1327。1434。1492。1527。

 不定例回帰的に訪れるマニエリスム中毒に現を抜かし、近ごろローマ劫掠(1527年)ばかりに目が向いていたが、アタリの『1492―西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)などを読んでみると、《ヨーロッパ》って常に危機的状況にあるんじゃないのか、と改めて感じる。
 アタリのこの本は構成が面白い。1492年に向かって収斂する第Ⅰ部、1492年を語る第Ⅱ部、1492年がもたらした歴史を語る第Ⅲ部。小説を読んでいるみたいだ。Ⅱは編年体様に1492年を追うが、ⅠとⅢは各章の各テーマごとに時間が再帰する。テーマ別に歴史を追うのでとても読み易い。各テーマが関連し合ってひとつの歴史を編む。この歴史が《ヨーロッパ》という物語なのだ。
 たとえば、Ⅰで描かれる印刷技術の発明は非常に重要なメルクマールとなる。これは1492年以前に起こった変化であり、1492年に影響を与え、1492年以降を準備する。印刷術と同時代的な現象として、眼鏡の発明がある。マニエリスムについて書かれた本でも、眼鏡はよく触れられる(こちらは眼鏡というより凸レンズか)。活版印刷と眼鏡の発明は、読書が身近なものになってゆく過程だ。
 と、ここで『薔薇の名前』に思いを来す。バスカヴィルのウィリアムはすでに眼鏡を所有しているが、これは単にシャーロック・ホームズへのオマージュではなく、時代の情勢変化をはっきりした形で示すことで作品のテーマを浮き彫りにする重要な小道具だ。小説の舞台は北イタリアのカトリック修道院。修道僧たちは聖書を研究している。『薔薇の名前』の舞台(1327年)には、まだ活版印刷が発明されていない。書物は修道院の中で写本として「作成」される。細密写本製作の描写が随所に現れて、そのたびにウィリアムの眼鏡が活躍する。これが十四世紀の《ヨーロッパ》だ。ウィリアムは元異端審問官である。
 一方、十五世紀後半の状況を『1492』から引くと――

 ヨーロッパの人口六千万のうち、自分の名前を読める人はわずか二千万、自由に読める人は五十万足らずである。印刷術のおかげで聖職者はあまり苦労せずにより多くの著作に接することができるようになる。それまでいくつかの修道院や大学に閉じ込められていた知識が広まる。富裕市民(ブルジョワ)の家には書斎ができる。商人、船乗り、地理学者、医師、教師は以前より自由にものを考え始め、ビザンティウムから戻ったギリシア・ローマの思想を再発見して驚嘆する。スペインやイタリアの祭司たちがすでに十三世紀から想像していたように、その頃に哲学的思索は宗教的祈りから分かれ、後者は神聖で口にできぬものや恩寵の領域に、前者は意識と理性の領域に属するようになる。

 こうした観点からエーコの小説を読むと、なるほどこれは作中には一切登場しない活版印刷についての話だ、と腑に落ちる。
 活版印刷が発明されてしまえば、『薔薇の名前』における犯行自体が不可能になる。というより、無意味になる。前提が覆されてしまうからだ。現代の読者は(当然作者も)歴史がそのように流れたことを「知っている」。ゆえに、ここで小説が物語っているのは、メディアの変容そのものだ。わざわざ序文付きなのはそのためだ。現代の作者が入手したアドソの写本を基に、アドソの一人称語りとして、小説が構成される。この歴史は西洋世界では常識だろうから、「写本から活版印刷へ」というメディア革命による「知の権力」の移行は当然読者の頭に入っている。
 ――犯行の前提が覆る。
 ここでメディア論は、権力論と結びつく。エーコが描くように、グーテンベルク以前、知は教会に独占されていた。修道院の壁が知の流出を阻んでいた。しかし、写本時代が終わると知は自由化する。
 メディアが変容するときに変化するのは、必ずしも知の在り方や関心領域ではない。最も重要な変化は、知の所有権者が変わることだ。新しく知を独占する者が権力を握る。秘蹟に触れられる者が絶対者になる。旧権力はメディアを統制しようとするが、成功しない。
 印刷術が《ヨーロッパ》に及ぼす大きな変化としてやがて眼に見える形に昇華する潮流が、宗教改革ルネサンスである。歴史の二大潮流が津波のように《ヨーロッパ》を呑み込み、1527年のローマ劫掠に帰結する。《ヨーロッパ》は再び聖地を失う。或いはこのとき《ヨーロッパ》を失う。失われた《ヨーロッパ》として、マニエリスムは勃興するのだ。
 タイトルに年号を並べてみて気付いたが、『薔薇の名前』の舞台になっている年は《劫掠》の二百年前である。まるでちょうど二世紀後に起こる《ヨーロッパ》の聖地喪失を暗示するように。異端審問の時代から宗教改革へ、同時にルネサンスへ、という流れは現在の我々からすれば当然の流れのように映るけれども、当時の教会関係者は印刷技術が信仰を広める役に立つと見做していた。情報が持ち運び易くなったとき、《ヨーロッパ》を拡大しようと海の向こうへ目を向けるのだ。
 1492年はコロンブスが新大陸を発見した年である。この時代、《ヨーロッパ》がユーラシア大陸の西の端ではなく、別の大陸に移される可能性だってあった。常に危機的状況にある《ヨーロッパ》という概念は、その起源を忘却し続けることで存続するのだ。最初はエルサレム、次はローマ、と聖地を移転することで生き延びた。やがて聖地は新大陸に移されるだろうが、それが東の果ての黄金の島国であった可能性だってなくはなかった。宣教師や南蛮商人の提唱するグローバリズム志向に影響を受けた信長の支配構想が日本の《ヨーロッパ》化であったとしても不思議ではなかった。広大な明帝国を制圧下に置きさえすれば、《ヨーロッパ》人はイスラム圏を避けて、日本へ巡礼に赴くことができる。宣教師たちが屈強な戦国武士たちを教皇の尖兵としてユーラシア統一に乗り出そうと画策するならば、安土が新しいローマになったかもしれない。このとき、エルサレムはすでに記憶の彼方で、顧みられもしない。《ヨーロッパ》は再び新たな神話を捏造するだろう。書き加えられた聖書のなかで、聖人たちが日本各地で奇跡を齎すだろう。戦乱が已み情勢が安定すれば、安土という名の教皇庁は再び起源に立ち返ろうとして、エルサレム奪回、ローマ奪回のための十字軍を編成することになるだろう。そうして絶え間なく続くイスラム世界との戦争やユダヤ共同体の排斥・呼び戻しの連環運動によって、世界は急速に《ヨーロッパ》となってゆくだろう……。
 もちろん架空の物語である。けれども、この空想は今現在の世界情勢とどう違うだろうか?
 印刷術が生み出した知の伝播は十六世紀に宗教改革を引き起こしたように、十八世紀にはスピノザを嚆矢として啓蒙思想を準備するだろう。辞書がベストセラーとなり、旧弊なラテン語文献の翻訳は日増しに進むだろう。情報は共有され、市場で売り買いされるだろう。市場を効率化する学問、数学が発展するだろう。同時に数学は力学の基礎となり、産業の翻訳となるだろう。こうして産業革命が準備されるだろう。工学ばかりか経済の数学化が二十一世紀まで綿々と続き、やがて爛熟して弾けるだろう。数学化された政治は1989年に一度弾けるが、そう遠くない将来に再燃するだろう。共同体やコミュニケーションが数学化されるだろう(コミュニケーションの数学化とは、《物語》だ)。物語を一般化したとき、政治は再び数学化するだろう。今のところ最も達成に近い場所にいるのは依然として《ヨーロッパ》であるが、では、現在の《ヨーロッパ》はどこにあるのだろうか? いまや《ヨーロッパ》以外の場所を探すほうが難しいのだが。
 聞くところによると、Googleには海上に巨大サーバー群を建設する計画があるという。波の揺り返しによる自家発電で動力を得る低コストで環境にも優しい人工島だそうだが、案外、それが将来の聖地かもしれない。

 始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。暗黒が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が「光あれ」と言われると、巨大サーバー群が出現した。神はそれを見てよしとされた。

 或いは、未来人はこんな創世紀注疏を読み、聖地巡礼ツアーが流行しているかもしれない。瑣末な問題だが、そんな未来で「箱舟」と呼ばれているのは、巡礼船だろうか、それともサーバー島のほうだろうか。