『重力の虹』のスロースロップはどこへ消えたのか?:トマス・ピンチョン『重力の虹』雑考

 トマス・ピンチョンの傑作小説『重力の虹』です。

 さまざまな物語を内包し、重ね合わせて語られる大複合小説として、不動の地位を保ち続けています。僕も大好きな小説です。

 第二次世界大戦末期、アメリカ人のタイロン・スロースロップ中尉はイギリス軍に出向している。スロースロップは女好き。ロンドンで遊んでいる。そんな彼がセックスした場所に、二日から十日以内にロケットが落ちてくる。この怪現象にイギリス軍の機関が気付いた。どうやらスロースロップの勃起とロケットの着弾に相関関係があるらしいのだが……。

 そういう始まり。

 戦争が終わると、スロースロップはドイツに渡る。追いかけてくる連中から逃げながら、なりゆきで「ロケットマン」に扮することになり、やがてロケットと関わりのある部品を探し求める。

 

 ピンチョンの小説は、よくパラノイアをキーワードに語られるけれど、『重力の虹』に関しては、あまり多用しないほうがいいように個人的に思っている。もちろんパラノイドはゴロゴロ出てくる。だが、そのテクストの構造が、被害妄想や強迫観念から陰謀の繋がりを追っていく小説とは少し違うように思える。

 複数の挿話からなるそのテクストは、線で繋げるのではなく、重ね合わせたり一体化させたりしてある。パラノイアは個人的なものだが、『重力の虹』のテクストは個人性を超えている。

 たとえば。

 作中で最も感動的、最も叙情的な「フランツ・ペクラーと娘イルゼの物語」の挿話がある。

 ロケット開発に関わるペクラーが娘と年に一度だけ会って遊園地に行くという美しいお話だ。この話だけ抜き出しても傑作と言えるが、この物語が他の物語、たとえばスロースロップと少女ビアンカの物語と重ね合わせて語られるのだ。

 ペクラーの物語のほうでも、冒頭に置かれた妻との性行為の場面は、その前段で語られた挿話と重なり合っている。

 個人的に好きなシーンは、これはまた別の挿話だが、霊媒師イヴェンターとノラとその夫の話と、イヴェンターに憑依する霊ザクサが生きていた頃の、霊媒師ザクサとレニとその夫(これはペクラーなのだが)の話が、重なって語られるところだ。大胆な三人称複数視点を用いて、スロースロップの語りにまで繋がってゆく構成がとても美しい(新潮社版(上)P 412〜P 422など。以下、ページ番号は新潮社版から)。

 こうした人物や挿話、イメージ、概念など、さまざまな要素の重ね合わせが頻繁に起きている。線で繋いだパラノイアよりも、次元がひとつ高いように感じられる。

 このことを敷衍して考えれば、重ね合わせや一体化(「合同であることと同一であることの中間にもう一段別のそっくりという段階があって」(下)P512 ともある)が行われていると分かった場合、重ね合わせたもうひとつの物語そのものは、書かずに済ませることが可能ではないか。その話自体を描かずとも、そっくりな出来事が起こったのだろうと予想されるだろうから。

 ここからが主題である。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレします。お気をつけください。

 

 

 

 

 

 

 

 『重力の虹』は、言われるほどわけが分からない小説ではない。当たり前だが、なにが起きているのかは読めば分かる。物語性が極めて高く、読んでいてとても面白い。

 なのにわけが分からないと言われる理由は、ひとつに集約されると思う。読んだ後、「?」となるポイントは、この記事のタイトルにあるように、終盤、スロースロップがどこへ消えたか分からないからだろう。

 スロースロップは主人公だ。主人公が途中で黙っていなくなって出てこなくなる。作中語られるスロースロップの最後の動向はこうだ。(※ 引用中の〈ゾーン〉とは、連合国によるドイツ占領地のこと。各国が分割統治するが、戦後すぐなので混沌としている)

(タイロン・スロースロップは)自分自身の組み立てに立ちあうために〈ゾーン〉に送り込まれた、というのだ。(中略)計画はうまく行かず、スロースロップは組み立てられるどころかすっかり解体され、散布される運命をたどる。(佐藤良明訳・以下同)(下)P655

「スロースロップは解体され、ゾーン全域に散布された」

 ……は? どういうこと?

 だけど、これのややこしい点は、読んでみると、それほど「どういうこと?」と思わないところだ。我らがスロースロップは、ゾーンに入ってから自我の流失を続け、アンチ・パラノイアと自己分析するほど自分自身を保てなくなっていた。だから解体したと言われても、そうか、スロースロップはもうスロースロップではなくなってしまったんだな。肉体までも消失したのか。と、なんとなく納得してしまうのだ。

 でも、そんなことってあるだろうか?

 

 小説は中盤から、ロケット部品を巡る争奪戦が行われている。その部品の正体がよく分かっていない。

 ロケットは二種類、登場する。所有者は、〈00000号〉とともに姿を消したドイツのブリツェロ大尉と、新たに〈00001号〉を製造したヘレロ族のエンツィアン率いるシュヴァルツコマンド(黒の軍団)。

 ブリツェロのほうはすでに発射したとも噂されるが、確かなことは分かっていない。

 エンツィアンのほうは襲撃してくる敵から逃げながら、ロケットを完成させようとしている。

 このエンツィアンが探し求める部品が〈Sゲレート〉、黒の装置と呼ばれるロケットの誘導装置だ。発射だけできても、目標に向かって飛ばさなければ意味がない。そして、それが難しい。ブリツェロもロケットの誘導には苦労し、戦中に発射していたロケットは照準がうまく定まらず、味方の陣地に落ちて死者を出すことも少なくなかった。

 ドイツの敗戦が濃厚になってきた頃、ブリツェロは持てるロケット技術の粋を凝らして、唯一無二の特殊ロケット00000号を開発した。もちろん誘導装置も開発された。その装置、SゲレートにはイミポレックスGというポリマーが使用されることは分かっているが、詳細は依然分かっていない。

 スロースロップは自分が何者か調べるうち、このSゲレートとイミポレックスGに行き着いた。そこで、Sゲレートを手に入れようとゾーンを奔走しているのである。

 

 すでに完成しているブリツェロのロケット00000号が発射されたかどうかは、明らかではない。だが、それを知る人物がいる。タナツという男が00000号の発射に立ち会ったというのだ。

 そこでスロースロップはタナツと接触を図る。

 このタナツ、登場シーンからは想像つかないが、とんでもない重要人物である。00000号発射の唯一の目撃者なのだ。しかし、なかなか真相を語らない。その彼が、ゴットフリートというブリツェロの愛人の青年を執拗なまでに気にしている。その様子は何度も出てくる。タナツも、そして妻のグレタも、ゴットフリートと娘のビアンカを重ね合わせて考えているようだ。

 グレタもまた、かつて夫とともにブリツェロのロケット発射場へ赴いたが、発射の現場は見なかった。だが、その工場にイミポレックスGがあったことをスロースロップに告げる。誘導装置と関連のある物質だけに、ブリツェロのロケットが完成していたことは間違いないのだろう。グレタもまた夫に、ゴットフリートがどうなったか尋ねようと思いながらいつも忘れてしまう。

 と、ここだけ抜き出すと、ゴットフリートが際立つように見えるが、読んでいる最中は彼のことは忘れている。ゴットフリートを極度に気にしているのは、タナツだけだ。どうしてそこまで執着するのか、結論から言えば、それはタナツがブリツェロのロケット発射を目撃したからだった。

 まず言えるのは、ブリツェロのロケット00000号はとっくに発射されていること。ところが、小説では最後のクライマックスが00000号発射シーンとなる。感動的で、大いに盛り上がるのだが、恐らくそれは発射されていただろうとは読んでいれば分かる。時間がシャッフルされて、過去の出来事が最後に語られるのである。

 読者の興味は、どちらかと言えば、エンツィアンたちが敵を避けながら運搬する00001号の発射のほうにあるのではないか。しかし、こちらのロケットがその後どうなったのか、結局、作中で語られることはない。

 ともあれ、タナツのゴットフリートへの執着の謎も解け、00000号が発射されていたことも判明して物語は閉じる。

 ゴットフリートに触れる前に、エンツィアン側について語っておきたい。

 エンツィアンはすでに、タナツからブリツェロのロケット発射を知らされている。このとき、ロケット誘導装置、Sゲレートの秘密も聞いただろう。00000号と同型の00001号に必要な誘導装置の正体を知ったのだ。まだ、イミポレックスGを素材としたSゲレートを、エンツィアンたちは入手できていなかっただろう。

 

 閑話休題

 それでは、ブリツェロの00000号発射とゴットフリートについて。タナツが目撃したものはなんだったのか。

 スロースロップが解体されて散布されたという例の記述の後で、ブリツェロの00000号の発射は語られる。ラストシーン。クライマックスでもある。このロケットに、ゴットフリート青年は積み込まれた。ロケットとともに発射される。もちろん死ぬ。だけど、イミポレックスGに包まれたゴットフリートは、そのロケット内部を温かく感じている。

 回路を埋め込んだ彼の耳に、無線の音がよどんできこえる。強くフィルターのかかった金属的な声の響き。麻酔に意識が埋れていくときの外科医の声のようにジージーする。いまはもう儀礼の言葉しか聞こえてこないが、まだ声を聞き分けることはできる。

 彼を完全に包み込んでいる〈イミポレックス〉の柔らかい匂いは、過去に親しんでいる匂いであって、彼を恐怖させることはない。遠いむかし、眠りに入るときに部屋にただよっていた、幼児期の甘美さに深く縛りつけられていた頃の匂い・・・夢の中に入りかけたときもまだ匂っていた。さあ、眼をさます時間だ。つねにリアルだったものの息の中へ。さあ、眼をさませ、すべては守られている。(下)P687

重力の虹』の記述の特徴に、重ね合わせや一体化があるのは上述のとおりだが、その顕れとして三人称複数視点というのが出てくる。他の小説では見られないくらい、かなり大胆に視点や語られる主体を切り替えていく。

 それを踏まえたとき、上の引用は、00000号発射直前のゴットフリートの語りとして始まるわけだが、後に出てくる「彼」がゴットフリートである保証はない。

 気になるのは、「幼児期の甘美さに深く縛りつけられていた匂い」という文章である。ゴットフリートがイミポレックスを知ったのはブリツェロの元に来てからで、しかも、新型ロケットの研究開発が進んでからである。00000号の開発に乗り出して以降だろう。

 少なくとも、子供の頃、イミポレックスの匂いを嗅げる環境にいたとは思えない。ゴットフリートは徴兵されてブリツェロの隊に入っている。昔から軍と関わっていたのでもない。 

 彼はその年齢に達して徴兵通知が届くのを、生意気な恐怖心ともいうべき態度で待っていた。(中略)軍隊は自分を取られた感覚が味わえて、心から安らげる。〈戦争〉がなかったとしたら、何を望んでいいかわからなかった自分にも、こんなすごい冒険の一役を与えられたのだ。(上)P200〜P201

 だが、そもそも、軍で使われるような最新技術によるポリマー、イミポレックスの匂いを子供時代に嗅いだことがある者なんて存在するのだろうか。

 それが、ひとりだけいるのだ。タイロン・スロースロップが。

 タイロン坊やは幼い頃、ラスロ・ヤンフという化学者(イミポレックスGの開発者)の実験台にされた。その実験終了後、勃起の条件反射消去が十分でなかった、ビヨンドゼロの勃起反射を消さなかったことが、この小説の始まりとなる。そのとき使われた素材がイミポレックスGだった。それから二十年以上がすぎ、彼が勃起した場所にロケットが落ちるようになったのだ。

 スロースロップの勃起とロケットの落下には明らかな関連性があった。

 それは最初から明らかにされていることだった。スロースロップは、なぜかロケットを誘導できたのである。

 ということはつまり、スロースロップ自身が、ロケットの誘導装置、Sゲレートだったのだろう。

 その後、タナツの情報をもとにして、エンツィアンたちはロケット00001号を完成させ、それを発射位置まで運搬しようとする。 

 あらゆるマシンの中で最も人間との合一が進んだこの〈ロケット〉なるもの――最も恐怖すべき爆撃の力を秘めた〈ロケット〉なるものを受け入れること・・・

 00001号は各パーツに分解される――弾頭、誘導部、燃料用および液体酸素用タンク、尾部。発射地点に着いたら、元どおりに組み立てなおさなくてはならない。(下)P635

 ここで語られる分解された「誘導部」とは、まさにスロースロップのことではないのか。

 上の引用の前段部分は原文ではこうなっている。

“(……)to take this most immachinate of technique,the Rocket――the Rocket, this most terribly potential of bombardments…”

 機械と人間との合一を意味するピンチョンの造語である、immachinate /immachinationには、machinate/machination(陰謀を企む/陰謀)が含まれている。訳注によれば、エンツィアンのみが用いている言葉のようだ。

 機械と人間の合一化という言葉からも、スロースロップの異名であるロケットマン/ラケーテメンシュを想像しないわけにはいかないだろう。

 

 では改めて、「スロースロップが解体され、散布された」とは、どういう状況なのか。文章が使役である。スロースロップ自らが自己を解体し、散布したわけではない。なんらかの外部の力が働いた結果、彼は解体され、散布された。その力とはなにか。ゾーンの不思議な魔力だろうか。カルテルの陰謀だろうか。

 もっとシンプルに理解できる答えはどうだろうか。

 スロースロップは00001号に積載されて発射された、としたら?

 そして空中で爆発したのではないかと、僕は思った。

 作中に記述はないが、エンツィアンのロケット00001号も発射された。記述がないのは、00000号発射との重ね合わせだからだ。その発射の流れが、そっくりそのまま同じだからだ。

 それでは、どこへ向かって発射されたのだろうか。

 ロケットがゾーンに向かって放たれ、空中で爆発して分解したとすれば、ゾーン全域にスロースロップは散布されるのではないか。

 なぜ空中で爆発したかと言えば、スロースロップがそのように誘導したからだろう。

 そう考えるなら、スロースロップの持ち物や破片が、ゾーン内であたかも聖遺物のように扱われている理由も理解できる。スロースロップがイエスに擬される理由もまた分かりやすくなる。もしもスロースロップが、原罪を背負って自爆したのだと考えるなら。

 そのときゾーンは、祝福されたラケーテンシュタットとして再誕するのではないだろうか。 

 

 

追記

 『重力の虹』第四部の章タイトルは「カウンターフォース」だ。しかし、この小説は奇妙なことに、対立構造が描かれない。なにしろ、戦争さえそうなのだ。裏で国家間を結んでいるIGファルベンをはじめとしたカルテルの存在が、国どうしの戦争よりも非常に大きなウエイトを占めている。

 第三部までは、ロシア人チチェーリンとエンツィアンの異母兄弟の対立がひとつの軸になっているが、この対立もやがて消えてしまう。和解ではない。消えるのだ(ちなみに、そのシーンは作中屈指の美しさである)。

 これは、対立構造としては描かれ得ない世界を描いているからだろうか。

 カウンターフォースという章タイトルだからと言って、巨大な「かれら(They)」や陰謀への反逆が見られるかと言えば、そうはならないのだ。

力と、対抗する力、衝突、そして新たな秩序の形成という弁証法的な思考に慰安を見いだすようになったのは(下)P589

 これはチチェーリンの言葉だが(原文では「対抗する力」が counterforce)、「かれら」を打倒しようとしても弁証法に組み込まれ、取り込まれるだけと暗示するようでもある。

 一方、ならず者のボーディンは、スロースロップにジョン・デリンジャーの血染めの切れ端を贈る。スロースロップの行き先を知った上での贈り物だったのだろうか。パブリックエネミーNo.1は、ボーディンにとってカウンターフォースそのものだろう。ボーディンは反逆者としてのロケットマンに期待し、「かれら」に対抗できる力があると信じたのだろう。

 思えば、ボーディンは一貫してスロースロップをロッキーと呼んでいる。ロケットマンの愛称だ。ロケット人間としてロケットと一体化すれば、人間にはできないこともできるだろう。しかし、スロースロップはボーディンの思うようなカウンターフォースにはならなかった。

 もうひとつ、ロケット落下を思わせる描写が第四部にはある。

 だが、それは警察が発するよりも大きな音だった。コンクリートとスモッグからなる全域を包み込み、遠い盆地と山脈を覆いつくす。死すべき人間の身でこれを逃れられるはずはない・・・空間的にも、時間的にも・・・(下)P692

 この挿話の舞台はアメリカだが、同じことがゾーンでも起きたのかもしれない。ロケットの落下か空中爆発。描写からすると後者だろう。着弾していれば、音がしたときにはもう遅いのだから。

 いずれにせよ、ボーディンが夢見たパブリックエネミーNo.1のような反逆は、この世界ではもう通用しなかった。

 だからラケーテンシュタットの聖人となることでしか、カウンターフォースにはなれなかった。としたら?