『南総里見八犬伝』前半の山場に、芳流閣の決戦がある。犬士二人が互いの素性を知らずに戦う名場面である。芳流閣のない八犬伝は考えられない。
足場の悪い屋根の上で互いの技倆を尽くして干戈を交える。その舞台である芳流閣を、馬琴は大げさなほど修飾して天高く聳え立った楼閣として描き出す。
念のために付言すると、芳流閣は架空の建物である。物語の舞台である文明10年(1478年 戊戌)は、城郭に天守が建造され始める前の時代。
芳流閣が奇観であることは、作中人物の反応からも明らかだが、馬琴は自慢の建物に信憑性を与えるべき考証を行わない。ともすれば当の芳流閣そっちのけに古今東西の楼閣に関する蘊蓄を述べ立てるよい機会なのに。例えば、村雨の紹介には古今の名刀をずらずらと並べた作者なのに。
古今東西、建造物に関する蘊蓄はペダンティックの花形と言える。マニエリスムは百塔の街プラハで花開いた。法水麟太郎が読者を驚嘆させたりうんざりさせたりするのも奇抜な建物あればこそ。
そもそも芳流閣は、文面からも挿絵からも近世城郭の天守にも寺院の塔にも似ていない。と言って、物見櫓というには巨大すぎるし、一個の独立した建物のようだ。よく分からないものが忽然と出てくるのだから、それが実在しても不思議でない根拠づけのために、類似の建物を幾つも例示することは理に適っているだろうに。
話の盛り上がるところだから水を差したくなかったのかもしれないし、特に理由はないかもしれないが、「チェスが謎であるとき、決して語られない言葉はチェスだ」とするなら、ここで蘊蓄を控えたのは芳流閣のモデルに言及したくなかったからではないか、と考えてみる。
楼閣について語るとき、否が応にも触れざるを得ないメジャーな建物が芳流閣のモデルだから、語りを避けたのではないか。あらかじめ例示することで過度な印象がつかないように心がけたとしたならば、隠された建物はいったいなんだろうか。
水辺の楼閣である。三層構造である。天守や寺院のようではない。挿絵からは中国風に見える。渺々たる水面の側に聳え立ち、川の向こう岸が描かれない。そんな楼閣の代表格と言えば?
岳陽楼ではないか。
池大雅が屏風にもした岳陽楼は、当時の日本でよく知られた建築物だっただろう。実物を見た人はいなくても、そのイメージはある程度共有されていた。 楼閣を構想したとき、馬琴の念頭に岳陽楼が浮かんでも突飛ではない。むしろ、楼閣から真っ先に連想するイメージだったのではないだろうか。
広大な湖のほとりに建ち、長江を遠くに臨む岳陽楼は、芳流閣よりも規模の大きな高層楼閣だ。馬琴の時代には、水辺の楼閣=岳陽楼のイメージ連結は、言わずもがなだったのかもしれない。そして、そこから杜甫の「岳陽楼に登る」へは一直線に結びつく。芳流閣の場面に杜甫のこの詩はよく馴染む。
昔聞く洞庭の水
今上る岳陽楼
呉楚を東南に拆け
乾坤、日夜浮かぶ
親朋、一字無く
老病、孤舟有り
戎馬は関山の北
軒に憑りて涕泗流れる
洞庭湖は噂に違わぬ広大さ。ほとりに聳える岳陽楼に登る。呉楚二国を東と南に分けた湖に、昼夜となく天地が映り込んでいる。身内や友人から一通の手紙も届かない私は、老いと病を抱え、小舟ひとつあるだけ。山向こうでは戦が続く。高楼の手すりにもたれていると、涙がこぼれる。
芳流閣=岳陽楼のイメージを背景に杜甫の絶唱が響くとき、芳流閣を登ってゆく犬飼見八の心情と重なり合うだろう。
ここに孤舟という語が現れる。例えば、王安石にも舟を詠った印象深い詩がある。(ちなみに、八犬伝第三十一回の章題は「水閣の扁舟」で始まる)
散髪一扁舟
夜長くして、眠りしばしば起く
秋水、明河に潟ぎ
迢迢たり、藕花の底
此の露の的皪たるを愛し
また雲の綺靡たるを憐れむ
諒、ともに歌絃するものなけれども
幽独も亦た喜ぶべし
役人やめて小舟ひとつ。夜が長くなって私の眠りも浅い。秋の水が天の川へそそぎ込み、一面に広がる蓮の花の底にいるようだ。きらきらした露を愛し、きらびやかな雲をいとおしむ。確かに、ともに音楽を奏でる相手もいないけれど、独りでいるのも喜ばしいものだ。
また、蘇東坡の孤舟を詠ったものとしては、
清風、何者と定む
愛すべし、名付くべからず
至るところ君子のごとく
草木、嘉声あり
我が行、本、事もなし
孤舟、斜横するに任す
中流に自ら偃仰す
適した風と相迎う
杯を挙げて浩渺に属し
此のふたつながら無情を楽しむ
帰り来たる、両溪の間
雲水、夜に自ずから明らかなり
さわやかな風 をどう呼ぼう。ただ慈しめばいいさ、名付けずとも。風はどこでも君子のようで、草木が言祝いでいる。仕事でもない、独り乗ったこの舟がどっちへ流れようと構やしない。流れのまにまに寝そべっていると、よい風が向かいから吹いてくる。杯を掲げ、大空へ手向けよう。空よ、君との間には好き嫌いさえ芽生えないのが楽しい。ふたつの谷の間を通って帰ってきた。雲と水が夜でもまだ見える明るい川を。
この二つの舟の描き方は、俗世間を離れた人の、ともすれば仙境に耽るような楽しさがある。人生を全うした人の満ち足りた境涯が仄見え、孤独を楽しむ余裕がある。
杜甫の「登岳陽楼」から窺えるのは、満ち足りた生ではない。とうてい仙境に入りそうにない人間臭さが残っている。老いや死とともに生きる苦しみ、人生への無念が綻び落ちる。そこでは孤独であることを嘆きつつ、しかし諦めてもいる。
そんな姿が、葛藤と矛盾を抱えて芳流閣へ向かう犬飼見八の心情と二重写しになってくる。達観できない人間の弱さを解消できないまま、見八は死闘に臨んでゆくのだ。
華々しい決戦の前提には、孤独なふたりが互いの宿命を知らずに死闘を演じねばならない切なさがある。
彼らの孤舟がどこへ行き着くのかを考えると、なおさら感慨深い。