2009-01-01から1年間の記事一覧

他愛ない思いつき。:ミシェル・フーコー『作者とは何か?』雑感

作者名は固有名詞のように言説の内部から言説を産出した外部にいる現実の個人に向かうのではなく、いわばテクスト群の境界を走り、テクスト群を輪郭づけて浮き上がらせ、その稜線を辿って、その存在様態を堅持する、或いは少なくともその存在様態を性格づけ…

見えている②

以前、国立新美術館に行ったと書きましたが、話が出来事の半分でした。ハプスブルク展の観覧者の多さに疲れて展示室を出た後、他の企画展示を観に行きました。この美術館には常設展示がない代わりに、期間限定の企画展示がいくつか開催されていました。 その…

見えている:大森荘蔵『新視角新論』雑考

ありもしない「視点」としての「私」を尋ねあぐねて、それでは一体「私」はどこにいるのだ、と尋ねたくなろう。しかし「見る私」、事物がそれに対して「見えている私」などはありはしないのである。だがしかし、「私」はどこにもいきはしない、「私」はここ…

観測者問題:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク『善き人のためのソナタ』雑考

観測者が現象の一部に組み込まれたとき、システムは複雑系になる。 80年代の東ベルリンで体制側の監視者と監視される芸術家たちとの奇妙な交流を描いた映画である。テーマからすれば、監視者の変節が始まったのは、被監視対象である劇作家が自殺した友人を想…

秋ふかし……

ふと思ったのだけど、本屋さんの有隣堂の「有隣」って論語から取ってるのかな。「隣あり」の箇所を抜き出した社名なら、蜀山人風解釈の汎用性が含まれていますね。上句に何をつけても成立するんだから、時代に左右されない社名じゃないですか。もっとも、「…

『(七瀬ふたたび)((n+1)たび)  (n=1,2,3……)』

リメイク映画というジャンルは、映画が産業化した早い時期からあったものだろうし、そもそも映画がストーリーを語り始める契機には、演劇の与えた影響が大きかっただろう。独自の表現方法を獲得するまで、映画は演劇に依存していたと言ってもいい。 演劇に関…

映画のタイトルを考える。

『七瀬ふたたび』の映画が製作されるという。ちょっと前にニュースで見た。実写版「ときかけ」の製作発表もあったから、筒井ブーム再来といった感じだ。 この小説は以前に、そして最近にもテレビドラマ化された経緯があるそうだ。「意外なことに映画化は初」…

ハプスブルク展 雑感

先週のことですが、乃木坂の国立新美術館へハプスブルク展を観に行きました。 終了週だったからか(すでに東京での展覧は14日で終わり、1月から京博へ巡回するようです)人が多すぎて、もうそれだけで疲れました。ハプスブルク家にまつわる絵画中心の展示で…

あ〜あ〜あ〜只今マイクのテスト中。

子供の頃、ノートの1ページ目には必ずきれいな字を書いた。 すぐに雑な字になって、やがて罫線にも従わなくなるけれど、それでも丁寧な文字で書き始めるのは、美しいノートを作り上げようと考えるからだ。 というわけで、ブログの初めだからきれいな文字を書…