八犬伝覚書 万葉集と沼藺(ぬい)

 八犬伝を読むとき、行徳の段はちょっとした難関になりそうだ。言葉が難しかったり、人間関係が複雑だったりするからではない。八犬伝の特長である、入念に敷かれた伏線回収の見事さには舌を巻く。ストーリーは目まぐるしく動き、読んでいて飽きることはない。ただ、その展開に納得するのが難しい。

 歌舞伎や浮世絵では名場面に数えられるエピソードで、室内という限られた空間での大立ち回りが視覚的に映えるのだろう。だが、物語としては、やや強引な展開に置いてけぼりを食わされ、「いや、そうはならんだろう!」と、しばしばツッコミを入れたくなる。

 山林房八があまり語られないのも、人物造形に難があるからでなく、話の筋が嫌われているのではないか、と要らぬ心配をしてしまうが、これが妻の沼藺のほうとなると、ぐっと影が薄くなり、語られているのをほとんど見ない。沼藺は、悲劇のヒロインだ。言わば、浜路と同格なのに、どうにも読者の記憶に残らず、なんのために登場したのか訝しく思われる向きさえあるかもしれない。

 もちろん物語上の役割はある。むしろ、だからこそ納得できないのではないか。八犬伝批判の常套句とも言える「ご都合主義」や「人間を書いていない」は、主にこの行徳編を読んで言われているのではないかとも思う。

 果たして、沼藺とは何者なのだろうか。 

 まず、名前が奇妙だ。「ぬい」の音が先にあって字を宛てたとしても、若い女性に似合う字ではない。まっすぐ考えれば「縫」でよいが、「白縫」と連想されるのを嫌ったか(当時なら、弓張月の印象は強いだろう)。沼と藺草という取り合わせは、行徳編巻頭に置かれた入江の葦原を思わせ、鬱蒼として雰囲気が暗い。彼女の両親は、家の前に広がるこの入江を見て名付けたのかもしれないが。

 人間関係を整理しておくと、この編の中心人物である犬田小文吾と山林房八は、それぞれが地元の若衆をまとめる親分格だ。行徳、市川という地元を背負って登場する。小文吾と沼藺が兄妹で、房八と沼藺が夫婦だ。夫婦の間には幼子がいる。いがみ合っている小文吾と房八は、義理の兄弟に当たる。

 「土地」に注目すれば、舞台は行徳、市川で、古河と鎌倉から流れ者が介入してくる図式である。その背景に安房国が広がる。ここで、あまり語られることがないが、実はもうひとつ、地名が現れている。

 真間だ。

 父親を役人に連行された小文吾は、救い出すために知恵を絞っている。そこへ市川の房八へ嫁いだ沼藺が、房八の母、つまり姑の妙真と連れ立って、夜の行徳を訪問する。房八から離縁され、実家へ送り返されてきたのだ。それどころではない小文吾は、とりあえず沼藺を市川へ帰そうとする。その言い訳として、数日の間、父親が留守だと告げる。

「否、親父は人に誘われて、真間へいゆきていまだ還らず。婢児どもは薮入りしつ、奥には止宿の修験者のみ。折のわろくて人気なく、もてなしぶりの疎さよ(後略)」

 小文吾は、父は真間へ出かけて不在だと妙真に告げる。もちろん嘘だ。この真間は市川の北にある。行徳から見ると、市川を挟んだ先だ。つまり、行徳よりも市川のほうが真間に近い。であれば、「真間にいるなら、帰りに市川へ寄ってもらおうか」とか「私が真間へ出向いて話をつけよう」とか、妙真が言い出す恐れは大いにあるだろう。問われなかったからよかったものの、 とっさに吐いたこの嘘はあまり上手ではない。地名を口にするのなら、市川方面でないほうが無難だっただろう。

 問題は、このとき唐突に、脈絡もなく「真間」という地名が現れることだ。ここが初出で、その後、行徳編では出てこない。そのせいで、真間という地名がひときわ目立っている。読者はそのイメージに引っ張られるだろう。そして、真間のイメージというなら、それはひとつに収斂してゆく。

 

万葉集巻三所収の山部赤人の歌。

 勝鹿の眞間娘子の墓を過ぎし時、山部宿禰赤人の作れる歌一首并に短歌

古に 在りけむ人の しつはたの 帶解き交へて 伏屋立て 妻問しけむ 葛飾の 眞間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らえなくに (431)

 反歌

吾も見つ人にも告げむ葛飾の眞間の手兒名が奥津城處 (432)

葛飾の眞間の入江にうちなびく玉藻刈りけむ手兒名し思ほゆ (433) 

万葉集巻九挽歌所収の高橋虫麻呂の歌。

 勝鹿の眞間娘子を詠める歌一首并に短歌

鶏が鳴く 吾妻の國に 古に ありける事と 今までに 絶えず言ひ来る 葛飾の 眞間の手兒奈が 麻衣に 青衿著け 直さ麻を 裳には織り著て 髪だにも 掻きはけづらず 履をだに はかず行けども 錦綾の 中につつめる 齋兒も 妹に如かめや 望月の 満れる面わに 花のごと 咲みて立てれば 夏蟲の 火に入るがごと 水門入に 船こぐごとく 行きかぐれ 人のいふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたなしりて波の戸の 騒ぐみなとの 奥津城に 妹が臥せる 遠き代に ありける事を 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも (1807)

 反歌

葛飾の眞間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒奈し思ほゆ (1808)

万葉集巻十四東歌より下総國の歌。

葛飾の眞間の手兒奈をまことかも吾に寄すとふ眞間の手兒奈を (3384)

葛飾の眞間の手兒奈がありしかば眞間のおすひに波もとどろに (3385)

 すべて、同じ女性を詠っている。手児奈という名の、若く美しい乙女の歌である。

 下総国葛飾郡真間は低地で、入江には葦や菖蒲が鬱蒼と茂っている。井戸水にも塩気が混じってろくに飲めない。ひとつだけ、きれいな水の湧く井戸がある。だから村人はみな、同じ井戸で水を汲んでいた。そんななか、水汲みに訪れる美しい娘がみなの目を惹く。青い衿の粗末な麻衣、髪もとかさず、履き物もないのに、満月のように輝くその顔は着飾ったどんな姫様よりも美しいのだ。

 その娘、手児奈の噂はたちまち広まった。花のように笑う彼女の許へ、夏蟲が火に集るように、港に船が押し寄せるように男たちは群がり、求婚するようになった。やがて男たちは手児奈のために争うようになる。

 全ての求婚を断っても、争いはやまなかった。手児奈は心苦しくてたまらなかった。「私の心はいくらでも分けられます。でも、この身はひとつしかありません。私が誰かと結婚すれば、他の人が嘆き、苦しむでしょう」

 悩み苦しんだ末、手児奈は自分さえいなければよいのだと思い、争いを止めるために入江へ飛び込んで命を絶つ。それを知った男たちは争いをやめ、深く悔いた。手児奈の亡骸は、あの井戸の近くに懇ろに葬られた。

 

 真間の手児奈がイメージされている場に、沼藺は登場してくる。その場面には、古代から脈々と語り継がれてきた東国説話のエートスが忍び入っている。

 さて、なかなか沼藺と妙真を追い返せない小文吾は、その口実に、首を傾げざるを得ないようなおかしな理屈を持ち出す。

「(前略)親の家なりとて、返さるるとも離別の状なし。離別の状を添えられねば、これ私の逗留なり。たとい同胞なればとて、男女はその差あり。傍に人なき留守の家に、なおうら若き妹のみ、留めて明かさば瓜田の履、そは兄ながら後ろめたし。まげて今宵は将て還り、去り状もたして、また来ませ」

 このセリフに読者はつまずくだろう。要約すると、「離別状がなければ、よその妻を泊めることになる。兄妹と言っても男と女だ。二人きりの家に、うら若い妹を泊めて夜を明かせば、なにを疑われるか分かったものではない。一旦市川へ帰り、離別状を持って出直せ」

 言うまでもないが、十六歳で房八の元へ嫁ぐまで、小文吾、沼藺の兄妹はこの家でいっしょに暮らしていた。その妹が帰省し、兄がひとり留守番する家に宿泊したからと言って、だれがなにを疑うだろうか。追い返せなくて焦っているとしても、この言い訳はちょっと気持ち悪い。妹に欲情すると公言するようなもので、沼藺も妙真もやはり何も言わないが、普通に考えればドン引きだ。

 なぜ、小文吾はこんなことを言い出したのか。

 作者である馬琴は、行徳編のクライマックスを迎える前に、小文吾、房八、沼藺の三人の関係を想像の上で解体し、別の物語を埋め込もうとしているかのようだ。小文吾、房八、沼藺の関係を三角関係に擬えようとするが、むろん、それは不自然だ。小文吾と沼藺は兄妹であり、なんら情愛を抱くような描写もない。もちろん馬琴も、実際の小文吾と沼藺の間にそうした関係を持たせようとはしていない。そうでありながら、男二人女一人の三角関係に持ち込もうとするから違和感が生じ、それによって別の物語の地層が浮き上がってくる。表層に顕れているのは、決して三角関係にはなり得ない兄、妹、妹婿の三人だ。それなのに、ところどころに不自然な記述が散見される。

 例えば、沼藺はこう言う。

「ただ願わしきは二方の、心こころの和らぎて、胸騒がしき風雲の旧の峯上に収まらば、かきくらしつつ迷い来し、涙の雨はとく過ぎて、これより袖の乾きてん。わなみは打たれ、傷つけられ、いくその艱苦を受けるとも、恥も厭わじ、恨みもせじ(後略)」

 小文吾と房八に仲直りをしてほしいと言っているが、話題がずれている。もちろん沼藺は突然の離縁に動揺しきりなので、ピント外れな返答をしても不自然ではない。しかし、一方的に離縁を突きつけた夫と、実家に泊まることを拒んでくる兄に直面した状況で、物分かりがよすぎる。こういったところが無個性と見られる所以になるのだろう。

 だが、沼藺のこのセリフを手児奈の説話に重ねてみると、見え方が一変してくる。

 いわば、二つの物語を同じ登場人物が語っているようなものだ。見えている景色と語られる記述の乖離によって、隠された真間説話がチラチラと顔を見せるべく仕組まれている。……ようにさえ感じられる。

 行徳編は祭りの夜という非日常のハレから始まるせいか、登場人物のアイデンティティがどこかぼやけている。

 例えば、小文吾と房八が対立する発端となった代理相撲(そもそも「代理」なのだ)。このシーンで、惟喬、惟仁両親王皇位を争ったという故事が語られる。この蘊蓄が、実は示唆深い。少し脱線になるが、皇位を継いだ惟仁親王は後の清和天皇である。その清和天皇の子や孫が臣籍降下し、源氏を名乗る。これが武士の棟梁となる清和源氏である。八犬伝冒頭で縷々家系が語られるが、里見家もまた源氏の末裔だ。

 一方の惟喬親王には、奇妙な伝説がある。第一子でありながら皇位を継承できなかったこの親王は、杣人たちに木地師の技術を伝えたというのだ。木地師の祖として、山の民の崇拝を受けた。

 源氏(里見)と縁を持つ勝者と、山に縁のある敗者。小文吾と房八の代理相撲の背景に周到な伏線が敷かれている。

 代理相撲と言えば、国譲り神話にも挿話がある。大国主の子の建御名方神天孫方の建御雷神が争い、敗れた建御名方は諏訪の祭神となる。八犬伝は諏訪神話との関わりが深い。

 作中、小文吾と房八の争いは、複数の見地から何度も語り直される。①行徳と市川の争いに始まり、②鎌倉山伏の跡目相続を巡る代理相撲が語られ、③安房国で始まっていた争いが明らかにされてゆく。

 そこに深層のまま残っているのが、④遥か昔、真間で起きた男たちの争いとその和解のイメージ、手児奈の物語だ。

 なぜ、沼藺が登場するのか。なぜ、死なねばならないのか。それは、小文吾と房八の本当の和解が、作中では語られないこの深層の物語で果たされているからだ。

 語られることのない真間説話へ目を向けたとき、ようやく沼藺を巡る物語が立ち現れてくるだろう。沼藺がいなければ、小文吾と房八は和解に至ることはない。真間の手児奈の自死だけが、男たちの争いを終わらせるのだ。語られない物語は、語られる物語と同時に存在する。だから、沼藺が争いの場にいるのだ。

 最後にもう一度、沼藺の名前について。手児奈は真間の入江で入水自殺する。その物語を引きずっている「ぬい」は、沼藺の字を宛てられた。真間の入江は行徳以上に鬱蒼として暗い。沼藺が引きずる薄幸と暗さは、名前が影響しているだろう。

(余談だが、妙真といい真平といい、名前の「真」が目につく。平は通り字だろう。余談2、縫→白縫への連想を避けた理由として、白縫が筑紫の枕詞だからというのは穿ちすぎか。土地への想起がブレるのを嫌ったとしたら? 余談3、てこな→こなや?)

 現実の真間手児奈霊堂では、手児奈の児の字からの連想で安産講が組織され、お産の神様として祀られている。八犬伝の世界においては、沼藺の子もすくすくと育ち、やがて大活躍を見せるだろう。

 

南総里見八犬伝 2 犬士と非犬士

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古代史で楽しむ万葉集 (角川ソフィア文庫)

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