"Nightwatch":ピーター・グリーナウェイ監督『レンブラントの夜警』雑考

 クローチェは内容と形式の相違を認めない。後者は前者であり、前者は後者なのだ。アレゴリーは彼には化けものに見える。まるで暗号のように、一つの形式のなかに、直接的ないし逐次的意味(ウェルギリウスに導かれて、ダンテはベアトリーチェのもとにいたる)と比喩的意味(人は理性に導かれてついには信仰にいたる)の二つの内容を盛り込もうとするからだ。こうした書き方は手の込んだ謎をもたらす、と彼は思う。――「アレゴリーから小説へ」(『続審問』所収)

 西洋社会では、プラトンが批判して以来、制作におけるミメーシスは衰退したが、概念としてのミメーシス(それはミメーシスとは呼ばれない)は発展した。理念としてというほうが正確だろうか。たとえばスピノザの「遍在する神」という概念は、中世スコラ哲学においても珍しくなかった。むしろ中世を通じて醸成され興隆した、ひとつの思考秩序だったと言えるかもしれない。
 それが、アレゴリーである。

 十三世紀には、象徴主義的ロマンス『薔薇物語』のなかで、さらには百科宝典『三重の鏡』のなかで、このイメージが再現する。十六世紀には、『パンタグリュエル』の最終巻最終章が、「われわれが神とよぶ、どこにも中心があり、どこにも周辺がないあの知的な球体」に言及している。中世の人びとにとって、この意味は明瞭であった。神はひとつひとつの被造物の中に在り、そのどれによっても限定されることがない。――「パスカルの球体」(同書所収)

 こうした中世的アレゴリーからの脱却を、ボルヘスはチョーサーがボッカチオを英訳した14世紀後半に起源を求め、古代/中世/近代という歴史学の三分法に抗して古典主義時代というパラダイムを導入したフーコーによれば、「思考が類似関係の領域で活動するのをやめた」時期、「相似が知の形式でなく錯誤の機会であり、混同の生じる不分明な地域の検討を怠るとき人が身をさらす危険となった」時期は、17世紀前半である。文芸で言えば、『ドン・キホーテ』から始まったことになる。
 17世紀を生きた画家には、レンブラントがいる。
 セルバンテスのスペインとレンブラントのオランダは、共にハプスブルク支配下にあった土地である(ベラスケスもレンブラントと同時代人だ)。17世紀のオランダはハプスブルク家の帝国支配から独立し、いち早く共和制を敷いた新興国だった。自由貿易が栄え、市民社会として繁栄した時代。江戸幕府が限定的な貿易を認可したのも、このオランダである。
 そのレンブラントの代表作に『夜警』がある。謎に満ちているとされてきた絵だ。市警団の集団肖像として注文されたにもかかわらず、描かれた人物の大きさはまちまちで、しかも関係のない少女が紛れ込んでいるばかりか中央に配置されている。それまでの肖像画の常識を覆して、人物の視点は一定しないで好き勝手な方角を見つめている。そして、この制作以降、レンブラントは破滅への道を進んだという。
 グリーナウェイの『レンブラントの夜警(原題"Nightwatching")』は、これらの謎を大胆に解釈した映画である。オランダ絵画への偏愛はグリーナウェイが自作に刻みこむ刻印のようなものだが、今作は実在した画家を中軸に据えた。
 この映画は、アレゴリーアレゴリーの死について語りかける。
 主人公はもちろんレンブラントであり、画家が市警団の集団肖像画を制作する過程を追ってゆく。画家の背後で蠢く市民社会の陰謀や退廃したエロスの描写が、演劇と絵画と現実の境界を歪めながら前景化されてくる。これは『英国式庭園殺人事件("The Draughtsman's Contract")』以来のモチーフである。
 ひとつの重要な背景として、イギリス社会の動乱に関する噂話がある。清教徒革命前夜、イギリスの情勢変化に乗じてひと儲けをたくらむ市民たちが謎の仕掛けの要因となる。
 こうした歴史背景は、映画にリアリティを与えるものだ。そして、この映画的リアリティがテーマを見事に二重写しする。
 フランドル地方市民社会に生きたレンブラントフェルメールは、英雄や王室を描いてきた画家とは違って市井の名もなき人々を描き続けたと言われる。しかし、これは芸術論や倫理観の変化への言及ではなく、金を持っているのは誰か、という経済的な問題しか示さない。この映画の面白さは、そんな市井の人々のありのままの姿を描いた肖像画家としてのレンブラント像を逆転させ、それを更にもう一度逆転させて、芸術におけるありのままの姿とは何かを暴き出す点である。画家にとって市民社会の陰湿さは、教会や王室の強権と同様に生々しく、危険だった。画家を縛る契約という社会通念により、注文主の意に沿わない真実は直接には描けず、寓意として絵に籠めるしかなかった。
 中世の画家はアレゴリーによって理性や信仰や永遠の美を表現したが、レンブラントの描くアレゴリーは生々しい陰謀と現実そのものになる。画家は、ローマ人に扮装したアムステルダム市民という逆転したアレゴリーをモデルに強要する。けれど、アレゴリーという思考形式自体が捨てられようとしていた。
 象徴的なシーンがある。
『最後の晩餐』を模した構図が野外の昼食の席で示される場面だ。イエスの位置にいるのがレンブラント、聖ヨハネの位置にその妻サスキア、ユダの位置にサスキアの伯父が座っている。やり取り自体も、いかにも最後の晩餐のパロディのようである。この構図は繰り返される。けれど、これは明らかなミスディレクションで、寓意は寓意として成り立たない。画家は画商である伯父が金のために自分を売り払おうとしていると考えるが、それが正しくないことは後に明らかになる。伯父の裏切りは肖像画に寓意を籠めようとする画家の信念に対してであり、むしろそうすることで画家の身を救おうとしていた。伯父が否定するのはレンブラントではなく、アレゴリーなのだ。『最後の晩餐』の間違った構図は、示す寓意が偽物であることを示唆している。この作品世界では、アレゴリーアレゴリーとして作用することはない、という宣告なのだ。
 それでもなお画家は、「黒く塗られた闇を見張り続ける者」として孤独に屹立しようと試みる。作中には時折、まるでデレク・ジャーマンの映画めいた黒塗りの背景が現れ、スポットを浴びた人物たちが前景で会話を交わす。当然、彼らは背後にある闇に気付かない。
 それは闇というよりも、見る必要がないために省かれた演劇的背景のように映る。人物に焦点を当てるために背景を塗り潰したというように感じられる(実際、ジャーマンはその目的でこうした手法を多用する)。
 その黒塗りの向こうには何もないという世界からメッセージに対して、レンブラントの眼だけが黒塗りの奥を覗き込もうとする。「闇を見張る者」として市民社会の陰謀を暴き出し、その寓意を絵に籠めようとする。
 しかし、注文主である市警団は巧妙に真実を隠し続ける。描かれた絵を廃棄するのではなく、賞賛することによって。描かれた表層だけを観るように強い、表層の奥は黒塗りで寓意など存在しないことを示し、内容と形式は一致していると証言し、「光の画家」レンブラントを称揚し、その証拠として、絵は組合所の壁を飾り続ける。
 もはやアレゴリーアレゴリーとして認められることはない。その絵に籠めたレンブラントの思惑など、一顧だにされることはない。こうして、レンブラントの闇を見張る眼は潰されてしまう。

 描かれた者は「あれが我々だ」と誇る。「これから皆が我々を見るだろう。我々はその眼を見返してやるのだ。我々は描かれた絵だから」彼らが望んだのはそれだ。

 お前は彼らをリアルな人物に描いた。お節介にも。立っているだけでよかったのに。お前の絵では誰も視線を意識してない。これは俳優の演技だ。お前の絵のなかにいるのは、すべて俳優。リアルな人物ではないのに、なぜかリアル。……ひとりを除いて。お前自身の自画像だけが見られることを意識し、我々を見ている。新しい様式の絵に、自分自身を古い様式で描いた。

 いまや肖像画は視線を観客に向けることはない。見ないことによって、絵のなかの肖像は観客を見返し続ける。そこにあるのは、リアリティである。生のままの生活だと思わせる、演技である。けれど、それは現実ではない。そして、絵でもない。
「これは絵ではなく、芝居だ」と、画家は無情にも宣告されるのだ。
 アレゴリーアレゴリーとして受容されることなく、現実のように受け入れられるようになった。現実の奥には何もなく、ただ表象のみが存在するのだ。芸術は現実の写し絵となり、現実は芸術に転写される対象となった。そうした思考形式の反転までには、ソシュールヴィトゲンシュタインジョイスプルースト、そしてセザンヌの登場を待たなければならない。
 それでも、アレゴリーは価値を回復できない。無知ゆえにではなく、知の在り方の変容のためにである。


 ちなみに、この映画は複数のファンドによって製作されているようだ。かつては王室御用達だった絵画世界から市民の組合が画家を雇うようになった時代を描いた映画としては、気が利いている。
 ファンドはこの映画を気に入っただろうか?