去年マリエンバートで:アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』雑考

「つい去年の夏も、私は、マリーエンバートで……」

エッカーマンゲーテとの対話』1824年2月29日、日曜日(山下肇訳)

 

去年マリエンバートで』という映画。アラン・レネ監督、アラン・ロブ=グリエ脚本。名作と言われ、難解と言われる。豪華なセットや衣装、巧みなカメラワークと比較して、ストーリーはミニマムで反復が多いところが難解さの原因だろうか。

 よく語られる紹介はこんな感じ。「ある男があるパーティで、「去年マリエンバートでお会いしましたね」と女に語りかけて当時の様子を語るが、女は身に覚えがないと答える。そんなことはない、私とあなたは恋に落ち、一年後の再会を約束した、と男は去年起こったことを語り続けるが――」

 これ、実は間違っている。

 男は女に対して「去年マリエンバートで……」とは語っていない。男が言ったのは、「去年フレデリクスバートで……」である。

 だから本当なら、タイトルは「去年フレデリクスバートで」であるべきだが、それは後述するとして、「私はフレデリクスバートへは行っていない」と女が答えたとき、男は平然とした態度で言う。

「それでは、別の場所だったのでしょう。カールシュタットかマリエンバートかバーデン・サルサか、それともここか」

 ここで初めてマリエンバートが登場するが、これは男が適当に羅列した地名のひとつにすぎず、場所はどこでも構わなかった。マリエンバートが特別に重視されたわけではない。

 後半、女は男から庭園で撮ったという彼女の写真を渡されるが、その写真を見た彼女の《夫らしき男》(※)がいつどこで撮った写真かと尋ね、彼女は「去年フレデリクスバートで撮ったものでしょう」と答える。

 つまり、この映画で特権化された場所は(たとえ任意のものであろうと)、マリエンバートでなくフレデリクスバートなのだ。

 

※ 映画は男の記憶に基づいて語られるため、彼がよく知らないこの男が何者なのか確定されることはない。あくまで《夫らしき男》だ。

 

 だとすれば、そもそもマリエンバートはどこから出てきたのか。どうしてタイトルに無関係な地名が用いられているのか。

 脚本を担当したアラン・ロブ=グリエは、ヌーヴォーロマンを代表するフランスの小説家だ。この新しい小説は反小説とも呼ばれ、物語の意味を解体、剥奪してゆく小説だった。ヌーヴォーロマンには、意図的に意味を無化したタイトルも多い。そこでフレデリクスバートでなくマリエンバートなのはヌーヴォーロマンらしい戯れだと言われればそこまでの話になり、カールシュタットでもバーデン・サルサでもカールスバートでもよかったことになる。

 いま、むりやりカールスバートを混ぜ込んでみたが(列挙する保養地はどこでもいいのだ)、このとき男が口にした地名にカールスバートがなかった事実が、かえって意味深長に思えてくる。ヌーヴォーロマンの脱意味指向が働いたとするなら、意味を与える言葉は排除しなければならなかっただろう。しかし、排除という意志が垣間見えたなら、そこには意味が生まれてしまうだろう。

 マリエンバートとカールスバート。この二つの地名がもしも並置されていたら、それらはフレデリクスバートやカールシュタットやバーデン・バーデンなどより意味をもって浮き上がって見えただろう。

去年マリエンバートで

 だれがその言葉を口にしたか? 次の年にマリエンバートの記憶を他者に語った人物がいるなら、それはゲーテだ。それが冒頭のエッカーマンによる記録である。

 ゲーテとマリエンバートの深い関わりを、ロブ=グリエが知らないわけがない。

 

 ゲーテ後期の詩作に「マリーエンバート・エレジー」という抒情歌がある。邦訳では「マリエンバートの悲歌」のタイトルで収録されず、「情熱三部曲」二番として「エレジー」とか「悲歌」と呼ばれることが多いようだ。

 1821年7月、ゲーテはマリエンバートへ湯治に赴き、以前に思いを寄せたことのあるアマーリエ・フォン・レヴェッツォー夫人と再会した。夫人は三人の娘を連れていた。その長女がウルリーケ・フォン・レヴェッツォー、十七歳。ゲーテはウルリーケに恋をした。翌年も翌々年もゲーテはマリエンバートへ行き、レヴェッツォー母娘と夏を過ごした。そうするうちにウルリーケへの恋心はどんどん募り、ついに十九歳のウルリーケに求婚した。ゲーテはこのとき七十四歳だった。

 1823年8月18日、老ゲーテの娘に対する恋情を知ったレヴェッツォー夫人は、娘たちを連れてカールスバートへ移った。ゲーテはマリエンバートに残って絶望の日々を過ごしたが、8月25日、ウルリーケの後を追ってカールスバートへ向かった。その地でしばらく共に日を送り、9月5日、ゲーテは訣別を覚悟してカールスバートを発った。「悲歌」の詩作はここから始まったらしい。

 ちなみに『去年マリエンバートで』では、去年の今頃はひどく寒くて池が凍った云々と異常気象について客たちが話すのを傍で聞き、男は、あり得ません、もう夏でした、と女に言っている。ゲーテが恋に浮かされ、求婚して断られ、永遠に彼女と訣別した「去年」とは、1823年の夏のことだった。

 

(「マリエンバートの悲歌」は)他の詩と違って、それぞれが現在の瞬間として言語化されている。「現在にすべてを賭けた」とゲーテは言う。「現在には現在の権利がある。その日その日詩人の内部から溢れでる思想や感情はすべて表現を要請する」という彼の信念に忠実な構造であるといえる。(内藤道雄)

 

「マリエンバートの悲歌」でゲーテが試みたのは、記憶の現在化だった。それほど長くない詩だが、一気呵成に書き上げられたものではなく、居場所を移しながら書き継がれた。悲歌が描いた世界は常にゲーテの目の前にあって、いままさに体験しているように語られる。そこに記された記憶は過去のものではなく、現在の体験なのだ。

 そしてゲーテ自身、自らの傷を癒すために書き上げたその詩を他人に繰り返し朗読させて聞き続けたそうだ。そうやって何度も何度も聞くうちに心が回復したと本人は言った。

 この挿話から、私はキルケゴールの謂う「反復」を思い出す。

反復と追憶は同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけの違いである。つまり追憶されるものはすでにあったものであり、それが後方に向かって反復されるのに、ほんとうの反復は前方に向かって追憶される。だから反復は、それができるなら、ひとを幸福にするが、追憶はひとを不幸にする。(キルケゴール『反復』 桝田啓三郎訳)

去年マリエンバートで』に流れている時間の観念も同じものに思える。劇中で語られるのは男の記憶だ。だからこそ、この映画には過去が存在しない。

 人がなにかを思い出すとき、そのなにかは過去ではなく現在にある。想起を経験しているのは現在の自分である。

 難解と言われる理由は、現在と記憶が地続きに描かれて境がないからだろう。しかし、その二者の間にそもそも境はないのだ。もっと言えば、劇中で現在とされている時間(「去年お会いしましたね」と男が女に語る時間)も、男の記憶かもしれない。記憶は語られることで現在として現前し、反復される。すなわち、前方に向かって追憶している。

 こうして、ラストの語りに撞着する。

 その庭園は平面だから迷うことはないと彼女は思うだろう。男がそう独白する。だが、女がその庭で迷い続けるだろうと男は知っている。永遠に、彼とふたりで。

 平面とは、奥行きのない時間のことだ。過去や未来との境がなく、すべてが記憶となり、思い出されたときだけ意識するそれら記憶は、常に現在にある。女が迷いこんだのは平面な現在であり、人生とは想起でしかない平面だと暗示している。

 

 いま/ここが全てなら迷いはないように思えるが、過去や未来の奥行きもなく、どれが本当に起きたことか、これから起きることか、その真偽の判断がつかないことは迷いそのものだ。すでに書かれたテクストを繰り返し読む行為にも似て、書かれた言葉がたとえ真実だとしても、解釈は常に固定されるわけではない。いつ書かれたかは問題ではない。テクストには、それが読まれるいま/ここ以外の時間はない。

 ここに『モレルの発明』との相違点がある。このビオイ=カサーレスの小説は、清水徹の訳者解説によれば(ヌーヴォーロマンの訳書も多い)、『去年マリエンバートで』の着想元の可能性がある。ただ、その情報に囚われすぎると類似性ばかり追うことになりかねないので注意が必要かもしれない。

 大雑把に言うと、『モレルの発明』は記録に入り込む話であり、『去年マリエンバートで』は記憶に入り込む話だ。これは似ているようでかなり違う。記憶は反復されれば事実を変えるが、記録された事実は本質的に変化しない(キルケゴールの言葉では「追憶」に近い)。

 この映画がタイトルに「マリエンバート」を持ってきたのが意図的であれば(前述したとおり、特権化された場所はフレデリクスバートだ)、より容易に想起されるのはゲーテの悲歌のほうに思えるのだが、どうだろうか。

 

 

 さて、この映画には詩が登場する。ゲーテではない。リルケの『形象詩集』だ。

 1:08:23。女が男から渡された自分の写真(庭園で撮られた彼女の記憶にない写真)を挟んだ本がそれで、開かれた右ページは写真で隠れているが、左ページは全文映し出されている。

In solchen Nächten wissen die Unheilbaren:

wir waren...

Und sie denken unter den Kranken

einen einfachen guten Gedanken

weiter, dort, wo er abbrach.

Doch von den Söhnen, die sie gelassen,

geht der Jüngste vielleicht in den einsamsten Gassen;

denn gerade diese Nächte

sind ihm als ob er zum ersten Mal dächte:

lange lag es über ihm bleiern,

aber jetzt wird sich alles entschleiern ―,

und: daß er das feiern wird,

  fühlt er...

 リルケ『形象詩集』に収録された「あるあらしの夜から」の一節である(ドイツ語だ。念のため)。「題詩を伴なう八葉の詩」との詞書どおり、八つのパートに分かれている。カメラが捉えたページは、その五番目の詩だ。

 以下、生野幸吉訳。

<5>

こうした夜々に もう癒る望みのない病者らが想いだす

われらはこうこうだった……

そしてかれらは患者のあいだで

ある単純な良い考えを追う

その考えが途切れるところまで追いつづける

しかしかれらが残した息子らのうち

きっと いちばん末の子が ひどくさびしい通りをあるくだろう

なぜならちょうどこうした夜々に

はじめてこんな考えが浮かびそうだから――

長らくぼくのうえには鉛のような感じがのしかかっていた

それがいま 万物はヴェールをぬぐだろう――

そして自分が そのことを讃えるだろうと。

  かれは感じる……

 見開きの右ページ、写真で隠された節のほうが象徴的かもしれない。

<6>

こうした夜々に街という街は似てしまう

どれもが旗で飾られる

その旗をみなあらしにつかまれ

髪をつかんでひきずられるように

おぼろげな輪郭や川をもつ某国へ

さらわれてゆく

するとどの庭のなかにも池があり

どの池のほとりにも同じ家があり

どの家にもおなじあかりがともり

そしてすべての人が似かよった様子をして

顔に両手をあてている

 

 詩は続き、こう終わっている。

「まもなくだれかが/彼女に求婚するだろう」