八犬伝覚書 天翔ける龍に始まり、龍女の成仏に終わる

南総里見八犬伝』発端のエピソード、里見義実・伏姫説話は、龍の目撃に始まって龍女成仏で終わる。龍女成仏とは、『法華経』巻五第十二「提婆達多品(だいばたったほん)」における悟りに至る物語のことだ(龍女のことは、義実の龍の薀蓄でも語られている)。

龍女は宝珠をひとつ持っていた。三千大千世界の価値がある。持って奉ると、仏はこれを受け取られた。龍女、智積菩薩、尊者舎利弗に言った。

「私は宝珠を献上しました。世尊は納受されました。疾くなかったですか」

答えて言う。「甚だ疾かった」

龍女は言った。「汝の神力を以て、わが成仏を観よ。世尊が宝珠を納受なさったよりも速やかに悟りに至りましょう」

このとき衆会はみな、龍女が忽然の間に男子に変成し、菩薩の行を具して、すなわち南方の無垢世界に往き、宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好ありて、普く十方の一切衆生のために妙法を演説するのを見たのだ。

  法華経提婆品は、サーガラ龍王の八歳の娘(龍女)の成仏を語って女人成仏を説く経文で、龍女の性質から獣や子供の悟りも説いている。

 伏姫が富山で読むお経がこれで、何度も繰り返し聞かせるうちに犬の八房も悟りを開くことになる。

提婆達多品は、妙法蓮華経巻の五にあり。娑竭羅龍王の女児かとよ、八歳にして智恵広大、ふかく禅定に入て、諸法に了達し、菩提を得たる縁故を説き給える経文なり。女人はこころ垢穢れる。素より法器にあらず。また身に五障あり。ゆえに成仏しがたきものなり。しかるに八歳龍女のごときは、はやくも無上菩提を得たり。すなわちこれ女人にして成仏の最初なり。かかれば伏姫末期に及びて、身のためまた犬のために、提婆品を読み給う。

 入水自殺の決意をした伏姫は、八房とともに洞穴を出る直前に、また提婆品を誦経する。ここで記述されている女人成仏は、馬琴の私見ではなく提婆品の内容を転記している。

 八犬伝の女性観に共感できる現代人は少ないだろうが、こと女人成仏に関しては、特に法華経提婆品を重宝するようではなさそうだ。第六十一回、夫を振り向かせようとして雛衣が語るセリフにはこうある。

死しての後にわらわが胸を、裂(さき)發(あばき)もし給わば、かの疑いの解けずやあらん。その折にこそ又旧の、妻と思うて朝夕に、只一遍の唱名も、おん身の回向を受け侍らば、道徳知識の十念にも、満願千写の読経にも、まして成仏しはべらん。今より久しき事ながら、おん身の齢百歳の、後を恃みて台なす蓮華をわけて俟たんのみ。

 雛衣もこのとき伏姫と同じく入水の覚悟を固めているが、ここでは自ら経文を唱えずとも成仏できると語っている(夫任せなところが少し怪しげではあるが)。この蓮華の台とは、提婆品にもある宝蓮華の座のことだ。

 この認識に立てば、伏姫が富山で提婆品を読み続けた理由も、自身の成仏のみを願ったものではないだろう。そもそも伏姫が富山に籠った目的は、祟りを後代へ残さぬよう断ち切るためだった。瀧田城から八房を連れ出すだけではない。かつて玉梓が里見家に掛けた呪いを解く、すなわち、八房の悪心を鎮めて悟りへ導くことが目的だった。だから女人だけでなく、獣や子供も悟りを開けると説き示す提婆品を「身のため犬のために」読むのだ。

 さて、ここで法華経提婆品との間に通路が開ける。間テクスト性

 龍女成仏のテクストから、まず、南方無垢世界が提示される。伏姫が成仏すれば、龍女と同じく南方無垢世界へ赴くだろう。それを南総、安房国であると定義し直したのだ。やがて犬士たちが集う安房を無垢なユートピアと発端部で示すことにより、その他の地域は穢土となるだろう。犬士たちの苦難が予告された。

 また、龍女は宝珠を釈迦仏に献上した。信乃の母、手束が滝野川弁財天(「滝」)に子宝を祈願し、その帰りに伏姫の現前に立ち会うが、このとき伏姫は左手に珠を数多持っていると描写される。ちなみに、弁財天は左手に如意宝珠を持っている。すべて思い通りに叶えてくれる珠だ。伏姫は宝珠を通じて、龍女や弁財天とイメージを重ねることになる。

 そして、変成男子(へんじょうなんし)法である。

 法華経提婆品は、女、獣、子供である龍女が成仏するには男に変成せねばならないと説く。だが、伏姫はそうなっていない。では、変成男子法は無視してよいのか。実を言うと、その効果は思わぬところで発揮されている。

『変成譜  中世神仏習合の世界』(山本ひろ子)の龍女成仏に関する一章に、変成男子法についての論がある。変成男子法は提婆品のみが説くものでなく、光明真言や薬師法、そして烏枢沙摩(うすさま)法にも見られるという。

変成男子とは、女人の切実な希求に立脚する限り、それは成就のための行法となって実践されることになる。日本では王朝期以来、変成男子法がしばしば修せられたが、来世で男子に生まれ変わることを目的とする法のほかに、未生の胎児の、胎内における女から男への転換を目的とするものも多くあった。それは烏枢沙摩明王を本尊とする烏枢沙摩法によるもので、叡山の慈恵大師良源によって始修されたと伝わる。烏枢沙摩明王は不浄を転じて清浄とする働きを持つため、この法は変成男子法に限らず出産時には広く用いられた。

 烏枢沙摩法は、皇后・中宮はじめ貴族の女性が皇子(男子)出産を祈念して行う修法だそうで、法華経提婆品の変成男子法の叡山での需要はまた違うものだったと論考は続いてゆく。

 さて、馬琴はそれを意図的に混同したのではないか。あるいは、朝廷や公家で用いられた烏枢沙摩法は、庶民(武士も含め)には伝わらないから、彼らが男児を望んだときに用いるのは、やはり法華経提婆品だったのではないか。

 いずれにしろ、伏姫は身籠っていた。裂いた胎から立ち昇った白気と混じり合った八玉が、やがて八人の犬士たちの下へと至る。

 案外見落とされがちだが、どうして犬士は男子ばかりなのだろうか。伏姫神女が珠を配って回るのは犬士誕生の前であり、男の子と知ってから選んでいるようではない。

 なぜ男子ばかりかというこの疑問は、当時の読者こそ強く抱いただろう。なぜなら、八犬伝肇輯一巻の巻頭挿絵に、八犬士がヽ大法師とともに登場しているからだ。そこでは、犬塚信乃、犬阪毛野のふたりが女の子として描かれている。しかし、実際に登場した信乃も毛野も男だった。一応、女装姿だったと説明はつくだろう。だが、本当にそうなのだろうか。本当は、信乃と毛野は女の子だったのではないのか。

 変成男子法が成就したことで、信乃、毛野も男子として生まれたのではないか。

 白地蔵(かくれあそび)と説明のあるこの挿絵は、八犬伝という物語が始まる前に配置されている。開巻して初めて物語が始まる。やがて伏姫が富山に籠り、法華経提婆品を読経する。八房が悟りへ向かう。伏姫は死に、八玉が飛んでゆく。そして提婆品の功徳が、いずれ生まれる犬士たち、伏姫の子供たちに及んだ。女児だった犬士たちも、胎児の段階で男子に変成した。富山で、運命が変わったのだ。

 犬塚信乃、犬阪毛野は、女装姿で登場することでその変成を再現している。

 これは、毛野のほうがより如実だろう。正体を隠して女として登場する犬阪毛野のなりゆきは、変成男子法そのものだった。信乃の場合と違い、自らの口で正体を明かすまで女性として描かれているのだから。

 

 巻頭の白地蔵は、あり得たかもしれない八犬士の姿だ。八犬伝が始まる以前になら存在し得た可能性だ。因果律に支配された八犬伝世界は、しかし、そもそもその因果が、伏姫の成就によって歪められているのだ。龍女成仏と変成男子法が、いま我々が読んでいる形として八犬伝を固定した。伏姫神女の神通力の大きさは推して知るべしだろう。

 

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追記

 八犬士が犬の八房の子である以上、彼らは人面獣心の誹りを受けかねないだろう。しかし、そう呼ばれることはない。あまつさえ犬村角太郎は、化猫の子牙二郎を「人面獣子」と罵ってさえいる。

 龍女成仏による変成男子法は、女人だけでなく、獣や子供の成仏を説く。その功徳によって八房は成仏した。ならば重視されるべきは、むしろ犬子が男子に変成したことではないのか。そう思って巻頭挿絵を見れば、そのタイトルは「八犬子髻歳白地蔵之図」である。犬士ではなく、犬子なのだ。