鯨の腑の光〜レベッカ・ホルン展(東京都現代美術館)より

 四方は壁――。
 薄暗い室内に、ミニマル音楽が静かに流れる。中央に置かれた浅い水盤が、絶えることのない光を受ける。照射されては、文字や文字が浮き上がる。
 
 壁と床を文字が這う。水面から生まれた文字や文字が、ゆっくりゆっくり流れゆく。
 文字の形は、ライトが水面に映し出す。水面に映じた文字の形が壁や床に転写される。水面に棒が触れると、波紋が広がる。波紋はそのまま壁に反映される。壁を流れる文字は同心円状に広がる波を受けて、溶解するように形を崩す。
 水盤の縁がフレームなのか。それとも、壁がフレームか? 壁に溢れる文字。反転文字。波紋のせいで溶ける文字。生まれては流れ、流れては消える、はかない文字。追いかけることはできない。意味の拡散に追いつくことができない。額縁は、フレームは存在しないのだ。あるとすれば、「私」の眼。見ていることで、囚われる。
 そこは鯨の腑の内部……。
 温かな生命の中だ。私を囲む文字は騒擾しながら漂っている。刹那の時間、宙に浮いては、消える言葉。この文字は声と同じ。書かれた声があり、書かれえない声があり……。
 水面と壁は同じ位相にあり、言語としての意味を消失させてゆく。
「……参ったな。これじゃ、腑のなかから逃れられない」
 そして私は腰を据え、ただ快い陶酔に浸る。恐ろしい恩寵に触れた、あの老人のように?

     言葉の種籾は
     暗闇で育ち
     まだ心の結び目を結ぶには至らずに
     光でもあり影でもあり
     宙に浮いている。
     水の一滴そして空気が
     鯨の内部でかたちを結び
     ひとつの叫びとなる。
     言葉の誕生、
     その響きは波を越えて
     太陽に向かって滑走する
                                       ――レベッカ・ホルン


レベッカ・ホルン

レベッカ・ホルン