ピーター・グリーナウェイ監督『英国式庭園殺人事件』

 来年2024年3月にピーター・グリーナウェイ監督の特集上映が開催されるとのこと。楽しみが増えた。そんなわけで、傑作を紹介します。シンメトリーな構図、緑と赤/黒と白の色調、屋外撮影による昼の光と夜の闇のコントラスト、バロック絵画をそのまま持ち込んだような映像体験が得られる『英国式庭園殺人事件』(原題:The Draughtsman’s Contract)です。

 

【あらすじ】

 イングランドの大地主ハーバート氏は屋敷と庭が自慢で、妻のことは蔑ろにしている。屋敷で開いた招待客で賑わうパーティの夜、ハーバート夫人ヴァージニアは、ハーバート氏が執心する庭園の絵を贈って夫の心を取り戻したいと、有名な画家ネヴィル氏に制作を依頼する。夫が家を空ける十二日間に十二枚の絵を描いてほしい。ネヴィル氏はその仕事は退屈そうだ(「本物の庭を持っている方が絵を欲しがるでしょうか」)と渋るが、こちらの条件を呑むのなら引き受けましょうと提案する。

 こうしてネヴィル氏とハーバート夫人の間に契約が結ばれる。曰く、描く場所はネヴィル氏が決める。指定した時間、その場所にだれも立ち入らない。さらに多額の報酬と別に、ネヴィル氏が行う快楽のための要求に夫人は必ず応えなければならない。

 傲慢で、自惚れが強く、上流の人々からの依頼を受けながら彼らを軽蔑し、歯に衣着せぬ言葉で愚弄さえするネヴィル氏は、上流のご婦人を己の欲望の道具にしてサディスティックな悦びを覚えようというのだろう。

 ハーバート家には夫妻の娘サラ、サラの夫のタルマン氏、財産を管理する公証人のノイズ氏が同居している。使用人や召使や客人は大勢いて、また、タルマン氏の幼い甥もドイツから引き取っていた。

 ハーバート氏不在の屋敷にネヴィル氏は逗留し、精力的に絵を描き、精力的に夫人との密会を楽しんだ。あるとき、彼が描いていた景色に異物が紛れ始める。乗馬靴。衣服。梯子。昨日までなかったのは制作中の絵を見れば明らかだ。だれが置いたのだとネヴィル氏は苛立つが、ふと考えを改めてそれらも絵として描き込むことにする。

 やがてタルマン夫人サラが見物に訪れ、絵の中の異物に気付く。彼女は、そのシャツや上着が父のもので、梯子が父の寝室に掛かっていることを指摘し、そのようなものを描いているとあなたの身も危ないのではないか、と忠告する。しかし、ネヴィル氏はますます興味を惹かれる。

 サラは、あなたが母と結んだ契約内容を知っているとネヴィル氏に打ち明け、自分とも同じ契約を結んでくれるように依頼する。ネヴィル氏は戸惑いながらも、サラとも契約を交わすことになる。どうやらタルマン氏とはセックスレスのようだ。ネヴィル氏はサラとの密通も楽しみ、それから戯れに、新たに描き始めた絵に彼女の飼い犬や脱ぎ捨てた彼女の衣服などを描き込んでゆく。

 そして十二枚の絵は完成する。ハーバート氏の帰りを待っていたその日、屋敷の堀でハーバート氏の死体が発見される。

 

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 構図と色彩がよく語られる映画だが、実はセリフに含まれている情報量が多いのも特徴だ。その上で、画面構成だけでなくストーリーが緻密に構成されている。セリフに隠された意味は、短いカット割のモンタージュで巧みに強調される。

 物語の軸となるのは、ハーバート家の相続問題である。上流階級の屋敷で主人が殺害される。古典的な相続がらみのミステリなのだが(監督がクリスティ風というのはこのこと)、一見してそうは見えないところが面白い。

 状況を整理すると、現在、ハーバート家には相続人がいない。ハーバート氏が相続人として指名したのは、娘サラの息子だ。つまりハーバート夫妻の孫なのだが、いまのところタルマン夫妻の間には子供がいない。サラの夫タルマン氏に相続権はなく、あくまで彼の息子の後見人という立場である。女性の相続をハーバート氏は端から認めていない。

 ハーバート夫人は控えめな目立たない性格で、夫に抑圧されてきた。ハーバート氏が所有している屋敷や土地はもともと夫人の父の財産で、夫人と結婚してハーバート氏が相続したものだ。

 この辺りの事情は、たとえばオースティン『高慢と偏見』を参照すると分かりやすいかもしれない。こちらは18世紀末と時代が下るが、ベネット氏もジェントリ階級であり、土地を持ち、財産もあり、相続人がいない。ベネット氏の五人の子は全員娘なのだ。ここから相続問題がすなわち結婚問題へと発展する。

 そこで、相続人がいないハーバート家の現状において、当主であるハーバート氏が死ぬとなにが起こるだろうか。第一に考えられることは、遺族が家産を失ってしまう可能性だ。だから、ハーバート氏が現時点で死ぬことによって得をする人間がいるとしたら、かなり大きな殺人の動機となるだろう。

 

 ネヴィル氏が行った契約には常にノイズ氏が立ち会った。当然、契約内容も知っている。ノイズ氏はハーバート氏の親友だったが、一時期はヴァージニアと婚約していた。いまだに夫人に想いを寄せている。ハーバート氏が死ねば、ハーバート氏が持っていた財産(彼が管理しているため正確な数字を知っている)と、彼に奪われたヴァージニアとを手に入れる機会が訪れるだろう。

 未亡人となった夫人がこの屋敷を手放さないためには、だれかと結婚し、その夫に相続させる他ない。ノイズ氏はそう考えるだろうし、当然、それなら自分の番だと考えるに違いない。

 

 相続人がいないのは、まずもってタルマン夫妻に子供がいないからだ。セックスレスなら当然子供はできない。サラは不服だが、タルマン氏はむしろこの状況を作り出したようでもある。タルマン氏はドイツ人だ。故郷から甥っ子を引き取ると、家庭教師や家政婦にもドイツ人を雇った。イギリス風に染まらないようにと自ら教育もする。甥っ子を引き取ったのはなぜか。もしこのままサラに子供ができなければ、この甥っ子を養子に取って家産を相続させられる。ハーバート家をタルマン家にしようと企んでいるようである。

 

 ハーバート氏と親しい大地主たち、シーモアたちにすると、相続人不在のままハーバート氏が死ねば、彼の持っていた屋敷や土地を買収する絶好のチャンスだ。土地所有権を失えば、結局手放す他ないのだ。シーモア氏たちはハーバート家の友人として夫人に援助を申し出るだろう。その場合、ハーバート家の所有地を全て買い上げる交渉も視野に入れているはずだ。

 

 このように複数の人間が、ハーバート氏の死によって利益を得られる立場にいる。彼らには殺人の動機がある。

 それでは逆に、ハーバート氏の死によって損害を被るのはだれだろう? まず考えられるのが、夫人や娘といったハーバート家の女たちだ。彼女たちは住む家さえ失う恐れがある。ハーバート夫人は夫に抑圧されていた。彼女は生まれ育った家や土地に対し、なんの権利も持つことができなかった。それでもハーバート氏を殺害すれば、路頭に迷うことになる。だから、どんな扱いを受けようと我慢したのだ。いまになって夫を殺すことには大きなリスクが伴う。

 別の観点から見て、ハーバート氏は本当に殺されたのだろうか。鞍も奪われ裸馬として帰ってきたハーバート氏の馬は足を怪我していたのだ。単に堀の近くで落馬し、水中に落ちたのかもしれない。

 しかし、画家が絵に描き入れている数々の証拠があった。ハーバート氏が出先へ持参したはずの衣服(胸元が刃物で切り裂かれている)や乗馬靴、寝室に掛けられた梯子(少なくとも女の力では掛けられないほどの重さ)。それらは事故死ではなく殺人を示している。

 やはり男たちのだれかがハーバート氏を殺害し、利益を得ようと企んだ。おそらくそう考えるほうが自然だろう。

 

 

 

※※※ 以下、ネタバレを含みます。※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、こんなふうに書いてみたが、この映画、実際は犯人当てのミステリではないので、犯人は最初から隠されてはいない。ハーバート氏を殺害した犯人は、ハーバート夫人ヴァージニアと娘のサラである。実行犯は庭師のクラーク(赤いパンツの男)だろう。

 夫人がネヴィル氏を雇った理由から考えてみる。もちろん、絵の中にハーバート氏殺害の証拠を描き込ませるためだ。上で見たように、夫人と娘には犯行動機と物証の面からハーバート氏殺しを疑うことは難しいように見える。しかし、確実ではない。確実に自分たちへの疑いを晴らすには、犯人を他に作ればいい。そこで、動機ある者たちへ疑いを向けるための物証を絵の中に描かせた。サラはそれが父の持ち物だと指摘すれば、傲慢なネヴィル氏が調子に乗って描き込み続けると分かっていたのだ。

 とにかく夫人たちにすれば、自分に疑いが向かなければよいので、はっきりと犯人を名指す必要はない。そもそもほぼ全員に動機はあるのだ。

 そうすると、問題はひとつに絞られるだろう。夫人が犯行を計画したと仮定しよう。しかし、なぜ彼女はこの時点で夫の殺害に踏み切ったのか? ハーバート家に相続人がいない状況は全く改善されていない。いまの状況で夫が死ねば、夫人は屋敷も土地も失う恐れがあるだろう。もしもノイズ氏なりだれなりと共謀していたなら分かりやすいが、むしろ夫人は積極的にノイズ氏に罪を着せようとしている。ネヴィル氏にしてもそうだ。現に、ハーバート氏の死を知るや、大地主たちは嬉々として買収に向けての準備を始めようとする。

 

 この謎を解く鍵は、オープニングにある。トーマス・ノイズのキャスト紹介の場面に現れる、August 1694という記述だ。この映画の時代設定が1694年8月というそのままの意味。ノイズ氏の名前の下に日付があるのは契約書を模したためだろう。契約の立会人としてノイズ氏がサインし、その下に日付を書き込んだということだ。

 時代への言及は何度も出てくる。タルマン氏が語る、オレンジ公ウィリアム三世によるアイルランド侵攻もそうだ。

 さらに、タルマン氏が甥を引き取った理由もそうだ。彼の兄が戦死した後、未亡人がカトリックに改宗したからと語られる(このカトリックプロテスタントへの言及も、うがってみれば、当時の王室の混乱のパロディのように読める)。

 1688年~1689年に名誉革命が勃発し、国王ジェイムズ二世が退位させられ、長女メアリー二世と夫のオレンジ公ウィリアム三世(オランダ総督オラニエ公ウィレム三世)が共同統治者として即位する。ウィリアム&メアリー・ピリオドと呼ばれる、イギリス史上で唯一、二人の君主が王位について共同統治した時代である(メアリー二世は1694年死去)。

 ウィリアムとメアリーが即位し、イングランド王はプロテスタントのみと決められる。対して、メアリーの父ジェイムズ二世はカトリックだ。退位後、彼はカトリック国であるアイルランドへ渡って蜂起する。その結果、ウィリアム三世に侵攻されてアイルランドイングランドに征服されてしまう。

 さらにうがった見方をするなら、メアリー二世には王位継承権があったが、その夫のウィリアムは王室の出ではあるが本来なら継承権はなかった。ハーバート夫人は自らをメアリー二世に、ハーバート氏をウィリアム三世になぞらえて考えたことはあっただろうか。他所からきた男に父の家産を奪われた。タルマン氏が甥を使って目論んでいただろう計画も同じものだった。

 いずれにせよ、こうした感情はペルセポネーの神話の引用によって改めて語られるだろう。(後述)

 

 舞台が1694年である意味とはなにか。

 名誉革命によって議会が力を持つようになった。1694年はイングランド銀行が設立された年だが、監督は、同年に女性の所有地管理の権利が議会によって承認されたことに注目した。ハーバート氏と結婚して家も土地も奪われ、虐げられようと屋敷で暮らすためには耐える他なかったヴァージニアには、議会で女性の権利が取り沙汰されたことは、女性の地位が向上する動きと見えただろう。夫がいなくても女が土地を管理できるのなら、これ以上我慢しなくてもいいのだ。だから、彼女は夫殺しに踏み切った。

 それでも法の効力を全面的に信用することはできなかった。大地主たちは慣習の下で生きている。そこでサラがネヴィル氏と契約し、相続人となる子供を作ることにした。ネヴィル氏は真実をなにひとつ知らないまま、女たちに利用されただけだ。彼が果たした役割は、犯罪の隠蔽と種馬だった。

 妊娠したサラにとっては、夫のタルマン氏もネヴィル氏ももう用済みだ。媚を売る必要もない。彼女はオランダ人の庭師を愛人にして自由に生きている。タルマン氏はヴァージニアがそうだったように、今後一生自分の財産を持つことはなく、生活の安定のため離婚することもできず、ハーバート屋敷に居続けることになるだろう。

 

 劇中で、ペルセポネーの物語が二度引用されている。

1)黄泉の国の悪い神ハーデースがペルセポネーを攫った。彼女の母親である女神が嘆き悲しんだので、黄泉の国の神はペルセポネーを母親のもとに帰した。

2)ハーデースはペルセポネーにざくろを贈った。ざくろを食べたせいでペルセポネーは毎年黄泉の国に戻らねばならなくなった。畑と庭の果樹園の女神であるペルセポネーの母親は悲しみに胸を痛めて人間に果物を与えることを拒んだ。庭師たちはざくろの呪いを祓うため温室を作り、年中果物ができるようにした。そうして作ったのがざくろだった。「因果を増やしただけだ」と夫人は言う。

 

1)は、ドイツ人家庭教師がタルマン氏の甥に語った。ここでは、ペルセポネーを甥っ子に、ハーデースをタルマン氏に、ペルセポネーの母をカトリックに改宗した母親になぞらえたのだろう。

2)は、ハーバート家を再訪したネヴィル氏に、ヴァージニアが語った。このときネヴィルはお土産にざくろを持参した。ここでは、ハーデースはハーバート氏、あるいは後釜に座ろうとする男たち(ネヴィルも含む)だ。ペルセポネーの母がヴァージニア自身だとすれば、取り戻すべきペルセポネーが彼女の父祖の土地だろう。ざくろは、男の権力として語られる。ハーバート氏の後釜につこうとする男が未亡人と結婚して家産を手に入れようとする。ざくろを贈ることで男の庭に女を閉じこめるつもりだろう。ヴァージニアはそう突きつけるが、ネヴィル氏は傲慢にして愚鈍なので気が付かない。

 

 その後、ヴァージニアはネヴィル氏の望む十三枚目の絵を描かせることに了承する。彼女はハーバート氏の遺体が発見された堀の前(画家が望んだ場所だ)にネヴィル氏を夜中に向かわせる。そこへタルマン氏、ノイズ氏、シーモア氏たちがやってくる。男たちはネヴィル氏がハーバート家を再訪した理由を理解している。それは彼らが望んで果たせなかったことだからだ。自分たちが手に入れられなかった〈ペルセポネー〉を、卑しい画家風情が手にしようと画策すること自体、上流の彼らには侮辱だった。ヴァージニアはもちろん、男たちが勝手にネヴィル氏を処分することを分かっている。彼ら動機ある者たちが画家と絵をまとめて処分することで、今後、ハーバート殺しの一切には誰からも触れられなくなると分かっている。

 上流階級を侮蔑し嘲弄してきた傲慢な画家と、上流階級という差別意識に凝り固まった品性下劣な男たちが共食いするようにして、ヴァージニアの世界から消えてゆく。

 彫像のふりをする道化だけがこの屋敷で起きた一部始終を観察しながら、口をつぐみ続ける。なぜ? 階級の外にいる道化にとってはそんなことどうでもいいからだ。

 

 

 ちなみに、1702年にオレンジ公ウィリアム三世の死により即位するのが、メアリー二世の妹アン女王だ。そして、アン女王を描いた傑作と言えば、ヨルゴス・ランティモス監督の『女王陛下のお気に入り』である。