映画

ピーター・グリーナウェイ監督『英国式庭園殺人事件』

来年2024年3月にピーター・グリーナウェイ監督の特集上映が開催されるとのこと。楽しみが増えた。そんなわけで、傑作を紹介します。シンメトリーな構図、緑と赤/黒と白の色調、屋外撮影による昼の光と夜の闇のコントラスト、バロック絵画をそのまま持ち込ん…

去年マリエンバートで:アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』雑考

「つい去年の夏も、私は、マリーエンバートで……」 エッカーマン『ゲーテとの対話』1824年2月29日、日曜日(山下肇訳) 『去年マリエンバートで』という映画。アラン・レネ監督、アラン・ロブ=グリエ脚本。名作と言われ、難解と言われる。豪華なセットや衣装…

全体主義社会における自我(依存と惑乱):『DAU.ナターシャ』雑考

『DAU.ナターシャ』(イリヤ・フルジャノフスキー監督)を観た。奇抜というかなんというか、異常な撮影方法が話題となった映画である。 かつてのソ連を再現するために当時の町を実際に作り、そのセット内で何百人もの参加者を、二年間も当時の風習に従って生…

あるいは、ヘルムート・バーガーの liberté と libertà:アルベルト・セラ監督『リベルテ』雑感

アルベルト・セラの映画『リベルテ』の主演は、ヴィスコンティ映画でおなじみのヘルムート・バーガーだ。ユーロスペースで今回初めて観た。少し感想を。 物語は、逃亡中のフランス貴族たちへ、ルイ15世暗殺未遂の実行犯ダミアンが四つ裂きの刑に処された様子…

映画『メッセージ』/小説「あなたの人生の物語」:ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ』雑考

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』は、テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を原作にしている。そして珍しくもないことだが、映画と原作の間には相違がある。 あまり動きのない原作を、映画はタイムリミットを設けて、ハラハラドキド…

あまりにもノーマルな性:ブリュノ・デュモン監督『欲望の旅』雑感

デモ活動の際に全裸パフォーマンスを行ってニュースになる例が、時々ある。スペインの某動物愛護団体が有名だが、どのくらいの実効性があるのだろう? 動物愛護のお題目で裸になるのは動物と比べて人間だけを特別視する社会への異議だろうが、大抵のデモでは…

『ファニーゲーム』の二人組はどこからきたのか?:ミヒャエル・ハネケ監督『ファニーゲーム』雑考

ときどき無性に『ファニーゲーム』(ミヒャエル・ハネケ)のオープニングが観たくなる。郊外の道をボートを牽引しながら走るSUVを、緩やかなピッチのオペラ音楽を背景に捉え続ける。車内へカメラが移ると、別荘地へ向かう三人家族の姿。父親と母親が曲当てゲ…

映画とYouTubeについて:ジャン=ピエール・ジュネ監督『ミックマック』雑感

恵比寿ガーデンシネマで『ミックマック』を観る。もしかしてこれ映画館で見るの倒錯なのかとつい思ってしまった、ジュネ版スパイ大作戦。『アメリ』のときにも思ったけど、なんというか、ジュネってキッチュであることを恐れないなぁ。マルク・キャロがいな…

シンプルイズベスト

ようやく『月に囚われた男』をDVDで観た。ネタばれにご用心ください。 いろんな意味でシンプルさが効果的に機能している秀作。無駄をそぎ落としたストイックな設定とストーリーと登場人物と語り口。B級感溢れる映像も滑稽味があっていい。 監督デビュー…

備忘録。

おや、『わたしを離さないで』が映画化されてる(ん? 情報遅い?)。偶然ネットで見付けた予告編を見て、ちょっとウルウルきてしまった。予告編の作りは、原作イメージ同様に静かで穏やかでドライな感じ。期待が高まるじゃないですか。キャシー・H役はキャ…

一瞬と時間:クリストファー・ノーラン監督『インセプション』雑感

先月、森山大道さんとお話をさせて頂く機会があり、以来、写真というメディアの特殊性についてしばしば考える。演劇、映画、音楽、文学等のいわゆる「表現媒体」が、アリストテレスが詩学に謂うところの「始まりがあって中間があって終わりがある」線形時間…

フィクションとしての身体について:スティーブン・ソダーバーグ監督『ガールフレンド・エクスペリエンス』雑感

『ガールフレンド・エクスペリエンス』を観る。ときどき出現する「物語らないソダーバーグ(または、真面目なソダーバーグ)映画」である。だからこの映画を観て、「ストーリーがないことを時間軸をずらす編集で誤魔化しただけ」なんて言っても始まらない。…

「しょうがない」を肯定する:石井裕也監督『川の底からこんにちは』雑感

「しょうがない」という言葉にはネガティブなイメージがあり、妥協の表明として機能する。人生は妥協の連続だから「しょうがない」ことだらけだ。でも、うっかり「しょうがない」を連発していると愚痴っぽい奴と思われて、損することもしばしば。だから、し…

善き人:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督『善き人のためのソナタ』雑感

善行は、救いをうるための手段としてはどこまでも無力なものだが――選ばれた者もやはり被造物であり続け、その行うところはすべて神の要求から無限に隔たっているからだ――選びを見分ける印しとしては必要不可欠なものだ。救いを購いとるためのではなく、救い…

雑記。:チン・マンケイ監督『金瓶梅』雑感

部屋を片付けなければ。GⅠだから馬券買いに行こうかな。知人からチケットを頂いたボルゲーゼ美術館展も行きたいし。読みたい本も溜まってきたよ。でもとりあえずは仕事しよ。などなどと思いながらダラダラ過ごしてしまった。 これは、きっと自由業の第二法…

追記。

まったくどうでもいいことだけど、『金瓶梅』のエンドロールで役名が「moon」とか「rotus」だった。確かに、明月や金蓮をshinin' moon、golden rotusなどと訳されると、それも変だな、と感じそうだ。だったら読みをそのままアルファベット表記にすればいいの…

"Nightwatch":ピーター・グリーナウェイ監督『レンブラントの夜警』雑考

クローチェは内容と形式の相違を認めない。後者は前者であり、前者は後者なのだ。アレゴリーは彼には化けものに見える。まるで暗号のように、一つの形式のなかに、直接的ないし逐次的意味(ウェルギリウスに導かれて、ダンテはベアトリーチェのもとにいたる…

見えている:大森荘蔵『新視角新論』雑考

ありもしない「視点」としての「私」を尋ねあぐねて、それでは一体「私」はどこにいるのだ、と尋ねたくなろう。しかし「見る私」、事物がそれに対して「見えている私」などはありはしないのである。だがしかし、「私」はどこにもいきはしない、「私」はここ…

観測者問題:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク『善き人のためのソナタ』雑考

観測者が現象の一部に組み込まれたとき、システムは複雑系になる。 80年代の東ベルリンで体制側の監視者と監視される芸術家たちとの奇妙な交流を描いた映画である。テーマからすれば、監視者の変節が始まったのは、被監視対象である劇作家が自殺した友人を想…

『(七瀬ふたたび)((n+1)たび)  (n=1,2,3……)』

リメイク映画というジャンルは、映画が産業化した早い時期からあったものだろうし、そもそも映画がストーリーを語り始める契機には、演劇の与えた影響が大きかっただろう。独自の表現方法を獲得するまで、映画は演劇に依存していたと言ってもいい。 演劇に関…

映画のタイトルを考える。

『七瀬ふたたび』の映画が製作されるという。ちょっと前にニュースで見た。実写版「ときかけ」の製作発表もあったから、筒井ブーム再来といった感じだ。 この小説は以前に、そして最近にもテレビドラマ化された経緯があるそうだ。「意外なことに映画化は初」…