【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部2

近世説美少年録

 

 

2 大江弘元

 阿蘇沼氾濫の夜。

 本陣にいた大江備中介弘元は、襲いくる沼水の勢いに抗えず押し流された。ほとんど溺れながらも水面へ顔を出し、懸命にもがくうち肘近くに流れてきた盾を取った。それを胸に押し当てて泳ごうとしたが、水勢は緩まず、心身ともに疲弊して流れるままに流された。

 ……今生はもう尽きた。

 弘元は最期にと弁才天に祈りだした。そのとき大樹の大枝にぶつかり、引っかかった。慌ててその枝にすがりつき、前後も見えない真っ暗闇のなか、息継ぐ間も惜しんで幹へよじ登った。

 樹上で身を震わせ、弘元は夜明けを待った。二度と見られないと思えた陽が昇り始める頃、ようやく雨が上がった。

 朝日が照り返す眩い水面を、平駄船が通りかかった。柿染の襤褸衣に腰蓑を着けた男は、漁師だろう。舟に四手の網が見えた。水害を物ともせず早朝の漁に出たらしい。

「そこな舟人、助けてくれ! ここだ、ここにいる!」

 頭上からの叫びに漁師は驚いたようだ。大声で叫び返した。「なんの、これしきの水を恐れて樹にすがりつくことがありますか! ここらは水も引いてきたから、歩けもするでしょう。いや、待ちなされ。やはり我が舟へ降りてきなされ。危ういかもしれませんでな」

 弘元は、大樹へ寄せられた舟へ慎重に乗り移った。

「いかめしい出で立ちですな。噂に聞く、阿蘇攻めの殿原ですか。山のほうは水嵩が深かったのでしょうか。山から里へ流されなさったのも不思議ですが」

「某は、管領麾下の大江備中介という者だ。阿蘇の城攻めのため、官軍五万余騎と阿蘇沼ほとりに陣営していた。昨夜、思わぬ洪水で陣所を失い、我が手勢三十余人もまたひとり残らず溺れ去った。我が身ひとつ幸いに木の枝で堰き止められ、いまそなたに助けられて九死に一生を得た。命の恩人だ」知らず弘元は口数が多くなる。「ここらはもともと川だったのか。それとも里か。なんと呼ばれる場所であろうか」

 漁師は指先で鼻をかみ、「いやはや、大変でございましたな。山のほうは湿地で秋には氾濫も多いですが、一夜の春雨で陣屋ごと流されるとはよほどの珍事でございますな。ここら辺りでも川が水嵩を増し、ご覧の通り氾濫して低地がまるまる川になりましたが、まあ、この程度ならよくあることです。もう少し下れば、川筋がはっきりしてきましょう。阿蘇沼からは遠い、高森川です。川下は木山川となり、その先は海ですな。阿蘇、合志、菊池、山鹿、玉名、飽田の六郡を流れ、菊池、山鹿の境で二股に分かれる。腹が減っておられましょう。お疲れでございましょう。我が家はすぐ近くです。川沿いのあばら屋でもてなすものはありませんが、一日二日お休みなさいませ。お帰りはそれからでもよろしいでしょう。二日もすれば水も引いて、阿蘇沼も旧に戻っておりましょう。急ぐことはありますまいて」

「かたじけない」弘元は深く、深く感謝した。

 

 漁師は掛け声とともに櫓を漕いだ。彼の言った通り、だんだん川筋がはっきりしてきた。十町ほど下れば、もう水が濁るだけで氾濫もしていなかった。やがて漁師は岸辺に舟をつなぎ、弘元を陸へと助け上げた。網と櫓を携えて先に立ち、家へと案内した。

 漁師の妻が出迎え、「どうでしたか? 獲物は多かったですか」

「鯉やら鮒やら大漁かと思うたが、期待外れだった。しかし、阿蘇沼から流されなすった殿を伴うてきたぞ。討手の大将で、管領様にお仕えなさっている。丁重にお迎えせよ。魚籠に雑魚が少々入っているから後で焼いてくれ。殿も腹が減っておいでだろう」

 妻は客へ会釈し、「思いがけない水難でしたが、ご無事でなによりでございます。ご縁に触れられ、我らとしても喜ばしい限りです。お着物が濡れていますね。春の寒さは耐え難いでしょう。いま柴を焚きますから囲炉裏のほうへ参りませ。痛ましいことで」

 温かなもてなしに弘元は感激し、思わず額を抑えた。「この窮地に出会えた夫婦の心配り、あまりにありがたいことだ。初対面とは思われぬ優しさ。田舎の人の心ばえにも忠信があるのだな。我が身こそが恥ずかしい」

 主人は頭を振り、穏やかに言った。「危うきを見て救うは人の性が善なるゆえ。だれであれ、こうするでしょう」

 妻は台所で、塩を振った雑魚を網で炙る。やがて、色の剝げた飯盛り椀や汁椀を古びた膳に乗せて客前へ戻った。春の菜漬も添えましょうと後で持参し、うやうやしく膳に載せる。夫婦ふたりに勧められ、弘元はどれだけ飢えていたか思い知る。遠慮なく箸をとった。

 腹が満ちると眠気に襲われ、弘元はうつらうつら居眠りしかけたようだった。

綾女(あやめ)、寝床を用意しなさい。殿に休んでいただこう。一晩中木の股におられたのだ。さぞお疲れであろう。急げ急げ」そう急かす声が聞こえて弘元は目を覚ました。

「いや、主人。日も高いのに寝入るわけにいくまい」

「旅先ではばかることなどありません。寝所はここより狭いですが、南向きで暖かです。頃合いを見て起こしましょう。しばらくお休みなされ」

 実際、弘元は眠くてたまらなかった。勧められるまま寝床に入ると、すぐさま熟睡した。

 

 目が覚めると、暗闇だった。とうに日は暮れ、子二つ頃らしい。枕元の灯火もかすかで、夫婦も寝入ったか家中静まり返っていた。他人の家で眠りこけるとはいぎたない真似をした。弘元は恥ずかしくなる。厠はどこだろう? 眠る前に見た景色を思い起こしながら縁側に出た。

 ふと、裏手から馬のいななきが聞こえた。人の声もするようで、弘元は耳をそばだてた。

 ……農家なら荷運びの馬もいようが、漁師は馬を飼うまい。そもそも夜更けに人が集まっていること自体怪しい。よもや主人は盗賊の棟梁でもあろうか。そのような人物には見えなかったが、善悪は見た目では測りがたい。用心に越したことはなかろう。

 寝室へ戻り、弘元は横になった。そのまま夜明けを待つが、春の夜はことさら長く感じられた。カラスの声が聞こえ、ようやく寝床を出た。

 起き抜けに囲炉裏端へ向かうと、漁師の妻が朝飯の支度をしていた。

「早起きですね。お口をおすすぎください」彼女は椀に湯を汲むと、塩と楊枝を添えた小皿とともに縁側に持ってきてくれた。

 まもなく主人が囲炉裏端へ現れ、体の具合を尋ねた。茶を勧められ、すぐに朝膳も運ばれた。昨日以上の親切を受け、弘元は礼を言い通しだった。

 そうして世間話を交わすうち、弘元は思い切って尋ねた。

「昨日疲れ果てて半日も眠りこけたのは、情けないことであった。これは、むろんそなたたちを疑うわけではないのだが、ここは川沿いのひとつ屋で隣家もなさそうだが、真夜中に裏手のほうから馬のいななきが聞こえたのだ。人の声もしたようだったが……」

「驚かせましたな。裏には舟道具や網を仕舞う古い小屋がありまして、先日来、人に貸しているのですよ。人馬の声はそれでしょう」

「なるほど」

 主人はにこやかに、「いまここで詳しく話さずとも、遠からず知られることがありましょう。疑うことはありません」と言った。

「いや、そなたたちを疑うのではない。危うきところを救われた上、大変なもてなしを受けた。この恩は生涯忘れぬ。今日はよく晴れ、水も大方引いてきたようだ。早く本陣へ帰って管領の安否を問いたい。我が手勢も生死が分からぬゆえ、行方を探らねばならぬ。主人よ、そなたの親切が褒美欲しさとは思っていないが、こちらとしては是非とも礼がしたい。いずれ再会する日のために名を聞かせてはくれまいか」

「名残惜しいですが、お止めするわけにはいきませぬな。まだ早うございますから、昼頃までは語らせたまえ。偶然にも殿のお宿を仕りましたが、ご賢察通り、某夫婦は褒美など求めてはおりません。名乗るべき名もございませんが、某は、子自(ねよりの)素陀六(そだろく)と呼ばれる者。妻は綾女と申します。数多ありました子供たちも巣立ちし、この家には我らの他だれも居りません。これらのことも後々お分かりになりましょう。このことは、どうか人には言われますな」

 弘元は真顔になり、やや身を乗り出した。「思うに、そなたは生まれながらの漁師ではあるまい。いまの姿は世を忍んでいるのか。嘉吉、応仁の戦乱このかた、室町将軍の武威薄れ、諸大名がおのおの割拠し、強きは必ず弱きを制して利を争う世の中だ。家臣が主君を殺し、子が親を害しても、不忠、不孝とさえ世間では呼ばれない。順逆乱れて、五常絶えなんとし、肉親さえが仇敵となっている。志ある者は官位が低く、道理を通すことができぬ。挙げ句の果てに小人どもに嫉まれ、あらぬ罪を被せられるのだ。聞かせてはくれぬか。そなたはいまのこの世をどう思っている?」

 試すように問うと、素陀六も膝を進めてきた。

「嘉吉、応仁の大乱は、男色から禍が兆しました。主君は驕り、家臣は奢る。その贔屓の制度を生みだしたせいでした。六代の義教将軍のおん時には、将軍が赤松貞村の男色に迷われ、贔屓があまりに過ぎました。そのために貞村の同族たる赤松満祐父子が恨みを抱き、義教公を殺害しました。八代の義政将軍もまた懲りることなく、美少年、赤松彦五郎則尚にたびたび褒美を与えられました。彦五郎のおん父君が義教公の仇赤松満祐の甥であることもお忘れになっていたのでしょう。このときは山名宗全が激しく憤り、彦五郎則尚に詰腹を切らせました。禍に胎あり福に基ありと申します。昔、北条義時が童小姓に殺されたのも男色の嫉妬が因でござました。戦国乱世では大将も士卒も戦場を家とし、美少年を妻の代わりに陣中に置いて己の慰めとします。歯を染め白粉を施した、女子と見まがう美少年も多いことでしょう。二十四、五歳まで額髪を剃らず、少年の面持ちのままですが、当世の風俗ですので怪しむものではございません。元を辿れば、足利尊氏卿が後醍醐天皇のご寵愛を仇で返し、南北朝両天子の皇位争いが始まったときも順逆の取り違えは横行しました。直義、直冬、高師直らの逆乱によって父子兄弟が戦い、家臣が主君を閉じ込めることになりました。これに始まり、清氏、直常、氏清、義弘らの謀叛、君臣下剋上の戦いと言えば、もはや挙げるにいとまがございません。鎌倉管領にしろ諸国領主にしろ同じことです。そしてついに、嘉吉応仁の大乱となって極まったのです。室町将軍家にすれば汝に出でて汝に返るものですから、恨むことさえ愚かでございましょう。そうは思われませんか」

 弘元は呆気にとられた。「なんと雄弁の士であることか。かような才があるのなら、漁師として朽ちるよりよい主人に仕えてみてはどうだ。わしが手引きしよう」

「いえ。仕官は望みません。たとえ望んだとしても、某夫婦の命運は、仇のためにすでに尽きております。間もなくこの命は失われましょう。将来を思う時間はもうございません」

 弘元はいよいよ驚き、「どういう意味であろうか。仇とは何者だ。某には命を救われた恩がある。そなたの恩に報いたい。どうか隠さずに教えてくれ」

「かたじけないお言葉ですが、何百名の助太刀があろうと免れることができません。運命なのでございます。遠からず、殿はすべてご理解なさるでしょう。まもなく某夫婦ははかなくなりますが、恨みの魂はやがて巡って必ず仇を返すことでしょう。これまた自然の理でございます。ゆえに、詳しく説いては天機を漏らす恐れが生じます。どうか、みずから悟ってくだされ」

 なにも言えず、釈然としないまま頭を下げた。素陀六はそんな弘元へ向き直り、「殿は旧家のご出身。憐れみの心篤く、信頼も大切になさられる。祈らずとも神の擁護がございましょうに、信心も深うございます。いまでなくとも、いずれ必ずご出世なさいましょう。いまは、ひとつだけお報せしたいことがございます。今度の阿蘇山城攻めですが、管領様は手柄ひとつもお立てになれず、密かに恥じておいでです。その恥がやがて怒りに変わったならば、どなた様の身に禍が降り注ぐやもしれません。その未然の禍を避けるべく、殿が手柄をお立てなさいませ。当国の山本郡飯田山の洞穴に、川角(かわつの)頓太(とんた)連盈(つらみつ)なる山賊が潜んでおります。はじめ菊池武俊が阿蘇山古城に籠城したとき、隣郡の野武士を招き集めると称し、手下の賊徒五十余人を従えて第一番に馳せ参じた者です。武俊はこれを城に留め置いて一方を守らせましたが、この頓太、城中の軍資金数百両を盗みだし、手下もろとも飯田山へ逃げ帰ったのです。それからいまに至るまで、同じ山中にいます。殿はこの飯田山を密かに攻められ、川角頓太を搦め捕りなさいませ。川角頓太を管領様に差し出せば、手柄なきこの合戦を補うだけの大きな手柄となりましょう。ゆめゆめ疑われることなく、某の意見に従うてくだされ」

「当方には喜ばしいことだが、賊は五十余人を従えて山砦に籠もっているのだろう。我が身ひとつで捕えるのは難しかろう」

「ご安心なされ」素陀六はにこやかに、「いまから発たれて飯田山へ向かいなされば、その途上にて大きな援助を得られましょう。疑いなされば、手柄はありませんぞ」

 そう言って立ち上がり、戸棚から一枚の地図を取り出して弘元に見せた。

「この地図に、飯田山の根城がつぶさに書いてあります。巣穴は北にあり、抜け穴にもなっております。ゆえに、一方のみから攻めれば取り逃がす恐れがございます。兵は必ず二手に分け、前後から攻め入りなされ」

 弘元はありがたく地図を受け取ったが、それでも心にモヤが掛かる。「やはり某は恩に報いたい。そなたら夫婦の命が尽きるというのは――」

「要らぬ愁嘆ですな。殿をお助けしたのは某ではございません。殿が長年信じてこられた神の冥助でございます。もしも来世で我らが仇となろうと怪しみなさるな。某に言えるのはここまでです」

 綾女が台所から出てきて、素性の知れぬ草の陰干しを弘元に贈った。

「腹が空いたらこの草の葉をお舐めください。それで五、六日は食べずとも気力体力ともに健やかになりましょう」

 ふたりへの憐れみが一挙にこみ上げ、弘元は感涙にむせび泣いた。

 それでも気丈に立ち上がり、「それでは、さらば」と短く別れを告げると縁側から庭へ降り立った。夫婦は柴の戸近くに出てしばらく佇み、ひとり去ってゆく武士を見送った。

 

 大江備中介弘元は、素陀六と別れてまもなく、道で三十余名の兵を見た。危ぶんで目を凝らせば、なんと行方知れずとなっていた弘元の手勢だった。兵たちはひとりも欠けないどころか、馬まで曳いていた。武具を地面に横たえ、道の両側に畏まって控えていたのだ。

「……これはどうしたことか?」

 弘元が夢心地で問うと、兵たちが口々に答えた。

「あの夜、洪水に流され浮きつ沈みつしていますと、だれとも知れぬ男が我らへ早舟で近づき、お馬までも船に助け乗せて家へ連れていったのです。その男が言うには、しばらくすれば主とは再会できる。それまで静かにしていなされとのこと。きつく戒められ、我らは裏手にあった小屋に匿われておりました」

「生枯れの草の葉を三十枚ほど持ってきて、これを舐めれば五、六日は飢えぬ。馬にも舐らせよと言われ、むろん我らは怪しみましたが、言われたとおりにすれば心地よくなり、事実、今日までまったく飢えを覚えません」

「疲れて昼に眠りこけ、昨夜はよく眠れませんでした。明日はご主君に会えようかと、心勇んで語らいながら夜を明かしました。今朝、主の妻が小屋へ走りきて、いまから密かに出発して二町ほど先、辰巳の方角で待てばご主君と再会できる、と教えてくれました。我らは喜んで小屋を発ち、ここで待っていたのです。殿のお顔を拝見でき、心より嬉しうございます」

 なるほど、彼らこそ昨夜耳にした声の正体だった。弘元も兵たちに向かって、素陀六夫婦に救われた顛末を一から語った。語るうちに、あの夫婦は何者だったのだろうと弘元は改めて疑問に思った。さては河童や狐狸の類だったのだろうか。

 不思議に思いつつ振り返ると、ついいましがたまで道の先に見えていた夫婦の家がない。春の川風になびく岸の柳が目についた。なにもかもいたずらだったように弘元には思えた。

 兵たちも言葉を失い、静寂に包まれた道端で弘元は沈思した。昨夜から立て続けに起きた不思議が妖怪変化の仕業だとしても、弘元自身が長年信仰してきた厳島弁才天の擁護利益を疑う理由にはならなかった。

 とにかく、いまは飯田山へ赴き、川角頓太連盈を搦め捕ることが先決だった。弘元はもう夫婦の教えを疑うことはなかった。気を取り直してもらった地図を開いた。これからすべきことを兵たちに伝えると、彼らは喜び勇んで雄叫びを上げた。

 弘元は馬にまたがり、三十余の兵を率いて飯田山を目指した。綾女がくれた薬草が効き、人馬ともに飢えることはない。むしろ気力は十倍し、どんな長旅だろうと疲れを覚えなかった。いまから戻ったとて阿蘇の城攻めには間に合うまい。だから弘元は眼前の仕事に集中した。主従は休みなく夜遅くまで進み、幾日とかからず飯田山の麓に到着した。

 高い山ではなかった。しかし鬱蒼たる森林に覆われて昼でも暗く、獣道以外道がなかった。弘元は地図を開き、嶮しい方角を確認した。それから気の利くひとりを樵に変装させ、ひっそり登らせて山賊の巣穴を窺わせた。半日ほどして、偵察が帰ってきた。

「川角連盈は五十余名の賊とともに洞の中にいます。この洞はかなり広く、石造りの戸までありました」

 さらに詳しい報告を聞き終えると、弘元は手勢を二手に分けた。弘元自身は兵十余人を率いて洞の裏門へ向かった。挟み撃ちだ。ひとりたりとも逃がさぬよう手勢に言い含めた。

 

 川角頓太連盈は軍用金を盗んで古巣に帰ってからは、連日手下を集めて酒盛りしていた。ところが今日、突如として軍兵の一隊が押し寄せ、

「賊首連盈、さっさと出てこい。京の管領大内殿が、菊池武俊誅伐のついでにお前たちも誅せんため山麓に寄せ、数万の官軍で取り囲んだ。天の網に漏れると思うな。さっさと出てきて縄を受けよ!」

 ドッと上がった寄せ手の鬨の声が山中に響き渡った。大軍勢の来襲に山賊たちは肝を潰し、戦う気など端からなかった。北の抜け穴目指して慌てて駆け出すが、洞口で待ち構えていた精兵に次々斬り倒された。不意を突かれた山賊は迷い惑って、南へ逃げようと引き返したが、やはり立ち塞がった精兵にあっさりと斬られる。