【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部3

近世説美少年録

 

 

3 白蛇と大鳥

 

 大江弘元は手勢を指揮して洞穴の前後を塞いだ。彼の精兵三十余人が逃げる山賊を斬り伏せ、生け捕り、勇猛果敢に休む暇なく賊を誅し続ける。

 一方、川角連盈は慎重に隙を窺っていた。この死地を切り抜けようと頼みの手下十余人を己の前後に立たせ、抜け道から脱出を試みた。

 が、弘元はこれを見透かし、「あれだ、逃がすな!」と激しく下知すると、賊の行く手はたちまち寄せ手に遮られた。五、六人の山賊が一斉に刃を抜いて罵声を荒らげはしたが、すでに賊徒は狩場のイノシシよろしく追い詰められていた。めいめい勝手に逃げ道を探り、もはや足並みはいっさい揃わず、痛手を負うた者から元の穴へ戻される。そこへ南に陣取っていた寄せ手が洞穴へ押し入り、手当たり次第に賊を討った。賊の悲鳴は止むことなく飛び交った。

 そこへ突如、薄暗い洞穴の中を激しい音が轟いた。次の瞬間、辺りは不気味な静寂に包まれた。見れば、弘元の先手二人が地面に倒れていた。

 川角頓太連盈が鉄炮を放ったのだ。

 ――鉄炮

 未だ世に知られていない、九州の島人が密かに伝えた舶来の新兵器である。見知らぬ武器の威力を目にした大江弘元勢は、なにが起きたのかさえ理解できずにいた。たった一発の銃砲で彼らは耳鳴りを起こした。耳の奥でぐわんぐわんと反響する凶音に頭を揺らされ、戦うどころではなくなった。勇猛な兵たちがほぼ無意識に怯え、左右へと退いた。

 隙を得た連盈がイナゴのように抜け穴から躍り出る。

「あれが連盈ぞ!」弘元が声を振り立てて「川角、待て!」と自ら呼びかけると、連盈は鉄炮に弾丸を込めようと取り直す。

 敵がなにをしているか弘元には分からないが、禍々しさだけは否応なく感じ取った。とっさに手裏剣を打った。狙い違わず、敵の右腕を貫く。からりと金属音がしたのは、連盈が鉄炮を取り落としたのだ。そして、それはそのまま谷底へ落ちていった。

 武器の行方に構わず、弘元はまっしぐらに間合いを詰めた。連盈もまた腕に刺さった手裏剣を引き抜くや、矢声を掛けて弘元めがけて投げつけた。弘元は慌てずそれをかわして刀の柄に手をかける。連盈のほうこそ先に刀を抜こうとし、駆け寄る弘元は己の柄から手を離し、相手の柄を掌で押さえて抜かせない。二人は同時に組打ちに掛かった。

 川角連盈もまた猛者だった。互いに上になり下になりしながらもみ合った。が、手裏剣で右腕に深手を負ったのが祟った。弘元の膝に押さえ込まれ、それでもなお跳ね返さんと抵抗したものの、弘元の手勢五、六人にのしかかられ、ついに縄を掛けられた。

 この襲撃によって討たれた山賊は三十余人あった。生け捕りは十人余り、辛くも逃げ得た者はわずか二人だった。

 

 寄せ手側も負傷者を出したが、鉄砲で撃たれた者も含めて幸いにも死は免れた。大江弘元は手勢を呼び集めて、手柄を立てた者を褒め、疲れた者をねぎらい、負傷者をいたわった。生憎、薬の用意がなかったため、素陀六夫婦から贈られた草の葉を押し揉んで傷口につけさせたのだが、すると、たちどころに痛みは去り、ほどなく傷も癒えてしまった。

 そうこうするうち、この日も暮れ果てた。

 兵たちは枝を伐って夜通し火を焚き続け、生け捕りを監視して夜明けを待った。やがて東の山の端が白む頃、弘元はふと思い立って、

「かの鉄炮とかいう武器は珍しいものだった。川底を探れば見つかるかもしれん」

 と、水練上手を谷へ下ろした。半日ほど川底を漁らせたが、瀬が速い場所で、すでに押し流されたらしくなにも見つからなかった。

 同じ頃、洞穴を検分した弘元主従は、三、四百両もの金銀を発見した。さらには調度や衣服、酒器などもあり、ここで生活するのに不便はなさそうだった。

「この洞穴を放っておけば、いずれ別の山賊の巣穴となるだろう」そう案じ、弘元は手勢に命じた。「金銀のみを運び出し、他は焼き崩せ」

 兵たちは伐採した材木を使って洞口を前後から燃やした。石造りの戸が炎に熱されて砕けると、前後の洞口を埋め尽くした。もはや何人も穴へ立ち入ることはできなかった。

 午後、大江弘元は生け捕った山賊を引き連れて下山を開始した。連盈は右腕に深手を負い、しかも最もきつく縄で縛られたため苦痛に堪えず夜通しうめいていたが、この下山の途中で死んだ。連盈以外にも重傷の虜囚は五、六人あり、弘元はこれらを山に置いていくことにした。連盈の首だけを斬って兵に持たせ、生き残りの賊どもを引っ立てて歩かせた。夜は麓近くの寺に投宿した。

 その寺で幕府軍の安否を問えば、総大将大内殿自ら軍勢を率いて阿蘇山古城を攻めたとの噂だった。弘元は焦った。連盈捕縛に日を費やしすぎた。菊池武俊征伐に遅れるなどあってはならなかった。明日は未明に出発し、夜を日に継いで急ごう。

 翌日、弘元は払暁に宿を出て馬の脚を速めた。道中は草の葉を舐め続けるだけだったが、効き目は持続した。荒れ寺だろうと野宿だろうとぐっすり眠れて気力も充実した。素陀六夫婦への恩義を新たにしつつ、弘元はひたすら先を急ぐ。

 

 阿蘇宮司の屋敷から阿蘇谷の陣へ戻った大内義興は、大友親春、太宰教頼と協議を始めた。

「菊池武俊は阿蘇山の古城からとっくに逃げ失せた。肥後の賊徒はもはや絶えたと言えよう。都へ帰り、そのように報告をすることになる。大友、太宰各人は我々とともに上洛し、今度の証人となれ。今次の征伐はこれにて終わりだ。原田以下の者に暇を取らせる」

 それから、原田、山鹿、宇佐、千手、酒殿、立石ら諸隊の将を本陣に招き、征伐以前に賊徒に逃げられた現状を説明した後、彼らを領地へ帰すと告げた。一方で義興は、菊池武俊の居場所が知れたならば速やかに討伐せよ、と念を押すことを忘れなかった。

 さらに翌朝には、諸将が次々と阿蘇谷の陣を引き払い、めいめいの領地へと帰っていった。大内、大友、太宰の三将にも大軍は不要となったため、帰洛前に自兵の大半を本国へ帰した。残した四、五千人を引き連れ、大内義興は最初に陣を張った阿蘇沼へ引き返した。

 

 阿蘇弁才天別当は、鱗角院法橋といった。

 彼は、管領代大内義興が都から大軍を率いて阿蘇沼ほとりに本陣を布いたとき、長年関係が続いた菊池氏からの報復を恐れて出迎えず、山林にこもって様子を窺っていた。

 いま、菊池武俊は逃げて阿蘇山城は破却された。総大将大内義興が大友、太宰両将を引き連れて阿蘇沼へ退却すると伝え聞いたのも、それを知った後だった。

 鱗角院は悩んだ。

 ……先日は菊池との旧縁から己の行方をくらまして大内殿とは面会せなんだが、すでに武俊はいない。征伐隊は無血で動乱を治めたという。大内殿が再び当社の近くに陣営なさるというのに、またも出迎えを拒めば後日の咎めに遭うのではなかろうか。ここは菊池氏が建立した神社ではあるが、わしは武俊の謀叛に関わったわけではない。こんな些細な菊池との縁で出家が処刑されることはあり得まい。よし。今度は大内殿を出迎えたほうがいいだろう。

 大内義興は士卒百人ほどを連れて、大友親春、太宰教頼とともに阿蘇沼のほとりを散策していた。やがて弁天社の社頭へ着くと、ここに床几を据えて会議を開いた。ちょうどそこへ鱗角院は行き合わせたのだ。大内家の近臣に名簿を渡して取り次ぎを申し入れた。

 義興は鱗角院を召し寄せ、社頭で対面した。鱗角院がおそるおそる帰陣の喜びを述べると義興は嘲笑い、

「以前もこの地に軍兵を駐屯させたが、院主は我々を一度たりとも出迎えなかったな。いま菊池武俊が落ち失せ、我らもやがて退陣となるだろう今日に至って姿を見せるのでは如何にも遅かろう。この神社は菊池の父祖、菊池武光の代に建立されたと聞く。どうやら院主は武俊びいきのようだ。いまも菊池との旧縁を大切にし、菊池の旗色を確かめたために遅参したのだ。そうであろうな」

 なじるように語調が強くなり、鱗角院は青ざめた顔を上げた。

「滅相もございません。たしかに当社は菊池氏による建立ですが、歳月を経たいまとなっては菊池の末裔は父祖に似ず、信仰はおろそかで、兵乱によって荒れ果てた社の修復さえ行いません。そのために某らは金策に走り回り、ご来陣の折も他郷にあったために見参に及びませんでした。うかうかと見参できずにおりますうちに再度ご下向のよしを聞き及び、昨日、帰院仕った次第でございます。ご賢察いただいてお許しを願うのみです。南無阿弥陀仏

「その理屈めかした弁解が事実とは思わぬが、ともかく、この神社は菊池の祈願所である。逆徒を守護する神なのは問わずともたしかなことだ。よって、菊池武俊追討のついでにここを壊すことにした。そう心得ておかれよ」

「なんともったいないことを仰せられますか。たとえ菊池が建立しようとも、土地に祀られた弁才天安芸国厳島の神と一体です。菊池氏滅亡こそ当神社の神が彼を見放し給うたからでございましょう。いまさら神社を破却したまうとは感心しがたきご命令。当社はいまや菊池とはなんの関係もございませぬ。寛容なご沙汰を願い奉るのみでございます」

 大友親春が太宰少貳と目配せを交わし、義興を諌めるように口を開いた。「別当の訴えには捨てがたいところがあります。鬼神は敬して遠ざけるべし、とも言います。凡夫と同じように征伐するのはもったいないことです。どうか賢慮をめぐらしくだされ」

 太宰もまた同じように言い添えると、義興は穏やかな態度でわずかにうなずいた。

「某とて権威を誇って神を神ともせぬ振る舞いなど好みはせぬ。鱗角院の遅参が疑わしいため、内心を試さんとして言ってみただけだ。諸将がそう言うならば、本社はこのままにしておくことを許そう。しかし許しがたきは、当神社に巣食った毒蛇のことだ。この地に陣を布いたあの夜、沼水がにわかに荒れて数多の人馬を損なったのは神の祟りだとみなが言う。大蛇であろうと鬼であろうと、幕府から逆徒討伐を承った我が軍兵を害したならば、これは邪神だ。毒蛇を退治し士卒の魂を祀らんため、阿蘇谷からこの阿蘇沼へ来る途中に焔硝、硫黄の火薬を多く買い集めてきた。辺りの樹を伐らせ、薪も数多用意した。聞くに、件の毒蛇の穴がこの社頭にあるそうではないか。東の方角に歳月を重ねて榎が見えるが、おそらく、そこらに毒蛇の穴があるのであろう。さあ、みな立て! 行って毒蛇の穴を探るのだ!」

 鱗角院はすっかり青ざめ、慌てて発した声も震えた。「お怒りは分かりますが、当社の白蛇神は霊験あらたかにして祈る者へのご利益は多うございます。元は雌雄の白蛇でして、夏四月から秋九月の頃までは穴を去って沼の底におります。また冬十月から春三月までは沼を出て穴の中におります。雌雄が代わる代わる穴から出、沼水を飲みたまうのを見た者もあるようですが、恐れて近寄りはしなかったと言います。大榎は祠から五、六十間のところにございます。幹の太さは十人が腕を伸ばしてなお余る巨木で、冬から春にかけて、たしかに白蛇は幹にできた虚の中にお住まいになられているとか。しかれども、かような霊蛇をどうしてたやすく退治できましょう。たとえ管領様のご威徳で焼き滅ぼされたとしても、後の祟りを如何なされましょうか。どうか、こればかりは思いとどまってくだされ」

 義興は聞く耳をもたなかった。

「またもくどくどとのたまうつもりか。毒蛇を神と敬うなどは愚民を惑わす売僧の奸計であろう。武士たる者が欺かると思うか。わしを止める者があれば、それらも穴の焼き草にしてくれる。毒蛇の祟りが恐ろしいと言うて軍令に逆らうのか。どうだ、はっきり言ってみろ!」

 その表情は凄まじく、なにかに憑かれたかのようだった。鱗角院は恐れ惑ってもう口を利けなかった。大友と太宰も黙り込み、「まことに仰せのとおりです」と答えるだけだった。

 むしろ、士卒たちのほうが正直だった。彼らはみな祟りを恐れて立ちすくんだ。その様子に義興はいっそう苛立って、

「なにをしている。毒蛇が沼にいるなら退治するのも難しかろうが、春の末のいま時分なら穴にいるのは疑いなかろう。さっさと始めんか!」

 そう叫んで床几を蹴倒し、自ら大榎のほうへ歩きだした。大友親春も太宰教頼もまた士卒もろとも義興の後に随った。鱗角院も弟子を連れ、気落ちした足取りでついていった。

 

 義興の興奮は治まらなかった。大榎の大木を仰ぎ見れば、いったいどれほどの歳月を経たものか、太い枝がいくつも四方に茂り合い、日差しを遮っていた。そして、その巨大な幹の内側が朽ち、虚になっていた。筵が十枚ほども敷けそうなほどの広さだ。大きな枝と枝の間に注連縄が渡され、その下にはささやかな鳥居が建っている。義興はこの大榎をつらつらと眺めて嘲笑い、

「さっさと焼き草を虚の内へ積み入れよ。焼き殺すのだ。急げ!」

 猛々しく声を荒らげた。

 兵たちは用意していた薪や焔硝、硫黄を大樹の虚へ次々に投げ入れると、火を移してついに焼き始めた。

 義興はまばたきもせず見守った。猛火が吹き出して幹を焦がす。炎はどんどん立ち上り、大枝、細枝を焼き落としながら急速に火勢が増していく。虚の内と幹の外に積み上げた薪には硫黄と焔硝が混じり合っている。それに引火し、凄まじい爆破音が轟き渡った。煙が虚空に満ち満ち、炎は有頂天に届かんとするほど盛った。辺りの土まで焦がした火勢は坤軸にまで通るのではないかと思われた。見る人はみな魂消て胸の潰れる思いだった。

 薪が尽きようとすれば、もっとおびただしい量の焼き草が虚に投げ入れられた。ここまですれば霊蛇も神龍も逃れられまい。義興はそう思った。

 大榎は燃え続けた。巳の刻に始まった燃焼が申の頃まで及んだとき、この世にも稀なる大榎の幹が焼け砕けて、ついに倒れた。その瞬間は大地が震えた。百千の雷が一度に落ちたような轟音が辺り一帯に響き渡った。

 そのときだ。

 燃える大榎から、二筋の白気が煙を突き破るようにして中空へ上り、見る間にそれが二匹の白蛇になった。煙の中に唐突に現れたその二匹の蛇は、それぞれ二十尋余りの長さがあり、真っ白な絹を引くように東へなびき西へ流れてひらひらと閃いた。

 ……と、

 沼のほとりから突然、美しい山鳥とたくましそうな雄の野雉がはばたき出で、空高く翔けた。鳥たちは白蛇を追った。そして白蛇の身からは薄墨色の二匹の蛇が現れ出で、その鳥たちと戦い始めた。さらに数多の小蛇が空中に出現し、薄墨の蛇の戦いを援護しだした。

 山鳥と野雉は蛇に敗れ、いまや命さえ危うく見えたが、沼のほとりから巨大な雎鳩と一羽の錦雞が空へと舞い上り、山鳥、野雉と力を合わせ、薄墨色の二匹の蛇と数多いる小蛇を追い散らしては突き落とし、突き落とした末には、鳥たちが一丸となり二匹の白蛇を討つべく突進を開始した。

 白蛇に恐れる気配など微塵もなかった。堂々と頭をもたげて舌を突き立て、その四羽の鳥をひと呑みに呑もうとした。それらの争ううちに、西のほうから鷲よりも大きな一羽の孔雀が翔け来たって、山鳥たちの援軍となり、白蛇を攻め立てた。孔雀は嘴で大きな蛇体を突き貫き、そうして二匹の白蛇は地上へ墜落していった。

 その瞬間、突如として疾風が吹き荒れ、一帯の砂を巻き上げた。その砂に覆われて空の色が朧になったと思うや、いまのいままでそこにいたはずの二匹の白蛇も五羽の鳥もどこへ行ったものか、かき消えたように影さえ見えなくなった。

 これは前兆だった。

 後に大内家に大奸雄の逆臣が現れ、徒党を組んで主人を惑わし、家そのものを倒すに至るだろう。そのときには義勇の少年があり、また毒悪なる少年があるだろう。良善の少年は艱難を受け必死の厄に及ぶとも、両雄の侠客とともに善に与して悪を討ち、世の英雄と出会って奸悪を滅ぼして大内領の中国七ヶ国を治めるだろう。

 これがその前兆だとは、神ならぬ身のだれに知られようか。

 だれもがこの奇怪な光景に驚き、怪しみ、祟りがあるのかどうかさえも測りかねた。大友太宰の両将も慨嘆するばかりだった。だれも言葉を発さなかった。あれほど猛々しく興奮していた大内義興さえが、いまや呆然とし、まるで酔ったように放心していた。

 

 大江弘元が山賊連盈の首級と生け捕りを連れて阿蘇谷の陣に到着すると、総大将大内義興はすでに大友、太宰とともに陣払いして阿蘇沼の本陣へ退いた後だった。弘元は義興の後を追って道を急いだ。

 ようやく沼のほとりに到着したとき、義興が霊蛇の祟を憎んで蛇穴を焼こうとしていると聞き、驚き、危ぶみ、ともかく諌めなければと本陣にも入らず阿蘇弁才天の鳥居前まで駆け寄ると、霊蛇の霊魂が煙の中から虚空はるかに飛翔し、五羽の鳥と戦う様を図らずも目撃することになった。弘元主従はひとしく驚愕し、大いに怪しんだ。

 弘元が受けた衝撃は大きかったものの、口も利かず本心を心に秘め、怪異が治まってから改めて社頭へ入って義興の前に見参した。

 以前この神社を本陣としたときに行った弘元の諫言は、不幸にも的中した。義興は沼水の祟りで数多の兵を失ったことを内心恥じたが、弘元への同情は湧かなかった。むしろ、あの夜弘元が帰らぬ人となったときはもっけの幸いと安堵したほどだった。

 その弘元が手勢を連れて帰着したのだ。義興は喜ばず、密かに憎くさえ思ったほどだ。しかし表情や態度にそれを出さず、弘元を近くに招き寄せると微笑して言った。

「沼が荒れた夜、そなたは手勢とともに流され、亡き人となったとばかり思うていたが、今日、無事に帰ることができたのはなにか事情があるのだろうか」

「仰せのとおりです。某は漂流して死を覚悟しておりましたが、幸いにも漁師に助けられました」

 そこで弘元は素陀六夫婦への恩義から語り始め、飯田山での山賊退治まで隠さず語り尽くした。

「菊池武俊と縁のある山賊を討伐できましたのは、将軍家と管領のご威福によれるものです。遅参いたしましたが、ここにその賊の首を持参いたしました」

 この意外な土産を義興は心から喜んだ。興奮を冷ますように何度も自分の額を撫でながら、「かたじけなくも武俊討伐の総大将を承った甲斐もなく、賊徒は早々に逃げ失せ、一度も刃を交えることはなかった。あまつさえ、不慮の水火によって大勢の士卒を失い、帰洛の日に将軍家へ申し上げる言葉もないことをどうすべきか迷うていたが、図らずもそなたが菊池武俊一味を討ち滅ぼしたことは莫大な手柄だ。ここは社頭ゆえ、首実検は本陣へ戻ってからにしよう。この地で士卒を大勢失うたのは、この社頭に棲む毒蛇の仕業と噂になった。その毒蛇を殺さずしてなにをもって死んだ士卒の魂を慰むべきか。いま蛇穴を焼き崩し、我らの怨みを晴らした。これで本陣へ帰ることができる。備中介も長旅の疲れをせいぜい憩われよ」

 大内義興は心のうちで呟く。

 ……初めから大江弘元の博士ぶった態度は不快だった。諫言が的中したのだからなおさらわしを侮るだろう。そう見做していたが、案に相違し、弘元は思いも寄らぬ手柄を立てて戻った。菊池の残党たる山賊の首級をもたらした一事は、なによりもわしに対する忠義の証だ。この上まだ妬ましいと執念深く弘元を忌み嫌うほど、この義興も人でなしではないぞ。

 事実、義興は弘元と打ち解け、その後は懇意となった。大友や太宰、それに大内の老臣、近習もまた弘元を大いにねぎらい、だれもが褒めちぎった。

 

 雑兵に火を消させて灰を掻かせた後で、義興は弘元とともに蛇穴に近付いた。じっくりと観察しながら歩き回った。白蛇は火攻めの苦しみに堪えきれなかったようで、穴から半身を出して焼け死んでいた。焼け焦げた白骨死骸はふたつあり、それぞれの頭骨は挽き臼くらい大きかった。その周りには小蛇の骨も多く見られた。

 身の毛もよだつ光景だ。

 大内義興だけが異様なこの景をつくづくと見つめ、微笑さえ浮かべた。

「みな、なにを思うているのだ。霊蛇などは虚名にすぎん。まことに霊験があるならば、雲を起こして雨を降らせ、この火の被害を避け得たであろう。しかし、どうだ。ここに残るのは焼かれた後の骨のみだ。これこそ霊験などなかったことの証ではないか。煙の中に現れた妖しの物も見る者の迷いであったのだ。疑心、暗鬼を生ず、とことわざにもいう。それも理由あることらしい。忘れるな。蛇霊などと語って他人に笑われれば武士たる者の恥だ。しかとそう心得、兵どもにも余計な口を叩かせるな」

 家来たちは額づき、うやうやしく承った。事は終わった。義興はもはや蛇への興味もなくし、社頭を出た。多勢を前後に立たせ、三歳馬の手綱を繰って陣所へ帰った。大友親春、太宰教頼は途中で別れてそれぞれの陣へ退いた。

 それから大江弘元は義興の陣所に入り、川角連盈の首と生け捕りの実検に備えた。分捕りの金銀も義興に披露した。

 生け捕りを京都まで曳いては行けぬと、義興は彼らの首をその場で刎ねさせ陣前に晒した。連盈の首級のみ都へ持ち帰ると決めると、この地での用件はこれですべてなくなった。

 

 夜、義興は弘元を陣屋に招いた。

「明朝、大友親春と太宰教頼を伴うて帰洛の途につく。そなたは大手柄があったゆえ、ともに都へ参らせるつもりでいたが、菊池武俊の行方がいまだ知れぬ。肥後に隠れたままでいれば後顧の憂いとなるであろう。そこで、そなたにはしばらくこの地に残って奴の居場所を探ってほしい。かようなことに熟達した者がそなたの他にあるとは思えぬ。某が凱陣した日にはそなたの手柄を抜かりなく将軍家に報せるゆえ、恩賞のご沙汰は必ず後日届くであろう。当座の引き出物として、賊の巣穴から分捕った金銀すべてをそなたのものとしたまえ」

 懇ろにそう説いたが、弘元は金を受け取らずに謹んで答えた。

「長年の兵乱のために民は疲弊し、お上の財政も乏しいこの折、この金銀を受け奉ることは臣たる者の志ではありません。お許しください」

 何度も頑なに辞退して決して受け取ろうとせず、義興はますます賞嘆した。実に廉直な人だ、武士たる者はだれもがこうあるべきだ、と褒めそやした。

「しからば、その金銀は水火のために死んだ士卒の妻子たちに分け与えよう」

 義興はそう答えた。

 

 大内義興の陣屋を出ると、弘元はようやく考える時間を持てた。

 ……我ら主従の命を救い、山賊を討てと教えてくれた素陀六夫婦、彼らこそが阿蘇沼で歳を経た雌雄の白蛇の正体だったのだろう。漁師の名は子自素陀六だった。妻の名を綾女といった。素陀の「素」は白。「陀」は、蛇の字の旁だ。「子より」数えて「六」番目が巳でこれまた蛇だ。蛇の異名は「あやめ」という。

 ……間違いない。あの白蛇こそが素陀六と綾女だったのだ。

 ……命数が尽きたと言った。仇に迫られ死期が近いと言った。大内殿に焼き殺されることをかねてから知っていたのだろう。霊蛇でさえも前世からの報いからは逃れられないものなのか。穴から逃げずに猛火を受け、灰燼となって命が失せたことが、かえすがえすも不憫だ。

 あのとき弘元は、立ち上る煙の中に二体の白蛇を見た。あれが彼らの魂だったのだろうか。そうだとしても、ならば白蛇に打ち勝ったあの五羽の鳥となんの因縁があったのだろうか。天機は測りがたい。しかし、霊蛇を殺した管領の行く末は安寧とは行かないだろう。たとえ義興自身が業の報いを受けずとも、必ず子孫のためによい兆しとはならないだろう。

 

 翌日、大内義興は大友親春と太宰教頼を伴って、三将の軍兵合わせて四千余騎とともに帰洛の途についた。大江弘元は阿蘇郡にとどまり、菊池武俊の行方を探索することとなった。この逗留の間に、弘元は鱗角院と相談して白蛇の骨を埋め、灰を寄せて塚を築き、墓標として若木の榎を植えた。やがて、土地の者はこれを蛇塚と呼んだ。

 同年の秋、大江弘元は安芸国の自領へと帰った。帰郷した後、弘元は素陀六と綾女の追善のために法師を集めて経を読ませ、石塔婆を建てて懇ろに弔った。