額装と軸装、あるいはフレーム:速水御舟展 雑感

「イメージは枠から外へ出なければならない」と、バチェコは弟子のベラスケスに言ったそうだ。


 昨秋、引っ越しした山種美術館速水御舟展が催された。自分では買わないだろう本や行かないだろう店なんかがあるように、眼に入らない場所というのが存在する。一生のうちに遭遇できる人は限られているし、体験できることも然り。物理的な距離とは関わりなく、意識的にか無意識にか避けている場合も少なくない。
 このとき御舟展に行ったのも、知人からチケットを頂いたからだった。でなければ、知らずに通り過ぎていたに違いない。というのも、日本画というジャンルがあまり好きではないというか、まぁ、好きではなかったからだ。
 こんな具合に趣味や嗜好といった目に見えない緩やかなフレームを自分の周囲にちょこんと置いて、その内側で生きているのが人間なんだろう。それ自体もまた、好む好まざるにかかわらず、そういうことになっている。そんな大上段に構えて言うほど大したことではないかもしれないけれど、フレーム問題(デネットのR2D2に至る困難な道)の一端をちょこっと掠めるような問題系に含まれるのではないかと無責任に思ったりする(フレーム問題の解決よりも量子コンピュータの完成のほうが早いんじゃないかという気もしないでもない。いや、もちろん素人考えで、何の根拠もないのだが)。
 それはともかく、日本画に対して勝手に抱いていた「大掛かりで大仰で大仕掛けな」という印象が吹き飛んだのは、この御舟展のおかげだった。個体に張られたフレームを越境する可能性は個体以外の場所からしか訪れないのだから、こうした機会を得たことは本当にありがたいことである。
(更にまったく関係ないけれど、『時をかける少女』(2007)の作中に、東博での展示に出てきた室町期と称する絵が如何にも日本画風だったのに首を傾げた記憶がある。映画自体はずいぶん評価されたし、個人的にも好きだった。擦れてない高校生の、擦れてない高校生らしい性格の悪さがとても良い)。


 フレーム問題について少しだけ。そもそも、こうした専門分野に関しては全くの門外漢がとやかく言えることではないのだけど、「とやかく言えることではない」という部分に関しての問題系なのだと勝手に理解しているので、「とやかく言えることではない」ことに関してちょっと考えてみたいな、という試みである。
 AIに何らかの命令を与えたとする。それに対してAIは行為しようとするのだけど、このとき与えられていない命令(〜をするな)に関しても高い知性を備えたAIは合否判定の計算を行うから、肝心の命令を実行する遥か手前で立ち往生してしまう。「てめえには一から十まで言わなくちゃ分かんねえのかよ!」と人間なら言うところだけれど、フレーム問題を解決しない限り、AIにとってはその通りなのである。いま便宜的に「一から十まで」と言ったけれど、もちろんこれは慣用句であり、「一から十まで」は有限の命令ではなく、あらゆる可能性、すなわち無限回の命令である。
 仮に自律的AIなるものが成立するとして、そのAIの行動を基礎づける基準(「これは無視して構わない」という基準)をAI自身がどう判定できるのか。
 この問題は根が深くて、では人間はなにを基準にしてこの基礎づけ(フレーム)を行っているのか、というところにまで問題系は発展できる。その解答はまだ得られていない
 けれども、なぜそうなのか、という疑問は解かれないまま、人間は「とやかく言えることではない」という線引きを勝手にしてしまう。これは自分の手には負えない、と判断するのは人間であって、AIは絶対に「これはできない」とは言わない。それはできない、という命令をこちらから与えられていない限りは。


 こうしたフレーム問題を解消できないAIとは正反対の意味で(そして興味深いことにAIと同じ行為をもたらす原因として)、人間にとってしばしばフレームは悩みの種になる。専門分化がほとんど確立している世界では、単なる知識としてだけでも理解するのが難しい領域がほとんどだ。

 実在する社会主義の崩壊以来、左翼知識人は政治的対象を失ってしまったように見受けられる。彼らはもはや批判の金棒を突き刺す急所を見つけられないでいるのだ。ルーマンは左翼が抱えるようになった問題を一言で表現している。「複雑性に対してプロテストすることは不可能だ」。だから、左翼知識人は「歴史」へのあこがれを第三世界に向けようとするのである。だが、クールな目をもった同時代人はずっと以前から、「まだ左翼であることにいったいどんな意味があるのか?」という問いに「こんな意味がある」などと答えようがなくなっていることを知っていた。

 『意味に餓える社会』(ノルベルト・ボルツ)からの引用である。ここで語られる「歴史」へのあこがれとしての第三世界は、地球環境や自然や人間性に置き換えることもできるだろう。それらへ目を向けることが悪いというのでは、もちろんない。ただ、それらは本当に「われわれ」のフレーム内にあるのだろうか?
 その後段で、ボルツはこう書いている。

 われわれは、きわめて複雑な――発展を予測できない――種々のシステムのなかで生きている。だから、各システムの環境変化に敏感に反応することが決定的に重要になる。政治的目標を思い描くよりも、事態を客観的に診断することの方が重要になっているわけだ。

 ベラスケスの『侍女たち[ラス・メナーニス]』を観たゴーチエは「額縁はどこにあるのだ?」と言ったという。フレームには記述の問題が絡んでいるように思う。カオスを分節して秩序付けるための言語がフレームを形作るのだとしたら、ゴーチエの眼には『侍女たち』の構図が極めて不安定に見えたということだろう(どう不安定なのかは、フーコーの有名な論考がある)。視界に収まるその絵を征服したいという欲望が額縁を要求する。ここからここまでですべてなのだ、というフレームが欲しくなる。そして、すべてを理解したい、すべてを掌握したい、という欲望が人間には備わっている。二十世紀はその繰り返しだった。それはフレームを越境したいという欲望ではなく、すべてをフレームに収めたいという欲望だったのだろう。しかし、それが不可能であることを「われわれ」はすでに知っている。
 では、征服ではない、越境の可能性はまだ存在するのだろうか。

 
             × × ×


 額装と軸装が混然と並ぶ展覧会は面白い。速水御舟の絵のことだ。
 展覧会のチケットに転載された「炎舞」というタイトルの絵は、額装だった。燃え上がる炎の上を数羽の蛾が舞っている。渦を巻きながら燃え盛る炎と蛾の配置が同心円を描いている。この渦巻の仮象は生命運動を表現しているそうだ。好んで円や渦や曲線をモチーフに採り込んだ御舟の絵は、静止した点や瞬間を捉えるのではなく、運動そのもの/時間そのものを絵絹に描き取ろうとした。まるでモナドジーを採り入れ、フラクタルを先取りしたような絵は画家の生き方にも現れている。今という権威に甘んじることなく完成に無関心のまま新しい方向へ身を翻す御舟の素振りは、「いきの構造」を実践するかのようだった。そこに画家は存在しないのである。同時期の文化状況では、たとえば白樺派が台頭する。やがて人生と制作を一致させることで文学をフレームから解き放とうとして別のフレームに囚われた近代文学のいき方を思えば、まるで逆の運動だった。
 しかしフレームのない画家である御舟に相対して、人物を想像しようとは思わない(上の記述などは、ベーコンいうところの洞窟のイドラでしかないだろう)。
 彼には絵が残っている。
 その絵のスタイルも実に豊かに変遷してゆく。表現主義風の絵もあれば、フォービズム風のもある。水墨画もあれば、屏風絵もある。
 そんななかで、軸装されたシンプルな水彩画が印象に残った。
 それらは、梅にしろ桜にしろ枝ぶりが主で、花は添え物のように慎ましやか。枝が画面を横に突っ切り、外部に向かって絵画空間が広がっていた。細くも堅い梅の枝が描かれていない軸の外で、描かれない吹雪で小さく枝先を揺らし続ける。月光はなにもない空間でそこにはない枝を照らし続ける。描かれた主題が静止した一点ではなく、絶えず変化し続ける運動そのものだからこそ、枠の外までイメージは飛躍してゆくのだろう。

 そして、もう一枚――。
 「人間が描けていない」と大観らに酷評されたという人物画があった。
 細緻を極めた着物の柄や皺のより方、地の色合いを引き立たせるのに、モデルの女性の表情を薄くしたのだと画家は言ったそうだが、画家の言うことなど当てになるだろうか。画家は着物の皺ひとつ、柄の具合、色合い、指先や下駄の鼻緒の色ひとつに人間を表現しようとしたのではないか、それがフレームのひとつひとつなのではないか。と、そう夢想せずにはいられない。
 四十歳の若さで他界した画家は、どんな世界を見ていたのだろう?

 ある仕草はある個人の所有物だとみなすこともできなければ、その創造物とみなすこともできないし、その道具とみなすこともできないのである。が、反対は真実である。つまり、仕草のほうこそわれわれを利用しているのだ。われわれは仕草の道具であり、操り人形であり、化身である。

 彼女は考えた。いつの日か、醜さの襲撃がまったく耐え難いものになったら、勿忘草を一茎、勿忘草をただ一茎だけ、ちっぽけな花を頭にのせた細長い茎を一本だけ花屋で買うとしよう、その花を顔の前にかざして、彼女にはもう愛せなくなってしまった世界から保っておきたい窮極のイメージである、その美しい青い点より他のものはなにも見ないようにするため、花にじっと視線を定めて街へ出てゆこう。彼女はパリの街から街をそんなふうに歩くだろう、ひとびとはやがて彼女のことを見覚え、子供たちは彼女のあとを追って走り、彼女を嘲り、いろいろなものを弾丸のように投げつけてくるだろう、そしてパリ全部が彼女をこう呼ぶことになるだろう。勿忘草を持つ狂女……

 生きること、生きることにはなんの幸福もない。生きること、世界のいたるところに自分の苦しむ自我を運びまわること。
 しかし、存在すること、存在することは幸福である。存在すること。噴水に変ること、宇宙が温かい雨のように降りそそいでくる石の水盤に変ること。

 ルーマンのいう「複雑性」を、クンデラなら「イストワール」と呼ぶかもしれない。異議を唱えること、抗議することのできない何か、だ。クンデラはこの『不滅』という傑作を書きあげたが、傑作とはおそらく、ひとつの挫折の記録だと思う。フレームという言語に逆らって書くには、このようにしか書けなかった。
 完成に無関心といわれる御舟にしろ、画家が残した無数の絵は本当に描きたかったものとは違うだろう。けれど、御舟はそのようにしか描けなかった。そこに「あいまいな私」などいない。
 そこにあるのは、不滅だ。