読書

【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部3

近世説美少年録 3 白蛇と大鳥 大江弘元は手勢を指揮して洞穴の前後を塞いだ。彼の精兵三十余人が逃げる山賊を斬り伏せ、生け捕り、勇猛果敢に休む暇なく賊を誅し続ける。 一方、川角連盈は慎重に隙を窺っていた。この死地を切り抜けようと頼みの手下十余人…

十三時の鐘は何回鳴ったのか?:ジョージ・オーウェル『一九八四年』雑考

ジョージ・オーウェルの名作『一九八四年』は、以下の有名な文章によって始まる。 四月の晴れた寒い日だった。時計が十三時を打っている。(高橋和久訳) 原文はこう。 It was a bright cold day in April, and the clocks were striking thirteen. 『白鯨』…

【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部2

近世説美少年録 2 大江弘元 阿蘇沼氾濫の夜。 本陣にいた大江備中介弘元は、襲いくる沼水の勢いに抗えず押し流された。ほとんど溺れながらも水面へ顔を出し、懸命にもがくうち肘近くに流れてきた盾を取った。それを胸に押し当てて泳ごうとしたが、水勢は緩…

【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部1

近世説美少年録 1 阿蘇攻め 足利義稙が二度目の室町将軍に就くと、周防、長門、豊前、筑前、安芸、石見、山城の七ヶ国の守護、大内左京権大夫多々良義興がその功労から管領代に就任した。管領職は細川、畠山、斯波の三家のみ任じられる役職だったため、極め…

去年マリエンバートで:アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』雑考

「つい去年の夏も、私は、マリーエンバートで……」 エッカーマン『ゲーテとの対話』1824年2月29日、日曜日(山下肇訳) 『去年マリエンバートで』という映画。アラン・レネ監督、アラン・ロブ=グリエ脚本。名作と言われ、難解と言われる。豪華なセットや衣装…

作者が登場するとき、テクストではなにが起きているのか?:クレメンス・J・ゼッツ『インディゴ』雑考

クレメンス・J・ゼッツ『インディゴ』(犬飼彩乃訳)は、奇妙な小説だ。どこがどう奇妙かは読み手によって異なるだろうが、まず言えるのは現実の扱い方のユニークさだ。 主題のひとつである「インディゴチルドレン」とは、現実世界においては、ニューエイジ…

『重力の虹』のスロースロップはどこへ消えたのか?:トマス・ピンチョン『重力の虹』雑考

トマス・ピンチョンの傑作小説『重力の虹』です。 さまざまな物語を内包し、重ね合わせて語られる大複合小説として、不動の地位を保ち続けています。僕も大好きな小説です。 第二次世界大戦末期、アメリカ人のタイロン・スロースロップ中尉はイギリス軍に出…

八犬伝覚書 八犬伝の引用元 その3

『南総里見八犬伝』は引用の織物である。本文中に出典の明記がない引用箇所の、参照元を探る試みの続き。 第百三回 ◎ 富山の描写。 「嶮邊(そばのべ)逈(はる)かに直(み)下せば、白雲聳え起りて、谷神(こくしん)窅然(ようねん)と玄牝の門を開けり」…

クリーマが持ち歩く『モデル読者』とは?:アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』雑考

ウンベルト・エーコ『物語における読者』、原題 ”Lector in fabula” は英訳すると「おとぎ話の読者」となって意味が通らないから、英語版タイトルは ”The Role of the Reader”(読者の役割) になったと、エーコ『小説の森散策』冒頭に書かれている。 アンナ…

八犬伝覚書 八犬伝の引用元 その2

『南総里見八犬伝』は引用の織物である。作中、どこから引用したか明記してある場合が多いが、前回に引き続き、典拠記載のない引用箇所を書き出してみた。 第五十六回 ◎ 囚われの犬田小文吾が対牛楼で望郷の念を抱く。 「犬田が為にはここも亦(また)、望郷…

八犬伝覚書 八犬伝の引用元 その1

『南総里見八犬伝』は水滸伝を基に書かれたと言われるが、参照元はそれだけではない。三国演義、西遊記、封神演義、平妖伝など中国の伝奇小説、平家物語、源平盛衰記、太平記など日本の軍記物、源氏物語、枕草子、伊勢物語といった王朝文学、あるいは和歌な…

映画『メッセージ』/小説「あなたの人生の物語」:ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ』雑考

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』は、テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を原作にしている。そして珍しくもないことだが、映画と原作の間には相違がある。 あまり動きのない原作を、映画はタイムリミットを設けて、ハラハラドキド…

八犬伝覚書 天翔ける龍に始まり、龍女の成仏に終わる

『南総里見八犬伝』発端のエピソード、里見義実・伏姫説話は、龍の目撃に始まって龍女成仏で終わる。龍女成仏とは、『法華経』巻五第十二「提婆達多品(だいばたったほん)」における悟りに至る物語のことだ(龍女のことは、義実の龍の薀蓄でも語られている…

【現代語訳】曲亭馬琴『南総里見八犬伝』第九輯中帙附言(稗史七法則)

『南総里見八犬伝』は、文化十一年(1814)の春、平林堂(弓張月の版元)から出版しようと第一輯の企画を起こした。しかし、すでに平林堂主人は七十歳の老齢、長編の刊行を果たしきるには心許ないと、版元仲間の山青堂に譲りたいと申し出られた。私はその意…

八犬伝覚書 万葉集と沼藺(ぬい)

八犬伝を読むとき、行徳の段はちょっとした難関になりそうだ。言葉が難しかったり、人間関係が複雑だったりするからではない。八犬伝の特長である、入念に敷かれた伏線回収の見事さには舌を巻く。ストーリーは目まぐるしく動き、読んでいて飽きることはない…

八犬伝覚書 芳流閣のモデルを考えてみる

『南総里見八犬伝』前半の山場に、芳流閣の決戦がある。犬士二人が互いの素性を知らずに戦う名場面である。芳流閣のない八犬伝は考えられない。 足場の悪い屋根の上で互いの技倆を尽くして干戈を交える。その舞台である芳流閣を、馬琴は大げさなほど修飾して…

八犬伝覚書 百姓一揆との類似性

ゾイレは慎重に手を伸ばし、スロースロップの頭上からヘルメットを被せる。両側からケープを掛ける女たちの手つきも儀式めいている。(中略) 「これでよしと。実はな、ロケットマン、ちょっと聞いてほしいんだが、わしはいまちょっとしたトラブルに……」(佐…

八犬伝覚書 巨田道灌について

リアルな効果を狙う子供っぽい配慮から、もしくは最善の場合、ごく単純に便宜上であっても、架空の人物に架空の名前をつけることほど俗っぽいことがあるだろうか? 『HHhH』(ローラン・ビネ)の冒頭に置かれた小説という媒体を巡る、短いがスリリングな洞察…

What the ? :『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』雑感

電子書籍元年?2年?の話題もだんだん凋んでる感じだけど、タブレットの性能云々からプラットフォームとコンテンツの関わり(プラットフォーム側と出版社の折衝など)へと一般的興味が移ったのは、ひとつの段階的兆候ではあるのかな、と思う。まぁ一消費者…

下書きを、並べてみる。

ずいぶん長らくブログを放置している。twitterを始めてから手をつけなくなった現状を鑑みるに、所詮140文字で収まるようなことしか考えてなかったのかな、と厭な思いに駆られる。メディアによって使い分けを、と思っていたはずなのに、実行に移すのは難しい…

『流跡』と異界について:朝吹真理子『流跡』雑考

話題の作家・朝吹真理子のデビュー作を読んだ。 賞を受けるのが作家か作品かという問題は、古今東西を問わず解決しがたい難問だろうと思う。それは近代特有の「人間」病かもしれないし、実はもっと古い原初的な何かかもしれない。もちろん作家本人のプロフィ…

夏の読書感想文③:トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』雑感

彼等をして、故国を離れ、荒波に乗出し、この世の果てまでも行くぞと決意せしめたものは、――此処にいらっしゃる天文関係者の方々には失礼ながら、――天の出来事それ自体ではなく、寧ろ、もっとずっと卑小な、人間の様々な欲求の集まりだったのであり、金星が…

夏の読書感想文②:レオニード・ツィプキン『バーデン・バーデンの夏』雑感

『バーデン・バーデンの夏』レオニード・ツィプキン著(新潮クレストブックス)。穏やかで静謐感に満ちた美しい小説である。ゆっくりと時間をかけて読んだ方がいいんだろうな。寝る前に少しずつ、少しずつ読み進めてゆくような。読み返すときにはそうしよう…

夏の読書感想文①:鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』雑感

『とある魔術の禁書目録』既刊23巻(SS2巻含む)を大人買い&一気読み。いやぁ、おもろい。おもろいよ!! 圧倒的なスケールと情報量、次々に投入される魅力的なキャラクター、そのうえめくるめく展開の速さにストーリー自体の面白さと、まぁ語りたき事柄は…

現代的な普遍論争:フランセス・イェイツ『薔薇十字の覚醒』雑感

AppleとAdobeのFlashを巡るニュースが騒がしい。ウェブの標準においてひとつの重要なファクターがオープン性なのだと改めて認識できる興味深い事例だ。 ジョブス自身が言及しているように、AppleとAdobeは長らく蜜月関係にあった二社である。ことの発端は、A…

日本語では「高い家」です。:荒川弘『鋼の錬金術師』雑考

フィリップス・アウレオルス・テオフラストゥス・ボムバストゥス・フォン・ホーエンハイム。 ――通称、《パラケルスス》。 16世紀を生きた北方出身の医者は、30歳そこそこでバーゼル大学の教授になったとき、慣習を破ってドイツ語で講義した。世は宗教改革で…

昔、北綾瀬に住んでいたとき違う橋を渡りたいと思って荒川河川敷を2、3キロ歩いた末、巨大な柵に行く手を阻まれて断念したことがありました。:中村光『荒川アンダーザブリッジ』雑感

唐突ですが、フィクションの雛型の中ではなんだかんだ言っても《ボーイ・ミーツ・ガール》型が最強だと思うのです。ん、最強は表現が変だな。「基本にして万能」が正しいかもです。 問. ボーイ・ミーツ・ガール型って何? 答. 男の子が女の子と出会う話で…

1327。1434。1492。1527。

不定例回帰的に訪れるマニエリスム中毒に現を抜かし、近ごろローマ劫掠(1527年)ばかりに目が向いていたが、アタリの『1492―西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)などを読んでみると、《ヨーロッパ》って常に危機的状況にあるんじゃないのか、と改め…

善き人:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督『善き人のためのソナタ』雑感

善行は、救いをうるための手段としてはどこまでも無力なものだが――選ばれた者もやはり被造物であり続け、その行うところはすべて神の要求から無限に隔たっているからだ――選びを見分ける印しとしては必要不可欠なものだ。救いを購いとるためのではなく、救い…

追記?

「allo,toi,toi」(長谷敏司SFマガジン4月号掲載)を読んで、一言。 ――なんということでしょう! 恣意的判断で思考停止し満足してちゃいけないよ、という自戒を籠めて、前掲ブログに編集を加えない。 そろそろ『円環少女』の続きを買おう。今すぐ読むとメ…