【現代語訳】曲亭馬琴『南総里見八犬伝』第九輯中帙附言(稗史七法則)

南総里見八犬伝』は、文化十一年(1814)の春、平林堂(弓張月の版元)から出版しようと第一輯の企画を起こした。しかし、すでに平林堂主人は七十歳の老齢、長編の刊行を果たしきるには心許ないと、版元仲間の山青堂に譲りたいと申し出られた。私はその意を汲み、五巻の原稿を山青堂に渡した。同年の冬、八犬伝は初めて世に出ることになる。

 文化十三年(1816)の正月、第二輯五巻を刊行した。世評はいよいよ高まり、読者が続きを待ちわびること一日千秋の思いだったそうだ。その後、山青堂が欲を出して他事に耽っていたようで、刊行をなおざりにする期間があった。

 第三輯五巻は文政二年(1819)正月に、第四輯四巻は文政三年(1820)十二月に発行し、第五輯六巻は文政六年(1823)正月に売り出された。第一輯の刊行から十年がすぎていた。読者諸氏は続きの刊行を手揉みして待ちわびただろう。私は期待に応えようとしたのだが、版元の経営がいい加減で、稼ぎを他へ回したせいで元手が続かなくなり、五輯までの版を涌泉堂に売却したから、第六輯以降は版元が替わったのだ。

 そんな次第で、第六輯五巻(第五巻が上下に分かれたので全六巻となる)は、文政十年(1827)正月、涌泉堂が刊行した。第五輯の発売から数えて五年間、発刊が止まっていた。

 同年十一月には第七輯七巻分の原稿ができていたが、涌泉堂もまた金回りが悪くなった。文政十二年(1829)十月二十九日に発売された上帙四巻が、文溪堂の資金援助のお蔭だとは、当時、私は知らなかった。下帙三巻は、文政十三年(1830)正月になんとか出版された。涌泉堂は仕事ぶりがいい加減で、これは最初からのことだが、校閲を作者に頼むことをしないから本文に間違いが多かった。その上、第七輯刊行に関わる資金繰りの問題などの報告もなかったので、私も黙っていられずにあれこれ咎めたのだ。永壽堂や文溪堂といった版元仲間が、涌泉堂のために詫び状を持ってきたりするから、私もそれ以上は言わなかった。涌泉堂は今後の刊行はできないと、第一輯から第七輯までの版を売りに出したようだ。大坂のなんとかという版元が買ったと聞いている。

 さて、第八輯以降は文溪堂が版権を買った。八犬伝新旧の版権は、江戸と大坂でバラバラに持つことになったのだ。第五輯以降、版元が替わること四名。本編は終わらないのに版だけがバラバラになり、七輯までの本は、私の知らない版元が管理している現状は、思えばおかしなものだ。識者はこの事情を知って眉をひそめ、江戸の花を失ったと嘆いているとも聞く。幸いなことに、第八輯以降は江戸の文溪堂の所蔵となったから、作者の目の前で本を作るようなものだ。まあ、世の中なべてそんなものだろう。この本の運命に限ったことではない。有為転変速やかなるを思えばよろしい。

 こうして、第八輯は江戸の文溪堂が刊行した。天保三年(1832)五月二十日に、上帙五巻(第四巻が上下巻で全五巻である)を発売し、下帙五巻(第八巻が上下巻だ)は天保四年正月に続刊した。第九輯上帙六巻は、今年天保六年(1835)二月二十日に発売した。中帙七巻は、これ。また、下帙七巻は来年の春か、遅くとも秋冬の頃までには必ず刊行し、これで大団円にしたいと欲する。そんなわけで、六輯以下の分巻は六十八巻百二十八回にして、ついに完成である。これほど長大な物語本は、私もこの八犬伝以外見たことがない。もし天が作者の筆のすさみを助けてくれなかったら、二十余年の長い間、飽きることなく書き続けることも、話の終わりを世の人々に見せることも難しかっただろう。命あり、時ありて、ついに終わりは目の前である。なんと喜ばしいことか。めでたいことよ。作家冥利にかなうと思うのは、差し出がましいふるまいかな。

 八犬伝は、第五輯まで一帙五巻を一輯としている。第五輯が六巻組になったのは、第四輯の足りない部分を補ったからだ。第六輯からは涌泉堂らの頼みに応じ、六巻または七巻を一輯とした。第八輯では、文溪堂の求めにより、十巻を二帙にして一輯とした。第九輯はますます巻数が増え、二十巻を三つに分けて上帙、中帙、下帙とした。これら全てを第五輯までのように五巻ごとにまとめていけば、十三、四輯にもなっただろう。九輯に縮めたのは文溪堂の好みではあったが、いま思うと、これでよかったかもしれない。八は陰数の終わりだ。陰数としては八の下に十があるが、十は一に通じるから終わりとはしない。そして、九は陽数の終わりだ。八犬英士全伝を九輯で結ぶのは、収まりがよいだろう。

 私はかつて中国の稗史小説を見たとき思ったのだが、大作を創る上でのやり方とは言え、水滸伝は百八個の豪傑を扱い、人数が極めて多いために、史進魯智深楊志、武松など始めのほうは大活躍する豪傑が、梁山泊に入ってからは目立たなくなる。軍陣に臨んでも、いてもいなくても同じような扱いなのだ。まして百八人に入らない者は、登場こそ描かれてもその後が語られない。立ち消えしない者は稀である。

 逆に、西遊記の主要人物は三蔵法師孫悟空猪八戒沙悟浄の四人のみと少ない。そのせいか、同じような話が多い。これは水滸伝でもそうで、長物語になるほどついつい挿話が重複するのは、長年筆をとり、書き続ける苦しみを味わった私としては、まあ仕方なかろうとも思う。

 おこがましい言い方だが、八犬伝はそうならないよう、始めから念入りに準備した。水滸伝の百八人から百人を除いて八犬士とし、これに八犬女(※後述)を加え、さらに里見父子とヽ大を加えて十九人。これを主人公とする。人数は多くなく、少なくもない。水滸伝の多さと西遊記の少なさが犯した過ちの轍は踏まない。他にも忠臣義士は言うまでもなく、脇役たちさえ登場から退場まで描ききり、途中で立ち消えする者は一人もない。読者が落ち着いて最後まで読めば、作者の意図を知ることができるだろう。

 

 中国の元、明の時代に才子たちが作った稗史小説には、自然と法則が顕れている。法則とは、①主客 ②伏線 ③襯染 ④照応 ⑤反対 ⑥省筆 ⑦隠微 である。

 主客は、能楽にいうシテ、ワキのようなものだ。ひとつの物語には、ひとつの主客がある。また、一回ごとに主客があり、主が客になることも、客が主になることもある。将棋の駒のようなものだ。敵の駒を取ればその駒で相手を攻められる。我が駒を失えば、自分の駒だったそれに苦しめられる。変化するのに限りはない。これが主客の概略である。

 伏線と襯染は、似ているが同じではない。伏線は、後に必ず出すべき出来事などがある場合に、数回以前にちょっと墨打ちして置くことである。襯染は下染めであり、仕込みだ。後に大きな主眼となるものを、その妙を際立たせるために数回前から、その起こりや来歴を仕込んでおくことである。金聖嘆が水滸伝の標注に記した「縇染として」は襯染と同じで、ともに「したそめ」と読めばよい。

 照応は、照対ともいう。例えば、律詩に対句があるように、あれとこれとを照らし合い、出来事や人物を対にすることをいう。この照対は重複に似ているが、必ずしも同じではない。重複は作者が誤って前の趣向と似たのを、後になって繰り返すことをいう。これに対して照対は、わざと前の趣向の対をとって、あれとこれとを参照させる。例えば、八犬伝第九十回で船虫、媼内が牛の角で殺されるのは、第七十四回、北越二十村の闘牛の照対である。

 また、第八十四回で犬飼現八が千住川の繋ぎ船で組み打ちするのは、第三十一回に犬塚信乃が芳流閣上で組み打ちすることの反対である。反対は、照対に似ているが同じではない。例えば、牛を使って牛の対とするのが照対だ。物は同じだが、事が同じではない。反対は、人は同じだが、事が同じではない。信乃の組み打ちは芳流閣上で行われ、閣下に繋ぎ船がある。千住川の組み打ちは船中のことで、楼閣はない。さらに前者では、現八が信乃を搦め捕ろうと欲し、後者は信乃と道節が現八を捕らえようとする。その場の様子や景色が大きく異なる。これを反対という。事はあれとこれと互いに反し、勝手に対をなす。八犬伝ではこの対が多いので、数え上げてはきりがない。これを基に確認してほしい。

 省筆は、長々しい出来事の内容を、後で同じように繰り返して書かないための工夫だ。必ず聞ける立場にいる人物に立ち聞きさせることで筆を省く。あるいは、地の文を使わず、その人物の口で説明させる。作者の筆を省くことで、読者を飽きさせないようにするのだ。

 隠微は、作者が書かなかった文外に深意を置く。百年後の読者が現れるのを待ち、悟らしめるための仕掛けだ。水滸伝には、この隠微が多い。李卓吾や金聖嘆による注釈を例に挙げれば、十分だろう。中国の文人才子に水滸伝を弄ぶ者は多いが、十分に理解して詳しく隠微を明らかにした者はない。

 隠微こそ悟りがたいが、そもそもこれらの法則すら知らずに物を書く者もいるだろう。私も十分とは言わないが、八犬伝は七法則に従うところは多い。八犬伝だけでなく、美少年録、侠客伝、他も全て同じ法則が使われている。読者は分かっているだろうか。子夏曰く、小道といえども見るべきものあり。しっかり終わりを見据えて語らねば道に迷うだろう。語りとは困難な道である。

 これらのことは友人の評に対して折々答えてきたことだが、読者のために改めて記した。

(後略)

 

※ 八犬女については、第九十一回(第八輯第八巻下)に作者の注釈がある。

信乃・荘介、道節・現八、小文吾、大角、毛野、この七犬士の列伝は、すでにその趣を尽くしたり。ひとり犬江親兵衛のみ、いまだその義勇を創するに由なかりき。こは第四輯に出世の時、四歳の童なればなり。第九輯は犬江のために、立る脚色少なからず。また七烈女(浜路、沼藺、妙真、音音、曳手、単節、雛衣。伏姫と共に八犬女とす)の皆薄命なりしことの由、また八犬士の身の痣の、形牡丹花に似たるよしも、第九輯に到て分解せん。

 

f:id:ioasQ:20200417153104p:plain

 
 南総里見八犬伝 2 犬士と非犬士

南総里見八犬伝 2 犬士と非犬士