時間そのものが分からなくなることに主眼が置かれている。

 

 さて、時間とは権力の要であり、象徴でもある。

 『一九八四年』の社会で言えば、例えばビッグブラザーによる管理によって、時計が十三回目の鐘を鳴らすことは、もちろんあり得るだろう。だが、冒頭に置かれたこの一文は、権力の恐怖を示すためにあるものではない。時計が十三回目の鐘を打ったとき、それまで信じてきた時間そのものが疑われる。ひとつでも重大な間違いがあれば、すべてが信用できない。異常事態とはそういうもので、だから「鐘楼の悪魔」では鐘が十三回鳴っただけで町全体がパニックに陥る。しかし、『一九八四年』では、住民たちは十三回目の鐘の音を聞いているにもかかわらず、なにを疑うこともなくそれぞれの生活を送っている。

 これは十三回目の鐘が日常的に鳴っている社会なのだ。だれひとりその社会の異常さに気が付かないことが(ことによると読者さえが鐘の音を読み落としてしまうことが)、オーウェルの描いた『一九八四年』という恐るべき世界の正体なのである。

 はたして、僕らがいま生きているこの国の状況はどうだろうか。

 僕らはいつの間にか十三回目の鐘の音に慣れてしまってはいないだろうか?

 

柔らかい室内にあるガラスの動物園:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ガラスの動物園』雑感

 新国立劇場でイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ガラスの動物園』を観た。イザベル・ユペール主演。もともと二年前の公演予定がコロナで延期し、昨年も企画されたがまた延期となり、今年ようやく公演が実現した。イザベル・ユペールのアマンダには二年分の期待を込めて観に行ったが、役者陣の演技は期待以上だった。あのアマンダの長広舌に途中で割り込むことはできんな。

 

 目を惹いたのは、異様なセットだった。

 暖色の壁と床に覆われた一室。色味から温かみがあるようにも思えるが、どこかグロテスクさがある。テネシー・ウィリアムズの戯曲がそうであるように、登場する母アマンダ、姉ローラ、弟トムの家族三人、それに客である弟の友人ジムは、いずれもなにかに囚われ、逃げられずにいる。それは開幕早々、語り手でもあるトムが開陳することになる。この戯曲は「追憶の劇」と言われる通り、そもそもがトムによる語り直しの物語である。すでに起こってしまった出来事を、トム自身が回想する形をとっている。

 なにが起こったのか? 目に見えるような大きな事件や事故は起こらない。ただ、トムにとっては人生の転換となる一幕(二幕物だが)だった。

 

 シアタートークでの俳優陣の答えによれば、このセットは毛皮のような柔らかい手触りだそうだ。

 

 セットの異様さは、壁や床の色だけではなかった。ダイニングか、それともリビングも兼ねた一室のようで、端にキッチンカウンターに囲まれたキッチンがあり、冷蔵庫もある。あるのはそれだけだ。他は上へと続く階段が正面の壁の先に見えるだけで、室内にはテーブルも椅子もなにもない。しかも、家族の食事シーンから始まるのだ。テネシー・ウィリアムズの戯曲から逸脱してはいない。セリフもそのままではないかと思えた(フランス語に翻訳してあるが)。

 それが、ほぼ最初の場面と言っていい食事のシーンは、テーブルがないため家族三人はそれぞれ皿を手にし、思い思いの場所に座って食べ始める。言うまでもなく、かなり行儀が悪い。これはこの戯曲の展開を考えると、かなりおかしなことだ。食卓を囲んでの会話にはならず、デザートを取りに行くのがどちらかと母アマンダと娘ローラがやりとりするところも、二人が同じテーブルにいないのでちぐはぐに見える。

 

 ローラはどうやら足が不自由らしいが(※)、母アマンダは娘が自分のことを障害者だと口にすることすら許さない。障害があるなど認めるな、それを言い訳にして社会から逃げるなと発破を掛ける。

 ここでローラの障害を巡る会話に、観客は不思議な思いがするだろう。なぜなら、このローラはかなり動き回っているからだ。足が悪いようにはどうしても見えない。キッチンカウンターの上に飛び乗るし、後にはかなり激しいダンスも踊る。

 キッチンといえば、母のアマンダはキッチンにいることが多い。キッチンカウンターの内側はアマンダの領域であるかのようだ。彼女は愛国婦人会の要職につき、雑誌のセールス電話を知り合いの主婦に掛けるのだが、それもキッチンで行っている。どうしてキッチンに電話があるのだろう?

 アマンダは若い頃、十七人もの紳士に言い寄られたことが自慢で、聞き飽きるくらい子供たちにその話をしている。セットには、ほぼ真ん中あたりに男の顔が見える。ぼやけた感じで、多少歪んでもいるようだ。部屋には父の写真が飾ってあると言うから、この顔がそうかもしれないが、アマンダは写真を示すとき別の方向を見ていたようでもあった。壁にある男の顔はひとりではないようにも見えたが……。

 

(※ 戯曲の登場人物紹介のローラの項にこうある。

「子供のときの病気のあと脚に障害が残り、片方の脚は他方よりやや短く添え木をあてている。この欠陥は舞台上では暗示以上に強調する必要はない」(小田島雄志訳)

念のために)

 

 『ガラスの動物園』という戯曲は、登場人物は四人のみ、舞台はウィングフィールド家の一室。舞台自体は小さく狭いが、登場人物それぞれの内面を丹念に覗き見ることで、実際に見ている一室の情景以上の世界を提示する。そのひとつの象徴として、ローラが収集し、大切にしている「ガラスの動物園」がある。

 ガラスの動物園とは、文字通り、ガラス細工の動物たちのことだ(母がそう呼んだ)。ローラは幼い頃からコツコツと集めてきた。ガラス細工は美しく、しかし脆くて壊れやすい。その宝物を大事にしながらローラは自分の世界に引きこもる。ガラスの動物園とは、ローラという人間の内面の象徴だ。

 

 過去の美しい思い出に囚われた母、自身の空想に引きこもった姉のいるその家から、トムは離れたくてたまらない。しかし、一家の稼ぎ頭であるため、家族を見捨てることができない。父のように家族を捨てることができない。

 そんなある日、トムは、姉に紳士を紹介するように母から頼まれる。トムが家を出ることを許す代わりに、姉の夫を家に入れろというのだ。娘の将来が心配なのだと頼み込み、トムは根負けして渋々承諾する。

 トムは、ジムという職場の同僚を家に連れてくる。ジムはかつてトムの同級生だった。高校時代のジムは学園のスターだったが、いまではトムと同じ倉庫で働き、ジム自身落ちぶれたと思っている。そのジムをローラも高校時代に知っていた。どうやら淡い恋心を抱いていたようだ。その頃、ジムからブルー・ロージス、青い薔薇と呼ばれていたことを、ローラは幸福とともに覚えている。聞き間違いから生じたジョークが呼び名に定着したものだ。

 だが、ジムはローラを覚えていない。ローラも覚えているわけがないと母に言い、ジムと会うのを嫌がる。

 ジムがきてもローラは隠れて出てこない。やがて夕食の支度が整うと、ジムも含めて食事をするからローラに出てくるように母が厳しく言いつける。

 

 一般的に『ガラスの動物園』という演劇で観客の心を最も掴むのはどこかと言うと、やはりローラが大切にしているガラス細工の壊れるシーンではないだろうか。一度目は、母とケンカしたトムをローラが止めようとした拍子に棚から落ちて壊れる。その次は、ジムとローラが二人きりになって以降。ローラがジムにガラスの動物園を見せ、その中でもお気に入りのユニコーンを見せる。

 ヴァン・ホーヴェ版ではどうなっているだろう?

 最初のトムとのシーンでは、ガラスの動物園はチラッと見せられるだけだ(壁にある扉付き棚の奥に隠してある)。ローラは悲鳴を上げるが、はっきりと壊れたのかどうかが、戯曲を知らないと分からないのではないか。そのくらい、あっけない演出。

 二度目のジムとのシーンでは、ガラス細工のユニコーンはキッチンカウンターに置かれていた。確認しておくが、キッチンは母の領域だった。

 

 結論から言えば、ヴァン・ホーヴェ版『ガラスの動物園』での最もショッキングなシーンは、ガラスのユニコーンが壊れるところではなかった。

 アマンダとトムが夕食の支度を終え、ジムを呼び、そして、ローラを無理に連れてこようとする。四人が一同に介するとき、ローラは自分の足で歩いてくるが、その足取りがかなり不自由なのだ。歩きにくそうに、しかし、その歩行に慣れているような。

 劇中で、おそらくこのシーンのみだろう。観客はこの一度だけ、この場面で、現実のウィングフィールド家の様子を垣間見ることになる。その瞬間、この演劇が描いてきたこと、描こうとしていることに気付いて戦慄するだろう。剝き出しの現実が現れた瞬間、それ以外が、開幕からここに至るまでずっと見てきた暖色の柔らかそうな奇妙な部屋は、すべて空想だったと突如気付くだろう。『ガラスの動物園』とは、登場人物の内面や心象風景を描いた戯曲だ。そして、ヴァン・ホーヴェ版は最初からずっと登場人物の内面や心象風景を見せていた。

 

 映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『パンズ・ラビリンス』では、過酷な現実から逃避するため主人公たちは自らの作った空想の世界に心を置こうとする。そうすることによって一時的に苦痛は和らぐのだが、もちろん現実の問題が解決するわけではなかった。

 この『ガラスの動物園』が描く世界は、一貫して空想の側の『ガラスの動物園』だ。だからウィングフィールド家の一室は異様でグロテスクで現実離れしたものだし、それを母と姉がほとんど共犯関係と言ってもよい態度で守り、それぞれの空想の中に引きこもっている。母は若い頃の南部での暮らしを思い返し、姉は自分のコレクションであるガラスの動物園の世界に耽っている。

 テネシー・ウィリアムズの戯曲ではかなり積極的にトムが語り手役を買って出るが、ヴァン・ホーヴェ版では彼のナレーションがところどころカットされている。物語自体がほぼ戯曲通りであることを思えば、少し違和感がある。

 すなわちこの物語は、トムが語る(語り直す)物語ではないということだ。けれども、起こった出来事はトムが体験したそれと全く同じものである。それにもかかわらず、観客が見ている光景はトムが体験した物語とは違っている。それはアマンダの物語であり、ローラの物語なのだ。その物語の裂け目から浮かび上がった一瞬の現実が、テーブルへ向かうローラの障害のある歩様だった。

 

 従来『ガラスの動物園』では、ジムがローラに付けた「青い薔薇」というあだ名や、壊れてしまうガラス細工の「ユニコーン」に、現実には存在しない空想の美しい産物という強い象徴性が与えられてきた。本作でもどちらも登場し、意味が与えられる。ユニコーンは壊れて角が折れ、他の馬と同じ形になると、「これで馬の仲間入りができる」とローラは、悪意なく壊したジムを慰めるように言う。だが、お気に入りだったユニコーンはもう特別ではなくなり、だから過去を振り払って未来へ進もうとするジムにプレゼントする。

 高校時代の自分をジムが覚えてくれていて、彼の好意を感じられた間、ローラは自分の現実を忘れられた。空想の中で伸びやかにダンスを踊ることもできた。だけど、しょせん空想だ。現実のジムは、彼が囚われていた高校時代の栄光を忘れ、そこから抜け出そうとしている。

 そんなジムがローラにも自分の殻を破るように激励し、説得し、説教したところで、ローラが変わることはないだろう。

 

 村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を初めて読んだとき、僕はそのラストシーンにとても驚いた。こんな終わり方をする小説があっていいのかという戸惑いだったのだが、いまあの小説を読んで驚く人はあまりいないのではないだろうか。「そんな終わり方」をする物語はありふれたものになったから。

 そこは床も壁も柔らかく、落としたくらいではガラスの動物が壊れることもないように思える。ユニコーンが壊れてしまったのは、ローラの視点ではない、母の領分であるキッチンカウンターに置いたからだ。

 ガラスの動物園を眺めるローラ自身がガラス細工のように脆くても、この柔らかな部屋にいる限りはローラもまた壊れることはないのだろう。

 

 

李禹煥展 雑感

 国立新美術館で開催中の李禹煥展に行ってきた。

 岩と、ガラスや鉄などでできた「関係項」シリーズは何度見ても良い。「もの」を前にした鑑賞者(自分)はどこにいるのかという認識を含んだ作品だと自分は理解しているが、岩と自分の関係だとすれば(もちろん角度によって位置の認識は変わるが)二体問題として鑑賞者の認識は比較的容易かもしれないが、ここに岩とガラス、岩と鉄といった二者が関係項として出現すれば、これらを見る自分の位置はどこにあるのか。多対問題化して複雑さを増し、容易に認識しきれなくなる。鑑賞者は否応なしに作品内部に取り込まれ、どの「もの」との関係によって現在の自分が存在しているのか問い続けることになる。

 そこでは対象を物語化しない想像力が求められる。あるがままの「もの」として「もの」を捉えるのは難しい。岩が岩として、ガラスがガラスとして、そこに実在する意味を、物語を排して認識しなければならない。たとえば、割れたガラスの上に岩が置いてあるとき、その作品に象徴を見出すのは容易いこと。ガラスの割れ方は一様でなく、おそらく岩が衝突した点から細いヒビが無数に走っている。そこに見出される象徴や兆候のすべてを取り去り、ただそこにある岩とガラスとして把握するという現象学的還元、というより形相的還元的な物の見方を何度でも調整すべく「関係項」と向き合い続けたいと改めて思った次第。

 

 展示構成は李禹煥自身によるものだとか。二部構成になっていた。前半が「関係項」シリーズ、後半はカンヴァスに描かれた抽象画のシリーズだった。この絵が一同に介したものは初めて見た。

 そして、度肝を抜かれた。

 最初の部屋では、「点より」と題された、四角い点が濃淡はありつつも整然と並んだ抽象画が、幾枚も展示してあった。次の「線より」はカンヴァスに筆か刷毛で描いた縦線が並ぶ。下へゆくにつれて掠れていた。その次は「風より」と題し、カンヴァス上には線が乱雑に舞い乱れていた。

 驚いたのは、その次からだ。

「風と共に」と題された絵画群は、「風より」で乱れていた線がさらに増幅して乱れきったのか、カンヴァス上のほとんどが塗りつぶされたようになっている。ここまできて気付いたが、これはエントロピー増大則のことだ。点から線へ、秩序から無秩序へという必然的な流れが描かれている。

 無秩序極まって乱れきりカンヴァス空間は平衡に至った「風と共に」では、荒れ狂う風と、点と線との間の区別がなくなってしまった。その次の「照応」はぐっとシンプルになり、太く短く、そして赤や青などの色がついて、さらに濃淡のある美しい円柱のみが描かれる。それら複数の円柱によって構成される「応答」「対話」へと続くと、「点より」始まった変化は最終局面を迎えたかのようで、『2001年宇宙の旅』でスターゲートを抜けた後の真っ白な部屋でモノリスを見た気分になる。実際、このシリーズの最後の部屋は真っ白な壁に囲まれていて、その壁のひとつに作者が直接描いた白黒の円柱と出会うのである(「対話――ウォールペインティング」)。

 まだ終わりではない。

 出口の直前にもうひとつ部屋が残っていた。その部屋には、壁にかかった一枚の白いカンヴァス(タブラ・ラサ)と、その前に置かれた岩があった。岩はもちろん「関係項」で見られるあの岩だが、部屋に入った瞬間に直観されるのは、「点より」に始まって「対話」まで続いてきた抽象画群は、ここに置かれているこの岩が生成されるまでの経緯だったのではないのか。つまり、点の集合から世界が創造されるまでの過程に我々は立ち会ったのではないか。カンヴァス上で変化し続けて、そのカンヴァスから抜け出して現前した岩がここにある。タイトルは「関係項――サイレンス」である。

 ここに至って、ついに鑑賞者は鑑賞者自身さえも見えなくなるかもしれない。

【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部2

近世説美少年録

 

 

2 大江弘元

 阿蘇沼氾濫の夜。

 本陣にいた大江備中介弘元は、襲いくる沼水の勢いに抗えず押し流された。ほとんど溺れながらも水面へ顔を出し、懸命にもがくうち肘近くに流れてきた盾を取った。それを胸に押し当てて泳ごうとしたが、水勢は緩まず、心身ともに疲弊して流れるままに流された。

 ……今生はもう尽きた。

 弘元は最期にと弁才天に祈りだした。そのとき大樹の大枝にぶつかり、引っかかった。慌ててその枝にすがりつき、前後も見えない真っ暗闇のなか、息継ぐ間も惜しんで幹へよじ登った。

 樹上で身を震わせ、弘元は夜明けを待った。二度と見られないと思えた陽が昇り始める頃、ようやく雨が上がった。

 朝日が照り返す眩い水面を、平駄船が通りかかった。柿染の襤褸衣に腰蓑を着けた男は、漁師だろう。舟に四手の網が見えた。水害を物ともせず早朝の漁に出たらしい。

「そこな舟人、助けてくれ! ここだ、ここにいる!」

 頭上からの叫びに漁師は驚いたようだ。大声で叫び返した。「なんの、これしきの水を恐れて樹にすがりつくことがありますか! ここらは水も引いてきたから、歩けもするでしょう。いや、待ちなされ。やはり我が舟へ降りてきなされ。危ういかもしれませんでな」

 弘元は、大樹へ寄せられた舟へ慎重に乗り移った。

「いかめしい出で立ちですな。噂に聞く、阿蘇攻めの殿原ですか。山のほうは水嵩が深かったのでしょうか。山から里へ流されなさったのも不思議ですが」

「某は、管領麾下の大江備中介という者だ。阿蘇の城攻めのため、官軍五万余騎と阿蘇沼ほとりに陣営していた。昨夜、思わぬ洪水で陣所を失い、我が手勢三十余人もまたひとり残らず溺れ去った。我が身ひとつ幸いに木の枝で堰き止められ、いまそなたに助けられて九死に一生を得た。命の恩人だ」知らず弘元は口数が多くなる。「ここらはもともと川だったのか。それとも里か。なんと呼ばれる場所であろうか」

 漁師は指先で鼻をかみ、「いやはや、大変でございましたな。山のほうは湿地で秋には氾濫も多いですが、一夜の春雨で陣屋ごと流されるとはよほどの珍事でございますな。ここら辺りでも川が水嵩を増し、ご覧の通り氾濫して低地がまるまる川になりましたが、まあ、この程度ならよくあることです。もう少し下れば、川筋がはっきりしてきましょう。阿蘇沼からは遠い、高森川です。川下は木山川となり、その先は海ですな。阿蘇、合志、菊池、山鹿、玉名、飽田の六郡を流れ、菊池、山鹿の境で二股に分かれる。腹が減っておられましょう。お疲れでございましょう。我が家はすぐ近くです。川沿いのあばら屋でもてなすものはありませんが、一日二日お休みなさいませ。お帰りはそれからでもよろしいでしょう。二日もすれば水も引いて、阿蘇沼も旧に戻っておりましょう。急ぐことはありますまいて」

「かたじけない」弘元は深く、深く感謝した。

 

 漁師は掛け声とともに櫓を漕いだ。彼の言った通り、だんだん川筋がはっきりしてきた。十町ほど下れば、もう水が濁るだけで氾濫もしていなかった。やがて漁師は岸辺に舟をつなぎ、弘元を陸へと助け上げた。網と櫓を携えて先に立ち、家へと案内した。

 漁師の妻が出迎え、「どうでしたか? 獲物は多かったですか」

「鯉やら鮒やら大漁かと思うたが、期待外れだった。しかし、阿蘇沼から流されなすった殿を伴うてきたぞ。討手の大将で、管領様にお仕えなさっている。丁重にお迎えせよ。魚籠に雑魚が少々入っているから後で焼いてくれ。殿も腹が減っておいでだろう」

 妻は客へ会釈し、「思いがけない水難でしたが、ご無事でなによりでございます。ご縁に触れられ、我らとしても喜ばしい限りです。お着物が濡れていますね。春の寒さは耐え難いでしょう。いま柴を焚きますから囲炉裏のほうへ参りませ。痛ましいことで」

 温かなもてなしに弘元は感激し、思わず額を抑えた。「この窮地に出会えた夫婦の心配り、あまりにありがたいことだ。初対面とは思われぬ優しさ。田舎の人の心ばえにも忠信があるのだな。我が身こそが恥ずかしい」

 主人は頭を振り、穏やかに言った。「危うきを見て救うは人の性が善なるゆえ。だれであれ、こうするでしょう」

 妻は台所で、塩を振った雑魚を網で炙る。やがて、色の剝げた飯盛り椀や汁椀を古びた膳に乗せて客前へ戻った。春の菜漬も添えましょうと後で持参し、うやうやしく膳に載せる。夫婦ふたりに勧められ、弘元はどれだけ飢えていたか思い知る。遠慮なく箸をとった。

 腹が満ちると眠気に襲われ、弘元はうつらうつら居眠りしかけたようだった。

綾女(あやめ)、寝床を用意しなさい。殿に休んでいただこう。一晩中木の股におられたのだ。さぞお疲れであろう。急げ急げ」そう急かす声が聞こえて弘元は目を覚ました。

「いや、主人。日も高いのに寝入るわけにいくまい」

「旅先ではばかることなどありません。寝所はここより狭いですが、南向きで暖かです。頃合いを見て起こしましょう。しばらくお休みなされ」

 実際、弘元は眠くてたまらなかった。勧められるまま寝床に入ると、すぐさま熟睡した。

 

 目が覚めると、暗闇だった。とうに日は暮れ、子二つ頃らしい。枕元の灯火もかすかで、夫婦も寝入ったか家中静まり返っていた。他人の家で眠りこけるとはいぎたない真似をした。弘元は恥ずかしくなる。厠はどこだろう? 眠る前に見た景色を思い起こしながら縁側に出た。

 ふと、裏手から馬のいななきが聞こえた。人の声もするようで、弘元は耳をそばだてた。

 ……農家なら荷運びの馬もいようが、漁師は馬を飼うまい。そもそも夜更けに人が集まっていること自体怪しい。よもや主人は盗賊の棟梁でもあろうか。そのような人物には見えなかったが、善悪は見た目では測りがたい。用心に越したことはなかろう。

 寝室へ戻り、弘元は横になった。そのまま夜明けを待つが、春の夜はことさら長く感じられた。カラスの声が聞こえ、ようやく寝床を出た。

 起き抜けに囲炉裏端へ向かうと、漁師の妻が朝飯の支度をしていた。

「早起きですね。お口をおすすぎください」彼女は椀に湯を汲むと、塩と楊枝を添えた小皿とともに縁側に持ってきてくれた。

 まもなく主人が囲炉裏端へ現れ、体の具合を尋ねた。茶を勧められ、すぐに朝膳も運ばれた。昨日以上の親切を受け、弘元は礼を言い通しだった。

 そうして世間話を交わすうち、弘元は思い切って尋ねた。

「昨日疲れ果てて半日も眠りこけたのは、情けないことであった。これは、むろんそなたたちを疑うわけではないのだが、ここは川沿いのひとつ屋で隣家もなさそうだが、真夜中に裏手のほうから馬のいななきが聞こえたのだ。人の声もしたようだったが……」

「驚かせましたな。裏には舟道具や網を仕舞う古い小屋がありまして、先日来、人に貸しているのですよ。人馬の声はそれでしょう」

「なるほど」

 主人はにこやかに、「いまここで詳しく話さずとも、遠からず知られることがありましょう。疑うことはありません」と言った。

「いや、そなたたちを疑うのではない。危うきところを救われた上、大変なもてなしを受けた。この恩は生涯忘れぬ。今日はよく晴れ、水も大方引いてきたようだ。早く本陣へ帰って管領の安否を問いたい。我が手勢も生死が分からぬゆえ、行方を探らねばならぬ。主人よ、そなたの親切が褒美欲しさとは思っていないが、こちらとしては是非とも礼がしたい。いずれ再会する日のために名を聞かせてはくれまいか」

「名残惜しいですが、お止めするわけにはいきませぬな。まだ早うございますから、昼頃までは語らせたまえ。偶然にも殿のお宿を仕りましたが、ご賢察通り、某夫婦は褒美など求めてはおりません。名乗るべき名もございませんが、某は、子自(ねよりの)素陀六(そだろく)と呼ばれる者。妻は綾女と申します。数多ありました子供たちも巣立ちし、この家には我らの他だれも居りません。これらのことも後々お分かりになりましょう。このことは、どうか人には言われますな」

 弘元は真顔になり、やや身を乗り出した。「思うに、そなたは生まれながらの漁師ではあるまい。いまの姿は世を忍んでいるのか。嘉吉、応仁の戦乱このかた、室町将軍の武威薄れ、諸大名がおのおの割拠し、強きは必ず弱きを制して利を争う世の中だ。家臣が主君を殺し、子が親を害しても、不忠、不孝とさえ世間では呼ばれない。順逆乱れて、五常絶えなんとし、肉親さえが仇敵となっている。志ある者は官位が低く、道理を通すことができぬ。挙げ句の果てに小人どもに嫉まれ、あらぬ罪を被せられるのだ。聞かせてはくれぬか。そなたはいまのこの世をどう思っている?」

 試すように問うと、素陀六も膝を進めてきた。

「嘉吉、応仁の大乱は、男色から禍が兆しました。主君は驕り、家臣は奢る。その贔屓の制度を生みだしたせいでした。六代の義教将軍のおん時には、将軍が赤松貞村の男色に迷われ、贔屓があまりに過ぎました。そのために貞村の同族たる赤松満祐父子が恨みを抱き、義教公を殺害しました。八代の義政将軍もまた懲りることなく、美少年、赤松彦五郎則尚にたびたび褒美を与えられました。彦五郎のおん父君が義教公の仇赤松満祐の甥であることもお忘れになっていたのでしょう。このときは山名宗全が激しく憤り、彦五郎則尚に詰腹を切らせました。禍に胎あり福に基ありと申します。昔、北条義時が童小姓に殺されたのも男色の嫉妬が因でござました。戦国乱世では大将も士卒も戦場を家とし、美少年を妻の代わりに陣中に置いて己の慰めとします。歯を染め白粉を施した、女子と見まがう美少年も多いことでしょう。二十四、五歳まで額髪を剃らず、少年の面持ちのままですが、当世の風俗ですので怪しむものではございません。元を辿れば、足利尊氏卿が後醍醐天皇のご寵愛を仇で返し、南北朝両天子の皇位争いが始まったときも順逆の取り違えは横行しました。直義、直冬、高師直らの逆乱によって父子兄弟が戦い、家臣が主君を閉じ込めることになりました。これに始まり、清氏、直常、氏清、義弘らの謀叛、君臣下剋上の戦いと言えば、もはや挙げるにいとまがございません。鎌倉管領にしろ諸国領主にしろ同じことです。そしてついに、嘉吉応仁の大乱となって極まったのです。室町将軍家にすれば汝に出でて汝に返るものですから、恨むことさえ愚かでございましょう。そうは思われませんか」

 弘元は呆気にとられた。「なんと雄弁の士であることか。かような才があるのなら、漁師として朽ちるよりよい主人に仕えてみてはどうだ。わしが手引きしよう」

「いえ。仕官は望みません。たとえ望んだとしても、某夫婦の命運は、仇のためにすでに尽きております。間もなくこの命は失われましょう。将来を思う時間はもうございません」

 弘元はいよいよ驚き、「どういう意味であろうか。仇とは何者だ。某には命を救われた恩がある。そなたの恩に報いたい。どうか隠さずに教えてくれ」

「かたじけないお言葉ですが、何百名の助太刀があろうと免れることができません。運命なのでございます。遠からず、殿はすべてご理解なさるでしょう。まもなく某夫婦ははかなくなりますが、恨みの魂はやがて巡って必ず仇を返すことでしょう。これまた自然の理でございます。ゆえに、詳しく説いては天機を漏らす恐れが生じます。どうか、みずから悟ってくだされ」

 なにも言えず、釈然としないまま頭を下げた。素陀六はそんな弘元へ向き直り、「殿は旧家のご出身。憐れみの心篤く、信頼も大切になさられる。祈らずとも神の擁護がございましょうに、信心も深うございます。いまでなくとも、いずれ必ずご出世なさいましょう。いまは、ひとつだけお報せしたいことがございます。今度の阿蘇山城攻めですが、管領様は手柄ひとつもお立てになれず、密かに恥じておいでです。その恥がやがて怒りに変わったならば、どなた様の身に禍が降り注ぐやもしれません。その未然の禍を避けるべく、殿が手柄をお立てなさいませ。当国の山本郡飯田山の洞穴に、川角(かわつの)頓太(とんた)連盈(つらみつ)なる山賊が潜んでおります。はじめ菊池武俊が阿蘇山古城に籠城したとき、隣郡の野武士を招き集めると称し、手下の賊徒五十余人を従えて第一番に馳せ参じた者です。武俊はこれを城に留め置いて一方を守らせましたが、この頓太、城中の軍資金数百両を盗みだし、手下もろとも飯田山へ逃げ帰ったのです。それからいまに至るまで、同じ山中にいます。殿はこの飯田山を密かに攻められ、川角頓太を搦め捕りなさいませ。川角頓太を管領様に差し出せば、手柄なきこの合戦を補うだけの大きな手柄となりましょう。ゆめゆめ疑われることなく、某の意見に従うてくだされ」

「当方には喜ばしいことだが、賊は五十余人を従えて山砦に籠もっているのだろう。我が身ひとつで捕えるのは難しかろう」

「ご安心なされ」素陀六はにこやかに、「いまから発たれて飯田山へ向かいなされば、その途上にて大きな援助を得られましょう。疑いなされば、手柄はありませんぞ」

 そう言って立ち上がり、戸棚から一枚の地図を取り出して弘元に見せた。

「この地図に、飯田山の根城がつぶさに書いてあります。巣穴は北にあり、抜け穴にもなっております。ゆえに、一方のみから攻めれば取り逃がす恐れがございます。兵は必ず二手に分け、前後から攻め入りなされ」

 弘元はありがたく地図を受け取ったが、それでも心にモヤが掛かる。「やはり某は恩に報いたい。そなたら夫婦の命が尽きるというのは――」

「要らぬ愁嘆ですな。殿をお助けしたのは某ではございません。殿が長年信じてこられた神の冥助でございます。もしも来世で我らが仇となろうと怪しみなさるな。某に言えるのはここまでです」

 綾女が台所から出てきて、素性の知れぬ草の陰干しを弘元に贈った。

「腹が空いたらこの草の葉をお舐めください。それで五、六日は食べずとも気力体力ともに健やかになりましょう」

 ふたりへの憐れみが一挙にこみ上げ、弘元は感涙にむせび泣いた。

 それでも気丈に立ち上がり、「それでは、さらば」と短く別れを告げると縁側から庭へ降り立った。夫婦は柴の戸近くに出てしばらく佇み、ひとり去ってゆく武士を見送った。

 

 大江備中介弘元は、素陀六と別れてまもなく、道で三十余名の兵を見た。危ぶんで目を凝らせば、なんと行方知れずとなっていた弘元の手勢だった。兵たちはひとりも欠けないどころか、馬まで曳いていた。武具を地面に横たえ、道の両側に畏まって控えていたのだ。

「……これはどうしたことか?」

 弘元が夢心地で問うと、兵たちが口々に答えた。

「あの夜、洪水に流され浮きつ沈みつしていますと、だれとも知れぬ男が我らへ早舟で近づき、お馬までも船に助け乗せて家へ連れていったのです。その男が言うには、しばらくすれば主とは再会できる。それまで静かにしていなされとのこと。きつく戒められ、我らは裏手にあった小屋に匿われておりました」

「生枯れの草の葉を三十枚ほど持ってきて、これを舐めれば五、六日は飢えぬ。馬にも舐らせよと言われ、むろん我らは怪しみましたが、言われたとおりにすれば心地よくなり、事実、今日までまったく飢えを覚えません」

「疲れて昼に眠りこけ、昨夜はよく眠れませんでした。明日はご主君に会えようかと、心勇んで語らいながら夜を明かしました。今朝、主の妻が小屋へ走りきて、いまから密かに出発して二町ほど先、辰巳の方角で待てばご主君と再会できる、と教えてくれました。我らは喜んで小屋を発ち、ここで待っていたのです。殿のお顔を拝見でき、心より嬉しうございます」

 なるほど、彼らこそ昨夜耳にした声の正体だった。弘元も兵たちに向かって、素陀六夫婦に救われた顛末を一から語った。語るうちに、あの夫婦は何者だったのだろうと弘元は改めて疑問に思った。さては河童や狐狸の類だったのだろうか。

 不思議に思いつつ振り返ると、ついいましがたまで道の先に見えていた夫婦の家がない。春の川風になびく岸の柳が目についた。なにもかもいたずらだったように弘元には思えた。

 兵たちも言葉を失い、静寂に包まれた道端で弘元は沈思した。昨夜から立て続けに起きた不思議が妖怪変化の仕業だとしても、弘元自身が長年信仰してきた厳島弁才天の擁護利益を疑う理由にはならなかった。

 とにかく、いまは飯田山へ赴き、川角頓太連盈を搦め捕ることが先決だった。弘元はもう夫婦の教えを疑うことはなかった。気を取り直してもらった地図を開いた。これからすべきことを兵たちに伝えると、彼らは喜び勇んで雄叫びを上げた。

 弘元は馬にまたがり、三十余の兵を率いて飯田山を目指した。綾女がくれた薬草が効き、人馬ともに飢えることはない。むしろ気力は十倍し、どんな長旅だろうと疲れを覚えなかった。いまから戻ったとて阿蘇の城攻めには間に合うまい。だから弘元は眼前の仕事に集中した。主従は休みなく夜遅くまで進み、幾日とかからず飯田山の麓に到着した。

 高い山ではなかった。しかし鬱蒼たる森林に覆われて昼でも暗く、獣道以外道がなかった。弘元は地図を開き、嶮しい方角を確認した。それから気の利くひとりを樵に変装させ、ひっそり登らせて山賊の巣穴を窺わせた。半日ほどして、偵察が帰ってきた。

「川角連盈は五十余名の賊とともに洞の中にいます。この洞はかなり広く、石造りの戸までありました」

 さらに詳しい報告を聞き終えると、弘元は手勢を二手に分けた。弘元自身は兵十余人を率いて洞の裏門へ向かった。挟み撃ちだ。ひとりたりとも逃がさぬよう手勢に言い含めた。

 

 川角頓太連盈は軍用金を盗んで古巣に帰ってからは、連日手下を集めて酒盛りしていた。ところが今日、突如として軍兵の一隊が押し寄せ、

「賊首連盈、さっさと出てこい。京の管領大内殿が、菊池武俊誅伐のついでにお前たちも誅せんため山麓に寄せ、数万の官軍で取り囲んだ。天の網に漏れると思うな。さっさと出てきて縄を受けよ!」

 ドッと上がった寄せ手の鬨の声が山中に響き渡った。大軍勢の来襲に山賊たちは肝を潰し、戦う気など端からなかった。北の抜け穴目指して慌てて駆け出すが、洞口で待ち構えていた精兵に次々斬り倒された。不意を突かれた山賊は迷い惑って、南へ逃げようと引き返したが、やはり立ち塞がった精兵にあっさりと斬られる。