【リライト】曲亭馬琴『近世説美少年録』発端部1

近世説美少年録

 

 

1 阿蘇攻め

 足利義稙が二度目の室町将軍に就くと、周防、長門豊前筑前、安芸、石見、山城の七ヶ国の守護、大内左京権大夫多々良義興がその功労から管領代に就任した。管領職は細川、畠山、斯波の三家のみ任じられる役職だったため、極めて異例な人事だった。

 その翌年。

 永正六年(一五〇九)春二月。

 九州肥後国にて菊池肥後太郎武俊が南朝残党を結集し、阿蘇山古城に立てこもった旨、鎮西守護の大友親春、太宰少貳が幕府へ報告した。

 将軍義稙は、管領細川高国管領代大内義興、畠山尾張入道卜山、近江判官六角高頼ら諸老を集め、協議に入った。

 口火を切ったのは、先ごろ出家した畠山入道卜山だった。

南北朝動乱の折、菊池寂阿は南朝に与して後醍醐天皇のため討死した。その後を継いだ菊池武光、武政もまた南朝方として九州数ヶ国の支配にまで及んだが、南北朝おん和睦の頃には菊池の武威も衰えた。当時、将軍足利義満公おんみずから数万の精兵を率いて菊池武政征伐に九州へ向かわれ、武政はしばしの間防戦したが降伏、義満公の寛大なるお心配りによって肥後半国を賜ったのだ。それなのにしつこく野心を抱いた。さらには同類の武士どもまで将軍家に従わぬことが多くなった。されど、その武政も身まかり、やがて嫡男武朝が討死した後は一族離散し、菊池家もいまや断絶している。思うに、こたびの謀叛を起こした菊池武俊とやらは武政の孫であり、武朝の子であろう。いまさら菊池が廃城に籠もろうと恐るるに足らぬが、肥後の武士をかき集めて多勢となっては大事に至らないとも限るまい。小火のうちに討手をつかわし、速やかに誅伐すべきだ」

 語りながら畠山卜山は、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの大内義興の表情を窺った。もはや卜山は幕府中枢での出世を望みはしなかった。長年にわたって義稙を支え、今度の将軍再任に人生を賭けて尽くしたのに、大内義興にすべてかっさらわれたのだから。

 媚びるような畠山の視線を受けつつ、大内義興は口を開いた。

「畠山入道はよいことを言われた。これは去年の冬のことだが、御所へ侵入した盗賊を、我が君おんみずからお斬り伏せになった事件があった。その際、我が君も九ヶ所の手傷を負われた。幸いにして平癒なさったが、いま思えば、かの賊も菊池武俊の刺客であったのやもしれぬ。こうなっては征伐は早々に行わねばならぬのはむろんのこと。まずは、大将にふさわしき者を選ばねばなりますまいな」

 諸老みなが義興に注視していた。異論などなかった。彼らには、将軍義稙がどう決するか最初から分かっていた。

管領代は中国七州の大大名である。武勇に優れ、武略も備わっている。奸賊追討の総大将として、彼を置いてだれが相応しかろう。管領代よ。政務で忙しかろうが、早々に周防へ帰り大軍を揃えよ。阿蘇の孤城を攻め落として武俊の首を獲って参れ。ひとえに頼むぞ」

 こうして将軍直々の命を受け、大内義興は三千余騎の手勢を連れて京の都を出発した。

 

 同月下旬。

 大内義興は、周防国吉敷郡山口城に帰着した。さっそく九州諸国に対し、征伐軍への参集を命じた。大友備前守親春、太宰新少貳教頼に加え、原田、山鹿、宇佐、千手、宗像、酒殿、立石ら、九州北部の小大名がその催促に応じた。

 幕府軍は五万余騎にまで膨れ上がり、一挙に肥後国へと押し寄せたのだ。

 --阿蘇山

 噴火の煙がもうもうと立ち上る火山が間近に迫り、義興は情勢を探るべく忍びを放った。

 戻った忍びが告げるには、「古城にたてこもった賊徒は一千余りございます。菊池武俊に幕軍を恐れる気配はなく、一矢で敵を射抜かんとばかりに防戦の用意に努めておりました」

「なんと異様な」義興は嘲笑った。「この大軍を前に賊徒どもは捨て鉢になったか」

 菊池武俊がどれほどの武勇を誇ろうと、一千余りの小勢にすぎなかった。その上、烏合の衆ときては、幕府の精兵数万相手に勝ち目のあろうはずもなかった。賊軍が勢いづく前に、数に任せて山の三方から攻め上ればたやすく踏み潰せるだろう。

 義興は将らに言った。「長旅の疲れを癒せ。今夜はここで人馬を休ませる」

 阿蘇沼のほとりにある霊蛇を祀った神社が、幕軍の本陣だった。将たちが散開していくなか、ひとりの武士が居残って、

「殿。この地での陣営、どうかお考え直しくだされ」辺りをはばかるような囁き声で義興を諌める。「この神社は菊池武光によって建立され、厳島の神が合わせて祀られております。筑紫でその霊験を知らぬ者はございません」

 この男は、安芸国高田郡多治比村の住人、大江備中介弘元であった。源頼朝の代、鎌倉幕府の政所別当だった前陸奥大江広元の末裔ではあるが、彼自身はわずか一千貫の郷士にすぎなかった。

 弘元は、厳島神社に祀られた弁才天を深く信仰していた。同じ弁才天を祀る阿蘇沼の霊蛇神社を戦禍に晒すわけにはいかないと、阿蘇沼神社の始まりを義興へ説き始めた。

 

 昔、菊池武光阿蘇山に城を築こうとしたときでした。硫黄燃え出る阿蘇山では絶えず煙が吹き上がり、建築中の城郭は必ず焼け崩れました。武光は、築城に成功した者には好きに褒美を与えると、村々まで広く知恵を募りました。

 肥後国山鹿郡木山村に、浮木という名の老女がいました。生まれ故郷は安芸広島で、宮島の弁才天を熱心に信仰していました。夫と独り子に先立たれた後、女はわずかな縁を頼ってこの肥後を訪れたのです。そして、人の着物の洗濯などして生計を立てていました。

 ある日、浮木は洗濯に出た木山川の河原で、大きな卵を見付けました。これは珍しい、そう思って持ち帰り、綿を敷いた苧桶に収めていますと、卵は自然と割れ、なかから赤子が生まれました。浮木は驚きましたが、その赤子を憐れんで、ともかくも大事に育てました。驚くことに、赤子はわずか半年で七、八歳の童子よりも大きうなりました。噂が広まり大勢が見にきましたが、浮木はかような野次馬を気にもせず、ただただ子供を愛情深く育てました。その子には、玉五郎と名付けました。

 やがて玉五郎が言いました。「伝え聞くところでは、阿蘇山に城を建てれば菊池殿から褒美がもらえるそうですね。育ててもらった恩に報いたい。たくさん褒美をもらいましょう。豊かな老後をお過ごしください。殿様に城の縄張りを願い出てください。早く早く」

 菊池武光は訪れた老女を疑いましたが、玉五郎の怪談については聞き覚えがありました。そこで、「試しにやってみよ。成功すればむろん褒美をやろう」そう許可を出しました。

 帰宅した浮木が首尾を報告しますと、玉五郎はすぐさま言いました。「灰を袋に入れてください。それを持って阿蘇山へ行きます。急いで」

 玉五郎が浮木の腕を引いて行きますと、遠いはずの阿蘇山までなんと一日で着きました。玉五郎は浮木を背負い、楽々と高嶺までよじ登ります。それから噴煙を仰ぎ見て呪文を唱えますと、あやしむべし、それまで一日たりとて絶えることのなかった阿蘇山の噴火がたちまちにして消え失せ、煙さえ立たなくなったのです。

 玉五郎は浮木を振り返り、言いました。

「あなたは慈善の人だ。しかし前世からの報いで夫を失い、子を先立たせ、孤独な老女になられた。その因縁はようやく終わり、今後は安らかに過ごせるでしょう。それだけではありません。死後、あなたは神仏となって長く祀られることになります。ご存知なかったでしょうが、あなたは、寿永の頃この九州で名を馳せた尾形三郎惟義の末裔なのです。尾形は大蛇の子孫だったそうです。あなたが私を育んだのも、また弁才天を信仰したのも、実を言えば、同じ因縁からだったのです。さあ、親子の契りもこれまでです。今日をもって長いお別れとなります。どうか、私の本当の姿を見ても恐れないでください。私が通った後にその灰を降り敷いてゆけば、おのずと縄張りができます。城だけでなく、山と楢木野の間に広い沼を作って神様に捧げましょう。私はそのほとりに住みつきます」

 そう言って身を翻すと、玉五郎は八尋余りの白蛇に変化しました。巨大なその蛇体を伸び縮みさせながら山を這っていきます。浮木は息を静めると、玉五郎に言われたとおり蛇の通った後に灰を撒いてゆきました。蛇のぬめりでへばりついた灰は、地面に凝固したかのようで、まるで消えませんでした。

 城郭の縄張りが完成しますと、白蛇は浮木へ別れを告げる面持ちを見せ、雲を起こして麓へと飛び去りました。そのまま野の古井戸に飛び込み、周囲何十町が窪んでたちまち沼になったのです。深さを測ることは到底できませんでした。里人は、琵琶に似た形から琵琶の沼とも、また、阿蘇沼とも呼びました。

 菊池武光は浮木から縄張りの顛末を聞きますと、霊蛇の不思議に深く感じ入りました。やがて、縄張りどおりに城を築きました。神の祟りも噴火もありませんでした。武光は浮木に二十町の田畑と沙金千両を贈ろうとしましたが、浮木は金だけを受け取り、田畑は断りました。金は村長に預けて貧民に施させました。また道を作ったり橋を作ったりしました。三年ほどで金が尽き始めますと、浮木は眠るようにして亡くなりました。村長は里人と相談し、その亡骸を阿蘇沼のほとりに葬りました。遺された金で祠を建て、ここを浮木の弁天と称えたのです。

 菊池武光は、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の果てまで討ち従え、九州に武威を誇りました。霊蛇の擁護によるものだと武光は語りました。武光は阿蘇沼のほとりに神社を建立し、厳島弁才天を合祀して浮木の弁天を末社としました。子の武政の代まで続いた弁天社の祭礼は、阿蘇神社にも劣らぬほど壮観でしたが、武政の子や孫の頃には信仰は薄くなり、神社も修復されませんでした。菊池家が零落した頃から再び阿蘇山は噴火を始め、また旧のように煙が立ち昇るようになったのです。

 かような前例がありますのに、それでも霊蛇の神社を本陣になさいますか。雑兵の乱妨取りをお止めにもなりませんか。ご祈願なされとは申しません。せめて本陣を移してくだされ。神の憎しみを買えば、必ずや後悔なさることでしょう。

 

 大内義興はため息を吐いた。

「教養ある家柄に生まれ、文武の達者と言われる大江殿が、なんとも似合わぬことを言う。菊池が大蛇を崇めるのは愚民を惑わす奸計であろう。そもそも毒蛇は蟲の類。それを霊あるといい、神と祀るのは邪教だ。淫祠、邪教は民を害する。ゆえに、本来ならば壊さねばなるまい。それを壊さず本陣として用いるのだから、悪しき神にとっては幸運であったろう。備中介、今後かような妄言を言いふらして人を迷わすことは固く禁ずるぞ」

 そう鋭くたしなめられると、弘元には諌めようがなかった。すごすごと退くしかなかったが、弘元の心は鬱いだ。管領代が相手では逆らず、悔しい。しかしそれより、弘元もまたこの本陣に宿泊せねばならなかったのだ。

 

 その夜、日が暮れてから雨が降った。大雨になった。丑三つ頃、激しい風音が一帯に轟いた。阿蘇沼に集った水鳥の群れ飛ぶ音が騒がしかった。陣中に立てた無数の篝火が忽然と消えた。

 大きな物音がし、兵たちは一斉に目を覚ました。

「夜討ちだ!」

「者共、出よ! 防げ!」

 矢継ぎ早に叫び声が飛び交う。騎馬武者は鞭を振り上げ、馬へ向かった。士卒は矢を掻き集め、槍、薙刀を逆さに脇挟み、将に遅れじと陣門から外へ走り出た。

 が、敵はいなかった。

 そのとき彼らは、阿蘇沼の水が逆立っているのを目撃した。呆然と見ていると、その沼水が岸に向かって溢れかえり、高波となって彼らに襲いかかってきた。

 轟!

 と、巨大な音に耳を圧せられ、水音もろとも波に呑まれた。あっという間に大勢が溺死した。かろうじて水面に顔を出した者も弓矢を流し、槍を失った。後方にいた者たちは必死に丘へ逃げようとしたが、暗闇のせいで方角さえ分からなかった。

 総大将大内義興はじめ、大友、太宰その他の諸将は水厄からなんとか免れ、一里ばかり後方の小高い場所へと避難できた。夜が白んだとき、ようやく惨状が明らかになった。阿蘇沼がどこにあったのか、丘から眺望しても判然としなかった。吉田、楢木野から阿蘇山麓まで、一面、大きな湖になっていたのだ。

 陣幕はどこにもない。兵糧はことごとく出水に奪われた。このままでは飢え死にするだろう。義興は急遽近郷諸村に命じ、食糧を送らせた。阿蘇宮大宮司へも兵糧の催促を行った。

 水没した陣屋を見ながら、義興は身の震えが止まらなかった。

 ……いまこのとき菊池に攻め込まれたら我らはどうなる。なぜ沼の水が溢れたのだ? 洪水は霊蛇の祟りだというのか? ああ、山崩れが起きるかもしれない。城攻めを前にして大軍勢を失った。このままでは、義興は世間の物笑いとなるだろう。

 義興の気は逸ったが、その後二日間、なにもできなかった。三日目の夜になって、ようやく水が引いて元の陸地に戻った。義興はただちに先陣、後陣を再編成した。水害による大損失を敵に知られる前に、菊池の籠る阿蘇山古城を落とす他なかった。

 麓道から阿蘇山深くへ一気に攻め上った。どっと鬨を作った若武者たちは我先にと駆け出した。大手門と搦手門から同時に塀を越えた。城門を破った先陣が攻め入った。

 城内は、無人だ。

「……どうしたことか」

 兵たちは唖然として立ち尽くした。そのとき、地面が裂けるような振動に襲われた。なんだ、なんだ、と疑う暇もなく、いきなり足元から炎が噴き上がり、兵たちは焼かれた。

 空っぽの城を大叫喚が満たす。その悲鳴を覆うようになお轟々と猛火が立ち上る。ここは火山だ、硫黄の気が充満している。気体に燃え移り、大炎は際限なく燃え広がる。類焼する櫓の炎に囲まれて大内勢は城から逃げられなかった。攻め込んだ士卒四、五百人はどこへ逃げることもできず、ことごとく灰燼と化していった。

 大内義興は、阿蘇山城から七、八町離れた山路にいた。士卒を励まして進軍するその馬上で、前方の地獄絵図を目撃したのだ。轟音が耳をつんざき、赤々と広がる猛火に彼の世界は包まれた。

 なにが起きた? だが、義興に考える余裕すら与えられなかった。総崩れとなった前陣が雪崩を打って引き返してきたからだ。隊列が押し戻されると、退却を命じるだけで精一杯だった。麓まで退いてようやく、義興は息を吐いた。

 山火事はまだ収まらなかった。峰は鳴動を続けていた。古城は残らず燃え果てた。石垣すら焼け砕けた。立ち上る煙はいつまでも消えそうになかった。

 山麓阿蘇谷に陣営すると、雑兵が自棄になったようにあちこちで声を上げた。

「武俊が空城に地雷火を残したのだ。矛さえ交えず我らを殺したこの計略、死せる孔明生ける仲達を走らす、の例えどおりではないか!」

 

 義興は鬱いでいた。取り返しのつかない失態を犯した。菊池残党の征討など赤子の手をひねるようなものだったはずだ。なんの手柄もなくおめおめと退却した上、討伐すべき敵をさえ見失った。

 義興は手近な兵を連れ、阿蘇宮司屋敷へ向かった。大宮司はうやうやしく出迎え、茶や菓子でもてなし旅の疲れを慰めた。

 心安くなった義興は、つい弱気を口にした。

「水と火の予期せぬ大禍に遭うて多くの士卒を喪うた。空城の猛火は武俊の地雷火による策略であろうが、沼の出水はいまもって理解できぬ」

 大宮司は首を傾げ、「当家は遠祖より当社に仕え、長く旧記を相伝しておりますが、沼水が湧いて人馬を損なったという記録はございません。また、古城が燃えたのは地雷火によるものでなく、自然の硫黄火の焼き抜けではありますまいか。阿蘇山の噴火は、古くから同一の場所で起こってきたのではございません。近頃は法性崎と北と中の岬稜から間断なく煙が昇っていました。不入の神山の煙が一旦絶えたとき、菊池武光殿が城郭を築かれましたが、いままた硫黄火が燃え出しその城を焼いたのも神の御業でございましょう。測りがたいことです。ともあれ、南北両統合一に至ってなお戦はやみませぬ。むしろ戦費は増す一方で、当神社の数万貫の神田までも横領され、社が崩れても修復費用がないのです。神威いまも衰えず、登山者に賞罰あり。管領様は刃を血に染めずに逆賊武俊を逐い果たされました。城も焼かれたとあれば、神慮に叶うたことでしょう。あなた様は武功を挙げられたのです」

 そう慰められ、義興は頼もしい心地になり、阿蘇神社に参詣して白銀幾枚かを奉ってから阿蘇谷の陣屋へ戻った。陣に戻ると、被害状況も大方判明していた。溺死者だけで一千余騎。焼死者も少なくなかった。だが、水と火による死者は士卒のみで、将の犠牲はなかった。

 いや、ひとりだけあった。

 大江備中介弘元が行方不明だった。

去年マリエンバートで:アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』雑考

「つい去年の夏も、私は、マリーエンバートで……」

エッカーマンゲーテとの対話』1824年2月29日、日曜日(山下肇訳)

 

去年マリエンバートで』という映画。アラン・レネ監督、アラン・ロブ=グリエ脚本。名作と言われ、難解と言われる。豪華なセットや衣装、巧みなカメラワークと比較して、ストーリーはミニマムで反復が多いところが難解さの原因だろうか。

 よく語られる紹介はこんな感じ。「ある男があるパーティで、「去年マリエンバートでお会いしましたね」と女に語りかけて当時の様子を語るが、女は身に覚えがないと答える。そんなことはない、私とあなたは恋に落ち、一年後の再会を約束した、と男は去年起こったことを語り続けるが――」

 これ、実は間違っている。

 男は女に対して「去年マリエンバートで……」とは語っていない。男が言ったのは、「去年フレデリクスバートで……」である。

 だから本当なら、タイトルは「去年フレデリクスバートで」であるべきだが、それは後述するとして、「私はフレデリクスバートへは行っていない」と女が答えたとき、男は平然とした態度で言う。

「それでは、別の場所だったのでしょう。カールシュタットかマリエンバートかバーデン・サルサか、それともここか」

 ここで初めてマリエンバートが登場するが、これは男が適当に羅列した地名のひとつにすぎず、場所はどこでも構わなかった。マリエンバートが特別に重視されたわけではない。

 後半、女は男から庭園で撮ったという彼女の写真を渡されるが、その写真を見た彼女の《夫らしき男》(※)がいつどこで撮った写真かと尋ね、彼女は「去年フレデリクスバートで撮ったものでしょう」と答える。

 つまり、この映画で特権化された場所は(たとえ任意のものであろうと)、マリエンバートでなくフレデリクスバートなのだ。

 

※ 映画は男の記憶に基づいて語られるため、彼がよく知らないこの男が何者なのか確定されることはない。あくまで《夫らしき男》だ。

 

 だとすれば、そもそもマリエンバートはどこから出てきたのか。どうしてタイトルに無関係な地名が用いられているのか。

 脚本を担当したアラン・ロブ=グリエは、ヌーヴォーロマンを代表するフランスの小説家だ。この新しい小説は反小説とも呼ばれ、物語の意味を解体、剥奪してゆく小説だった。ヌーヴォーロマンには、意図的に意味を無化したタイトルも多い。そこでフレデリクスバートでなくマリエンバートなのはヌーヴォーロマンらしい戯れだと言われればそこまでの話になり、カールシュタットでもバーデン・サルサでもカールスバートでもよかったことになる。

 いま、むりやりカールスバートを混ぜ込んでみたが(列挙する保養地はどこでもいいのだ)、このとき男が口にした地名にカールスバートがなかった事実が、かえって意味深長に思えてくる。ヌーヴォーロマンの脱意味指向が働いたとするなら、意味を与える言葉は排除しなければならなかっただろう。しかし、排除という意志が垣間見えたなら、そこには意味が生まれてしまうだろう。

 マリエンバートとカールスバート。この二つの地名がもしも並置されていたら、それらはフレデリクスバートやカールシュタットやバーデン・バーデンなどより意味をもって浮き上がって見えただろう。

去年マリエンバートで

 だれがその言葉を口にしたか? 次の年にマリエンバートの記憶を他者に語った人物がいるなら、それはゲーテだ。それが冒頭のエッカーマンによる記録である。

 ゲーテとマリエンバートの深い関わりを、ロブ=グリエが知らないわけがない。

 

 ゲーテ後期の詩作に「マリーエンバート・エレジー」という抒情歌がある。邦訳では「マリエンバートの悲歌」のタイトルで収録されず、「情熱三部曲」二番として「エレジー」とか「悲歌」と呼ばれることが多いようだ。

 1821年7月、ゲーテはマリエンバートへ湯治に赴き、以前に思いを寄せたことのあるアマーリエ・フォン・レヴェッツォー夫人と再会した。夫人は三人の娘を連れていた。その長女がウルリーケ・フォン・レヴェッツォー、十七歳。ゲーテはウルリーケに恋をした。翌年も翌々年もゲーテはマリエンバートへ行き、レヴェッツォー母娘と夏を過ごした。そうするうちにウルリーケへの恋心はどんどん募り、ついに十九歳のウルリーケに求婚した。ゲーテはこのとき七十四歳だった。

 1823年8月18日、老ゲーテの娘に対する恋情を知ったレヴェッツォー夫人は、娘たちを連れてカールスバートへ移った。ゲーテはマリエンバートに残って絶望の日々を過ごしたが、8月25日、ウルリーケの後を追ってカールスバートへ向かった。その地でしばらく共に日を送り、9月5日、ゲーテは訣別を覚悟してカールスバートを発った。「悲歌」の詩作はここから始まったらしい。

 ちなみに『去年マリエンバートで』では、去年の今頃はひどく寒くて池が凍った云々と異常気象について客たちが話すのを傍で聞き、男は、あり得ません、もう夏でした、と女に言っている。ゲーテが恋に浮かされ、求婚して断られ、永遠に彼女と訣別した「去年」とは、1823年の夏のことだった。

 

(「マリエンバートの悲歌」は)他の詩と違って、それぞれが現在の瞬間として言語化されている。「現在にすべてを賭けた」とゲーテは言う。「現在には現在の権利がある。その日その日詩人の内部から溢れでる思想や感情はすべて表現を要請する」という彼の信念に忠実な構造であるといえる。(内藤道雄)

 

「マリエンバートの悲歌」でゲーテが試みたのは、記憶の現在化だった。それほど長くない詩だが、一気呵成に書き上げられたものではなく、居場所を移しながら書き継がれた。悲歌が描いた世界は常にゲーテの目の前にあって、いままさに体験しているように語られる。そこに記された記憶は過去のものではなく、現在の体験なのだ。

 そしてゲーテ自身、自らの傷を癒すために書き上げたその詩を他人に繰り返し朗読させて聞き続けたそうだ。そうやって何度も何度も聞くうちに心が回復したと本人は言った。

 この挿話から、私はキルケゴールの謂う「反復」を思い出す。

反復と追憶は同一の運動である、ただ方向が反対であるというだけの違いである。つまり追憶されるものはすでにあったものであり、それが後方に向かって反復されるのに、ほんとうの反復は前方に向かって追憶される。だから反復は、それができるなら、ひとを幸福にするが、追憶はひとを不幸にする。(キルケゴール『反復』 桝田啓三郎訳)

去年マリエンバートで』に流れている時間の観念も同じものに思える。劇中で語られるのは男の記憶だ。だからこそ、この映画には過去が存在しない。

 人がなにかを思い出すとき、そのなにかは過去ではなく現在にある。想起を経験しているのは現在の自分である。

 難解と言われる理由は、現在と記憶が地続きに描かれて境がないからだろう。しかし、その二者の間にそもそも境はないのだ。もっと言えば、劇中で現在とされている時間(「去年お会いしましたね」と男が女に語る時間)も、男の記憶かもしれない。記憶は語られることで現在として現前し、反復される。すなわち、前方に向かって追憶している。

 こうして、ラストの語りに撞着する。

 その庭園は平面だから迷うことはないと彼女は思うだろう。男がそう独白する。だが、女がその庭で迷い続けるだろうと男は知っている。永遠に、彼とふたりで。

 平面とは、奥行きのない時間のことだ。過去や未来との境がなく、すべてが記憶となり、思い出されたときだけ意識するそれら記憶は、常に現在にある。女が迷いこんだのは平面な現在であり、人生とは想起でしかない平面だと暗示している。

 

 いま/ここが全てなら迷いはないように思えるが、過去や未来の奥行きもなく、どれが本当に起きたことか、これから起きることか、その真偽の判断がつかないことは迷いそのものだ。すでに書かれたテクストを繰り返し読む行為にも似て、書かれた言葉がたとえ真実だとしても、解釈は常に固定されるわけではない。いつ書かれたかは問題ではない。テクストには、それが読まれるいま/ここ以外の時間はない。

 ここに『モレルの発明』との相違点がある。このビオイ=カサーレスの小説は、清水徹の訳者解説によれば(ヌーヴォーロマンの訳書も多い)、『去年マリエンバートで』の着想元の可能性がある。ただ、その情報に囚われすぎると類似性ばかり追うことになりかねないので注意が必要かもしれない。

 大雑把に言うと、『モレルの発明』は記録に入り込む話であり、『去年マリエンバートで』は記憶に入り込む話だ。これは似ているようでかなり違う。記憶は反復されれば事実を変えるが、記録された事実は本質的に変化しない(キルケゴールの言葉では「追憶」に近い)。

 この映画がタイトルに「マリエンバート」を持ってきたのが意図的であれば(前述したとおり、特権化された場所はフレデリクスバートだ)、より容易に想起されるのはゲーテの悲歌のほうに思えるのだが、どうだろうか。

 

 

 さて、この映画には詩が登場する。ゲーテではない。リルケの『形象詩集』だ。

 1:08:23。女が男から渡された自分の写真(庭園で撮られた彼女の記憶にない写真)を挟んだ本がそれで、開かれた右ページは写真で隠れているが、左ページは全文映し出されている。

In solchen Nächten wissen die Unheilbaren:

wir waren...

Und sie denken unter den Kranken

einen einfachen guten Gedanken

weiter, dort, wo er abbrach.

Doch von den Söhnen, die sie gelassen,

geht der Jüngste vielleicht in den einsamsten Gassen;

denn gerade diese Nächte

sind ihm als ob er zum ersten Mal dächte:

lange lag es über ihm bleiern,

aber jetzt wird sich alles entschleiern ―,

und: daß er das feiern wird,

  fühlt er...

 リルケ『形象詩集』に収録された「あるあらしの夜から」の一節である(ドイツ語だ。念のため)。「題詩を伴なう八葉の詩」との詞書どおり、八つのパートに分かれている。カメラが捉えたページは、その五番目の詩だ。

 以下、生野幸吉訳。

<5>

こうした夜々に もう癒る望みのない病者らが想いだす

われらはこうこうだった……

そしてかれらは患者のあいだで

ある単純な良い考えを追う

その考えが途切れるところまで追いつづける

しかしかれらが残した息子らのうち

きっと いちばん末の子が ひどくさびしい通りをあるくだろう

なぜならちょうどこうした夜々に

はじめてこんな考えが浮かびそうだから――

長らくぼくのうえには鉛のような感じがのしかかっていた

それがいま 万物はヴェールをぬぐだろう――

そして自分が そのことを讃えるだろうと。

  かれは感じる……

 見開きの右ページ、写真で隠された節のほうが象徴的かもしれない。

<6>

こうした夜々に街という街は似てしまう

どれもが旗で飾られる

その旗をみなあらしにつかまれ

髪をつかんでひきずられるように

おぼろげな輪郭や川をもつ某国へ

さらわれてゆく

するとどの庭のなかにも池があり

どの池のほとりにも同じ家があり

どの家にもおなじあかりがともり

そしてすべての人が似かよった様子をして

顔に両手をあてている

 

 詩は続き、こう終わっている。

「まもなくだれかが/彼女に求婚するだろう」

 

作者が登場するとき、テクストではなにが起きているのか?:クレメンス・J・ゼッツ『インディゴ』雑考

 クレメンス・J・ゼッツ『インディゴ』(犬飼彩乃訳)は、奇妙な小説だ。どこがどう奇妙かは読み手によって異なるだろうが、まず言えるのは現実の扱い方のユニークさだ。

 主題のひとつである「インディゴチルドレン」とは、現実世界においては、ニューエイジ運動真っ只中の1970年代、80年代アメリカで、スピリチュアルな子供たちの分類として提唱された。

 子供のオーラの色が見えると自称するナンシー・アン・タッペの直観的な色分けのひとつに、インディゴがあった。インディゴのオーラを持つ子供たち、インディゴチルドレンは特殊で、使命をもってこの世に生まれたと、ニューエイジ思想らしい根拠のない決めつけが行われた。

 しかし、ブラヴァツキーやシュタイナーとも親和性の高いニューエイジ思想は、教育へ応用される事例も多く、ナンシー・アン・タッペが再注目されたのは、1999年に出版された、リー・キャロルとジャン・トーパーの共著、“The Indigo Children:The New Kids Have Arrived”によるものだった。この本は(センセーショナルな書名ではあるが)スピリチュアルな思想よりも、インディゴと分類される子供たちとの付き合い方、育て方に重点が置かれている。インディゴチルドレンと呼ばれた子供たちには、ADD(注意欠陥障害)やADHD注意欠陥多動性障害)と診断されるケースが多く見られ、そうした子供たちは一般に広く存在する。子育て、幼児教育、健康面の注意事項などが例を挙げてまとめられ、我が子の発育、教育への悩みを抱えた家庭でよく読まれたのだろう。

 なおナンシー・アン・タッペは共感覚の持ち主だったようだが、『インディゴ』の訳者あとがきによると、作者のゼッツも共感覚だと自称しているそうである。

 さて、小説『インディゴ』では、第一部第3章「メスマー研究」で、インディゴ症候群という呼称の由来が説明される。原則として、小説『インディゴ』で使われるインディゴ、またはインディゴチルドレンという用語は、ニューエイジでのインディゴチルドレンとは別物だと再三にわたって作中で言及されている。

 二〇〇二年に女性が一人、有名なトークショーのゲストとして登場して、自分は霊視のできる霊媒師で、人間のオーラを感じることができると主張しました。(中略)数年前からあちこちで小さな青い存在、藍色(インディゴ)のオーラをもった子供たちが目立つようになった、というのです。(P62〜P63)

 でありながら、ここで登場する霊媒師は、明らかにナンシー・アン・タッペをモデルにしている。子供のオーラの色がインディゴだから、やがて症状(ある一定の距離、持続時間、近接した人たちに吐き気や頭痛などの障害を引き起こすという症状)が世間に知れ渡ると、「インディゴ症候群」と呼ばれるようになった。この呼び名に対し、ニューエイジ運動のグループから、彼らの用語であるインディゴチルドレンを流用するなとクレームが入る(と作中で語られる)。

 このねじれ具合はなんなのか。『インディゴ』という虚構世界には、現実世界でナンシー・アン・タッペが主張したインディゴチルドレンの定義もまた歴史の一部として存在しているその上で、この作者は、タッペと同じエピソードを時代を変えて反復している。普通の作家なら、こんなことを平然とした顔でやらない。設定をあやふやにしないため、現実か虚構かどちらかを改変するだろう。それをなんでもなく併記するのだから、なかなかイカレている。

 

 一例としてインディゴ呼称の問題を挙げたが、このように現実・虚構を問わず様々な人物、出来事が登場しながら、それらが重複しても矛盾しても構わないという姿勢が、初っ端で示されたようでもある。こういう小説だと踏まえた上で、ここでは終盤の謎(おそらく最大の謎)に挑戦したいと思うのである。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレします。お気をつけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『インディゴ』は謎だらけだ。

 一般に、張り巡らした伏線が回収されるなりして解決されるから謎と呼ばれるわけだが、このテクストでは謎が謎を呼んで錯綜して錯綜したままになる。細かいところでは、ある場面でロベルトお気に入りのオンドリを取りにくるコンラートという男が出てくる。唐突に登場し、彼が何者なのか説明はない。重要でないからだろうが、だったら名前はなくていい。この一場面だけで妙にコンラートは印象づけられ、結局だれだったんだ? という謎だけが残る。そこで読む側が勝手に頭を巡らせ、コンラートの英語名はコンラッドだから、『闇の奥』(作中に引用がある)のジョセフ・コンラッドに掛けたとしたら云々……などと考えても、解決の糸口は見えない(このシーン自体はけっこう重要)。

 また、ヴィリーの彼女のマグダは……これはわざわざ書かなくてもいいか。

 さらにこれは個人的に感じる謎なんだが、作中人物のゼッツが、安部公房の『カンガルー・ノート』がお気に入りだと語る。なぜ『カンガルー・ノート』? 安部公房の好きな小説が『カンガルー・ノート』ってあり得るのか? こんなところから疑いだすとパラノイアと思われるが、僕はこれまで『カンガルー・ノート』が好きだという人に会ったことがない。それは駄作とか失敗作とかいう意味ではない。いわば、盲点になっている。安部公房は晩年のエッセイでよく『飛ぶ男』の話をし、「スプーン曲げをする少年」の物語というポップな題材が注目され、そちらの印象がとても強い。

 そもそも『インディゴ』に出てくる書名には、超能力が登場する小説が少なくない。こう言うとやや誇張が過ぎるが、『カンガルー・ノート』は少し浮いた感じがし、個人的には『飛ぶ男』のほうがしっくりくる。さては本当は『飛ぶ男』としたかったのに隠したんじゃないのか。書名を挙げないことで『飛ぶ男』を際立たせたんじゃないか。

 ……と、あまり根詰めて読むと、こんなふうにこっちの頭がやられるのでご用心。

 閑話休題

 こんな小説『インディゴ』における大きな謎が、ゼッツ視点パートの終盤で畳み掛けるように訪れる。一応解決を果たしたのかと思わせてからの、怒涛の展開。第四部で終わっていれば、心穏やかにいい小説だったなと思えたかもしれないのに。ひっくり返しすぎてちゃぶ台になにも乗っていない状態になって、違う意味で穏やかに終わってゆく。素晴らしい!

 

 ストーリーをおさらい。

 物語の主軸は二つあり、ひとつが作者と同名のクレメンス・J・ゼッツ視点で語られる。ゼッツはかつてヘリアナウ学園に数学教師として赴任したが、問題を起こして退職した。彼はインディゴ症候群を患う生徒ばかりを集めたその学校で不可解な謎に直面し、その解明に挑む。

 もうひとつの物語は、ゼッツがかつて数学教師として赴任したヘリアナウ学園の元生徒、ロベルト・テッツェルが視点人物。インディゴ症候群を患っていたが、「バーンアウト」してそれなりに日常生活を送っている。ロベルトはある日、何者かが顔の皮を剝がれて殺害された事件を知り、その容疑者として逮捕されたのがかつての学園の教師ゼッツで、いまは無罪放免されたことを知る。ロベルトはゼッツは無罪ではないと睨み、事件の謎を追う。

 この二つの物語が交互に語られてゆく。それぞれがそれぞれのテクストを侵食するように絡み合うが、二つの物語には15年の隔たりがある。

 

 全五部構成の『インディゴ』だが、だいたい真ん中あたり、第四部第1章(P315〜)から「緑のファイル」が挿入され始める。

 「緑のファイル」は、断片的な情報(記事の切り抜きやコピー)の集積である「赤いチェックのファイル」より、やや長めの、ゼッツ自身の日記のような形式をとっている。書体からして、ゼッツ視点の主パートとは区別されている。

 そして、ゼッツ視点のパートは、いつしかこの「緑のファイル」にとって変わられる。

 正確に書くなら、「緑のファイル」は、第四部の1、3、5、7、9、11、13章(第四部のゼッツ視点で語られるパートすべて)を占める。第五部第1章は「赤いチェックのファイル」である。つまり、ゼッツ視点パートは第三部(〜P311)で中断して第五部2章(P516〜P 530)まで出てこない(第三部は短く、全編ゼッツ視点)。

 これは歪な構造だろう。一見すると、『インディゴ』は二つのパート、ゼッツ視点(2007年頃)とロベルト視点(2021年)が交互に語られているように見えるが、実は、それは第二部までで、それ以降は、ロベルト視点のパートのほうが圧倒的に量が多く、ゼッツ視点のパートはファイルにとって変わられる。

 どうしてこんな歪な構造をとっているのか?

 まず考えるべきは、「緑のファイル」で語っている一人称のゼッツが、第一部から第三部までの視点人物を務めたゼッツと、本当に同一人物なのかどうかという問題。たとえば、第四部でゼッツ(「緑のファイル」のゼッツ)はブリュッセルへ行くが、ゼッツが本当にブリュッセルへ行ったのかどうか、他人の証言は曖昧である(第四部第10章、第五部第2章)。その謎は明らかにされないまま宙吊りにされたようにも見える。明確な解決は示されない。だが、いくつかの断片から、おぼろげながら浮かび上がる奇妙な構造はある。

 まず、第五部第1章のタイトルが、「メモ書き 赤いチェックのファイル」であることだ。第四部でゼッツ視点を担った「緑のファイル」でこそないが、「メモ書き」という注釈の通り、これもゼッツ視点で書かれた断片が配置される。

 ここで改めて「赤いチェックのファイル」の特徴を見ると、基本的には断片的な情報であるのが分かる。切り抜いた新聞記事や雑誌記事などだ。ゼッツによって言及される「赤いチェックのファイル」の初出はこう書かれている。

 児童心理学者との面会のあと、もらった本をすこし読んだ。彼女の主著の新版だ。旧版は大学図書館で借りていた。興味をひかれた数ページはコピーして、赤いチェックのファイルに入れてあった。(P71) 

 「赤いチェックのファイル」には、他人の書いたテクストが多くある。これは「緑のファイル」がゼッツの一人称で書かれているのと対照的である。「赤いチェックのファイル」は他者の声の集積だから、ある種の客観性が相対的に担保されていたはずだが(もちろんゼッツが選別する時点で完全な客観性は獲得できない)、第五部第1章ではゼッツの語りとして語られる(読みにくいブロック体でメモを取る描写がある)。

 一方で、「緑のファイル」はどうだろうか。「緑のファイル」が出てくるのは、第四部第3章「電球頭の男」で、前述の通り、そう書かれた文章自体が「緑のファイル」である。

 オリヴァー・バウムヘルとゼッツの会話。

「今が反論をするべき瞬間ですか」僕は尋ねた。

「いいえ。でも読むものをさしあげましょう」

 彼はファイルキャビネットから緑のファイルを取り出した。それを開いて、中身を僕にみせた。新聞の切り抜きだ。手書きの紙片もはさまれている。『マグダ・Tのリロケーション』と表紙には書かれていた。(P361)

  このファイルの中身が、第四部第5章の「マグダ・Tのリロケーション」になる――はずなのだが、肝心の第5章は、ゼッツの一人称で始まる。そのなかで、「僕」(ゼッツのこと)はバウムヘルにもらったファイルから書類を取り出して読み始める。そこで読者は、その書類が「マグダ・Tのリロケーション」だと思い込まされるのだが、もしもそうであるなら、この章全体が、第三部までと同じようにゼッツ視点で書かれていないとおかしい。この章は「緑のファイル」なのだ。ならば、マグダのファイルを読んでいるゼッツの行動も、読んだ感想もすべて、すでに書かれたファイル(バウムヘルからもらったファイル)でなければおかしい。そう考えると、バウムヘルから渡された「緑のファイル」はゼッツ視点で書かれてはいるが、それを書いたのがゼッツだという保証はどこにもない。

 第五部第1章に戻ろう。ゼッツはロープウェイのゴンドラに、鼻メガネをかけた男といっしょに乗っている。

 ロープウェイの場面は「緑のファイル」ではなく、「赤いチェックのファイル」だ。ここではゼッツ自身の語りのように書かれている。ひとつ言えるのは、「赤いチェックのファイル」は、ゼッツ自身が集めた情報だ。相対的にではあるが、そのファイルに入ったメモ書きも、ゼッツ自身が所有したゼッツのメモとして信頼してよさそうに思える。むしろ、ゼッツの語りとして信頼できるのはこの箇所のみではないか、とさえ考えられる。

 どうしてそう考えるのか。

 それは、鼻メガネの男がゼッツに渡そうとする原稿に関わってくる。 

 

 このロープウェイのくだりの直前に別の断片がある。もちろん、これも「赤いチェックのファイル」のひとつだ。

[パソコンからのプリント、四つ折り]

 代書人バートルビー――これは一人だけではなく、この種の人はたくさんいるのであって、本当にたくさんのバートルビーがいるものだ。世にも奇妙な仕事や生活の分野に。たとえば (P512)

 このメモ書きでは、バートルビーのような人物として、カンボジアの収容所の看守が例に挙げられている。拷問することを拒否し続け、数週間後に露見すると、男は投獄された。それでも同じことを言い続けるから、かつての同僚が同情して電気ショックで殺してやった。そんなエピソードだ。

 「代書人バートルビー」は、『白鯨』で有名なメルヴィルが書いた短編小説だ。これ自体が、多様な解釈を可能にするテクストでもある。

 弁護士事務所の筆耕に雇われたバートルビーは、勤務態度も真面目で仕事もよくこなした。あるとき弁護士は、急ぎの仕事が入ったから書類の照合を手伝ってくれとバートルビーに頼む。すると、「せずにすめばありがたいのですが」と拒んで自分の筆写を続けた。弁護士は我が耳を疑った。また別の日、写本を読み合わせて点検するためにバートルビーを呼ぶと、「せずにすめばありがたいのですが」と拒む。郵便局へ行ってくれと言っても、同じように断る。やりたくないのかと訊けば、「せずにすめばありがたいのですが」と言う。そのうちバートルビーは筆写もやめた。事務所を出ようともせず、置き物のように住み着いた。出て行ってくれと言っても、「せずにすめばありがたいのですが」と拒む。解雇しようとしても、「せずにすめばありがたいのですが」と拒む。弁護士は困り果てて事務所を移転したが、バートルビーはなおも元の事務所に居座って、やがて新しい入居者やビルのオーナーが弁護士へクレームを入れにくる。弁護士が仕方なく説得に行くと、バートルビーは「なにもしないほうがありがたいのですが」と言うだけだ。あまりに立ち退かないため、刑務所に入れられることになった。バートルビーは刑務所でもなにもしなかった。食事もしなかった。そのうち、塀の根元で丸くなって動かずにいた。

 多義的な解釈が可能なこの短編を最後の最後になって持ってくるのは、かなり異様だろう。最終盤で「バートルビー」を引き合いに出されることほど不穏なことはない。

 この後にロープウェイのシーンがくる。ゼッツは、同じゴンドラに乗った鼻メガネの男から原稿を渡される。

  突然登場した鼻メガネの男だが、続く第五部第2章の葬儀の場面にも登場する。ゼッツが見かけるだけだが、その後のシュテニッツァーさんの話しぶりから、鼻メガネの男は彼女の知り合いらしいことは分かる。

 シュテニッツァーさんは、インディゴ症候群を患った子の母親で、ゼッツの取材源だった。亡くなったのは彼女の息子だった。

 ここで久しぶりに(205ページぶり。ちなみに日本語訳版の本文は全537ページ)、ゼッツ視点の語りに戻っている。この章はファイルではない。

 旧知であるシュテニッツァーさんとの会話は、しかし、終始噛み合わない。ゼッツは身に覚えのない事柄で責められ、謎だったフェレンツという男とシュテニッツァーさんが連絡を取り合っていたことも明かされる。

 それから、ゼッツはシュテニッツァーさんからロープウェイに乗ろうと誘われる。

「あとでロープウェイに乗ろうと話しているんですよ。友人たちと。よかったらあなたもいらっしゃいませんか、ゼッツさん」

「よろこんで」

「だって、もう二度もギリンゲンのわたしどもの所にいらしているのに、まだ一度も近くからロープウェイをご覧になったことがないんですもの」

 そして一瞬、奇妙な、興奮したといってもいいような微笑みが、彼女の顔をかすめていった。(P529〜P530)

  シュテニッツァーさんの発言を信じるなら、ゼッツはそれまでロープウェイに近付いてもいないようだ。ギリンゲンのロープウェイが有名だとは、作中、何度か語られた。シュテニッツァーさんの微笑でこの章は終わり、次の第五部第3章はロベルト視点となる。ゼッツはもう登場しない。

 おそらく、ゼッツはこの後でロープウェイに乗るのだろう。そして鼻メガネの男から原稿を渡される。その男を、ゼッツは葬儀の場で目撃している。彼がシュテニッツァーさんが友人と呼んだ相手なのだろう。こうして読者はP512〜P520を永遠にループする。

  

 ロープウェイのゴンドラで、ゼッツは鼻メガネをかけた男からある提案を受ける。

「ずっとほしがっていらっしゃったものが手に入りますよ」

 彼はリュックサックから何かを出して、僕に手渡した。とても薄いものと、いくらか分厚い紙の包みだった。

「フォンターネというわけにはいきませんが、この道をいく方がよいと気づくことになりますよ、今いらっしゃる道にとぐ……とどまるよりはね。その道はどこにもつながりませんから。ザイツさん」

「正確にはどの道のことをおっしゃっているんですか?」

 僕たちがぶら下がっている、ずっしりした鋼鉄ロープがギイギイときしんだ。

「ほら、この原稿をご覧なさい。包括的なものですよ、おおむね。でもよくできています。本当にうまいシミュレーションです。タイトルはどう思いますか」

「おかしな感じです」

「ええ、そうですか? うまくいっていますよ、今どき。家族や世代間闘争、そういうものが考えられます。もちろんそれは見かけ倒しで、本当は対になっていない部品を貼り合わせているのです。ごちゃ混ぜですが、すでに受け入れられています。あなたのものですよ。もし欲しければですが」

「僕は……僕は似たようなテーマで数学の卒業論文を書いたんです……」(P 514)

 その卒業論文については、ゼッツが以前語っている。

 二〇〇五年の晩秋に僕は、数学の授業におけるいわゆる父子問題に関して学位論文を提出し、数学と国語の教職課程を修了した。

 ある父親には二人の子供がいる。少なくともそのうち一人は息子とする。そのとき二番目の子供も息子である確率は? その驚くべき答えは三分の一だ。二分の一ではない。それでは父親には二人子供がおり、そのうち少なくとも一人が息子だと仮定したら――そして父親が隣の部屋に怒鳴りこむと、それに応えて息子がドア口まできて、たしかに僕はあなたの息子だ、それでも僕はまったくのまともだ――と言う場合、第二子も男子である確率は?

 僕は自分の論文で、少々この問題の歴史に、つまり数学教授法でたいへん人気となっている現象に立ち入り、主に確率論(有名なモンティ・ホール・パラドックスの類題)と太陽系幾何学の領域からいくつか例を選んで言及した。(P171)

 ゼッツは取引を持ちかけられたようだが、その内容ははっきりしない。とにかく、ここでは原稿を渡されただけだ。

 このとき鼻メガネの男から渡された「いくらか分厚い」原稿が『息子らと惑星たち』である可能性はあるだろう。ゼッツ視点パートは2007年が舞台で、ゼッツのデビュー年でもある。「家族や世代間闘争、それは見掛け倒しで、本当は対になっていない部品を貼り合わせ」という返答とも平仄が合うようでもある。

 だが、違う可能性を考えたい。

 渡されたのは、この小説『インディゴ』の原稿、ゼッツ視点パートとロベルト視点パートの原稿ではないだろうか。「家族や世代間闘争」といった言い回しは、擬似父子に見立てた、ゼッツとロベルトの邂逅を指しているのではないのか。バラバラに語られてきたゼッツとロベルトは、ロベルト視点のパートで出会う(鼻メガネの男は分厚い原稿を指して「よくできている」と言っている)。個人的には『ユリシーズ』のレオポルド・ブルームとスティーヴン・ディーダラスが合流する場面を連想した。それに、「インディゴ」という語が、ニューエイジ思想の特定の子供たちを呼ぶことは最初に触れた。

 ここでもう一度「バートルビー」に立ち返りたい。

 鼻メガネの男がゼッツに持ちかけた取引とは、その原稿の代書だったのではないか。ゼッツに小説『インディゴ』というテクストを代書しろと持ちかけた。それが「この道をいく方がよい」という言葉の意味ではないか。「あなたのものですよ。もし欲しければ」

 それでは、「その道はどこにもつながりません」とはどういう意味なのか。

 直前に「バートルビー」を配置することによって、ゼッツが鼻メガネの男から原稿を受け取らない、取引に応じないという可能性が示唆されている。ゼッツが原稿を受け取るか受け取らないかは確率的でしかない。「せずにすむならありがたいのです」と断ったゼッツもそこにはいただろう。すると、どうなるのだろうか。この『インディゴ』というテクスト自体が存在しなくなり、テクストを読む僕ら読者もいなくなるだろう。それはつまり、「その道はどこにもつながりません」だ。

 だが、そうはならないのだ。

 なぜなら、僕たちが『インディゴ』を読むときとは、「このゼッツ」が確率的に代書を受け入れた場合のみであり、『インディゴ』が実在するこの世界では、それ以外の可能性が掻き消えている。だから、テクストから出られない無数のバートルビー、無数のゼッツの存在はなかったことになっているのだ。本当は、このテクストが成立しなかった可能性が、常に確率的に存在している。しかし、僕らはそれを感じ取ることができない。なぜなら、現にテクストはここにあるからだ。

 この断片は「赤いチェックのファイル」の中に、封筒に入れて仕舞われていた(この断片自体が、鼻メガネの男がリュックから取り出したもうひとつの「とても薄いもの」ではないだろうか)

 その封筒の表には「明確化」と書かれていた。(P512)

 すなわち、モンティ・ホールの扉を開けたという意味だろう。確率的にしか存在しない作者を明確にするには、どこでもいいから扉を開けてみる以外にない。結果、このゼッツが原稿を受け取って代書を引き受け、『インディゴ』というテクストは明確化された。原稿が写されなければ、このゼッツもまた存在しなかっただろう。存在しないゼッツは、確率的に成立したテクストの裏側に無数に存在しているのだから。

 最後に、鼻メガネをかけた男とは何者なのだろう。推論を行えるだけの材料は与えられていないが、状況から直観的に決めつけてみれば、彼が作者のゼッツではないか。ゼッツが卒業論文の題材に選んだ父子問題における子供の確率を、作者ゼッツは作中人物ゼッツに当てはめて観察したとしたら? そのゼッツが原稿の代書を引き受けて『インディゴ』を完成させることで、その虚構世界にゼッツとして存在できるかどうかは、確率的にしか分からない。作者が作中人物であり得る手段は代書ならざるを得ず、さらには確率的でもあり、そして、たいていの場合は失敗するということだろうか。

 奇しくもゼッツがフェランツについて語った言葉を思い出す。

「もちろんすぐに、また次が出てきます。名前はいつも同じですが、名を冠するものは別ですから」(P496)

 小説はどこからくるのかという問題系でもあるが、それはまた別のお話。

 

『重力の虹』のスロースロップはどこへ消えたのか?:トマス・ピンチョン『重力の虹』雑考

 トマス・ピンチョンの傑作小説『重力の虹』です。

 さまざまな物語を内包し、重ね合わせて語られる大複合小説として、不動の地位を保ち続けています。僕も大好きな小説です。

 第二次世界大戦末期、アメリカ人のタイロン・スロースロップ中尉はイギリス軍に出向している。スロースロップは女好き。ロンドンで遊んでいる。そんな彼がセックスした場所に、二日から十日以内にロケットが落ちてくる。この怪現象にイギリス軍の機関が気付いた。どうやらスロースロップの勃起とロケットの着弾に相関関係があるらしいのだが……。

 そういう始まり。

 戦争が終わると、スロースロップはドイツに渡る。追いかけてくる連中から逃げながら、なりゆきで「ロケットマン」に扮することになり、やがてロケットと関わりのある部品を探し求める。

 

 ピンチョンの小説は、よくパラノイアをキーワードに語られるけれど、『重力の虹』に関しては、あまり多用しないほうがいいように個人的に思っている。もちろんパラノイドはゴロゴロ出てくる。だが、そのテクストの構造が、被害妄想や強迫観念から陰謀の繋がりを追っていく小説とは少し違うように思える。

 複数の挿話からなるそのテクストは、線で繋げるのではなく、重ね合わせたり一体化させたりしてある。パラノイアは個人的なものだが、『重力の虹』のテクストは個人性を超えている。

 たとえば。

 作中で最も感動的、最も叙情的な「フランツ・ペクラーと娘イルゼの物語」の挿話がある。

 ロケット開発に関わるペクラーが娘と年に一度だけ会って遊園地に行くという美しいお話だ。この話だけ抜き出しても傑作と言えるが、この物語が他の物語、たとえばスロースロップと少女ビアンカの物語と重ね合わせて語られるのだ。

 ペクラーの物語のほうでも、冒頭に置かれた妻との性行為の場面は、その前段で語られた挿話と重なり合っている。

 個人的に好きなシーンは、これはまた別の挿話だが、霊媒師イヴェンターとノラとその夫の話と、イヴェンターに憑依する霊ザクサが生きていた頃の、霊媒師ザクサとレニとその夫(これはペクラーなのだが)の話が、重なって語られるところだ。大胆な三人称複数視点を用いて、スロースロップの語りにまで繋がってゆく構成がとても美しい(新潮社版(上)P 412〜P 422など。以下、ページ番号は新潮社版から)。

 こうした人物や挿話、イメージ、概念など、さまざまな要素の重ね合わせが頻繁に起きている。線で繋いだパラノイアよりも、次元がひとつ高いように感じられる。

 このことを敷衍して考えれば、重ね合わせや一体化(「合同であることと同一であることの中間にもう一段別のそっくりという段階があって」(下)P512 ともある)が行われていると分かった場合、重ね合わせたもうひとつの物語そのものは、書かずに済ませることが可能ではないか。その話自体を描かずとも、そっくりな出来事が起こったのだろうと予想されるだろうから。

 ここからが主題である。

 

 

 

 

 

以下、ネタバレします。お気をつけください。

 

 

 

 

 

 

 

 『重力の虹』は、言われるほどわけが分からない小説ではない。当たり前だが、なにが起きているのかは読めば分かる。物語性が極めて高く、読んでいてとても面白い。

 なのにわけが分からないと言われる理由は、ひとつに集約されると思う。読んだ後、「?」となるポイントは、この記事のタイトルにあるように、終盤、スロースロップがどこへ消えたか分からないからだろう。

 スロースロップは主人公だ。主人公が途中で黙っていなくなって出てこなくなる。作中語られるスロースロップの最後の動向はこうだ。(※ 引用中の〈ゾーン〉とは、連合国によるドイツ占領地のこと。各国が分割統治するが、戦後すぐなので混沌としている)

(タイロン・スロースロップは)自分自身の組み立てに立ちあうために〈ゾーン〉に送り込まれた、というのだ。(中略)計画はうまく行かず、スロースロップは組み立てられるどころかすっかり解体され、散布される運命をたどる。(佐藤良明訳・以下同)(下)P655

「スロースロップは解体され、ゾーン全域に散布された」

 ……は? どういうこと?

 だけど、これのややこしい点は、読んでみると、それほど「どういうこと?」と思わないところだ。我らがスロースロップは、ゾーンに入ってから自我の流失を続け、アンチ・パラノイアと自己分析するほど自分自身を保てなくなっていた。だから解体したと言われても、そうか、スロースロップはもうスロースロップではなくなってしまったんだな。肉体までも消失したのか。と、なんとなく納得してしまうのだ。

 でも、そんなことってあるだろうか?

 

 小説は中盤から、ロケット部品を巡る争奪戦が行われている。その部品の正体がよく分かっていない。

 ロケットは二種類、登場する。所有者は、〈00000号〉とともに姿を消したドイツのブリツェロ大尉と、新たに〈00001号〉を製造したヘレロ族のエンツィアン率いるシュヴァルツコマンド(黒の軍団)。

 ブリツェロのほうはすでに発射したとも噂されるが、確かなことは分かっていない。

 エンツィアンのほうは襲撃してくる敵から逃げながら、ロケットを完成させようとしている。

 このエンツィアンが探し求める部品が〈Sゲレート〉、黒の装置と呼ばれるロケットの誘導装置だ。発射だけできても、目標に向かって飛ばさなければ意味がない。そして、それが難しい。ブリツェロもロケットの誘導には苦労し、戦中に発射していたロケットは照準がうまく定まらず、味方の陣地に落ちて死者を出すことも少なくなかった。

 ドイツの敗戦が濃厚になってきた頃、ブリツェロは持てるロケット技術の粋を凝らして、唯一無二の特殊ロケット00000号を開発した。もちろん誘導装置も開発された。その装置、SゲレートにはイミポレックスGというポリマーが使用されることは分かっているが、詳細は依然分かっていない。

 スロースロップは自分が何者か調べるうち、このSゲレートとイミポレックスGに行き着いた。そこで、Sゲレートを手に入れようとゾーンを奔走しているのである。

 

 すでに完成しているブリツェロのロケット00000号が発射されたかどうかは、明らかではない。だが、それを知る人物がいる。タナツという男が00000号の発射に立ち会ったというのだ。

 そこでスロースロップはタナツと接触を図る。

 このタナツ、登場シーンからは想像つかないが、とんでもない重要人物である。00000号発射の唯一の目撃者なのだ。しかし、なかなか真相を語らない。その彼が、ゴットフリートというブリツェロの愛人の青年を執拗なまでに気にしている。その様子は何度も出てくる。タナツも、そして妻のグレタも、ゴットフリートと娘のビアンカを重ね合わせて考えているようだ。

 グレタもまた、かつて夫とともにブリツェロのロケット発射場へ赴いたが、発射の現場は見なかった。だが、その工場にイミポレックスGがあったことをスロースロップに告げる。誘導装置と関連のある物質だけに、ブリツェロのロケットが完成していたことは間違いないのだろう。グレタもまた夫に、ゴットフリートがどうなったか尋ねようと思いながらいつも忘れてしまう。

 と、ここだけ抜き出すと、ゴットフリートが際立つように見えるが、読んでいる最中は彼のことは忘れている。ゴットフリートを極度に気にしているのは、タナツだけだ。どうしてそこまで執着するのか、結論から言えば、それはタナツがブリツェロのロケット発射を目撃したからだった。

 まず言えるのは、ブリツェロのロケット00000号はとっくに発射されていること。ところが、小説では最後のクライマックスが00000号発射シーンとなる。感動的で、大いに盛り上がるのだが、恐らくそれは発射されていただろうとは読んでいれば分かる。時間がシャッフルされて、過去の出来事が最後に語られるのである。

 読者の興味は、どちらかと言えば、エンツィアンたちが敵を避けながら運搬する00001号の発射のほうにあるのではないか。しかし、こちらのロケットがその後どうなったのか、結局、作中で語られることはない。

 ともあれ、タナツのゴットフリートへの執着の謎も解け、00000号が発射されていたことも判明して物語は閉じる。

 ゴットフリートに触れる前に、エンツィアン側について語っておきたい。

 エンツィアンはすでに、タナツからブリツェロのロケット発射を知らされている。このとき、ロケット誘導装置、Sゲレートの秘密も聞いただろう。00000号と同型の00001号に必要な誘導装置の正体を知ったのだ。まだ、イミポレックスGを素材としたSゲレートを、エンツィアンたちは入手できていなかっただろう。

 

 閑話休題

 それでは、ブリツェロの00000号発射とゴットフリートについて。タナツが目撃したものはなんだったのか。

 スロースロップが解体されて散布されたという例の記述の後で、ブリツェロの00000号の発射は語られる。ラストシーン。クライマックスでもある。このロケットに、ゴットフリート青年は積み込まれた。ロケットとともに発射される。もちろん死ぬ。だけど、イミポレックスGに包まれたゴットフリートは、そのロケット内部を温かく感じている。

 回路を埋め込んだ彼の耳に、無線の音がよどんできこえる。強くフィルターのかかった金属的な声の響き。麻酔に意識が埋れていくときの外科医の声のようにジージーする。いまはもう儀礼の言葉しか聞こえてこないが、まだ声を聞き分けることはできる。

 彼を完全に包み込んでいる〈イミポレックス〉の柔らかい匂いは、過去に親しんでいる匂いであって、彼を恐怖させることはない。遠いむかし、眠りに入るときに部屋にただよっていた、幼児期の甘美さに深く縛りつけられていた頃の匂い・・・夢の中に入りかけたときもまだ匂っていた。さあ、眼をさます時間だ。つねにリアルだったものの息の中へ。さあ、眼をさませ、すべては守られている。(下)P687

重力の虹』の記述の特徴に、重ね合わせや一体化があるのは上述のとおりだが、その顕れとして三人称複数視点というのが出てくる。他の小説では見られないくらい、かなり大胆に視点や語られる主体を切り替えていく。

 それを踏まえたとき、上の引用は、00000号発射直前のゴットフリートの語りとして始まるわけだが、後に出てくる「彼」がゴットフリートである保証はない。

 気になるのは、「幼児期の甘美さに深く縛りつけられていた匂い」という文章である。ゴットフリートがイミポレックスを知ったのはブリツェロの元に来てからで、しかも、新型ロケットの研究開発が進んでからである。00000号の開発に乗り出して以降だろう。

 少なくとも、子供の頃、イミポレックスの匂いを嗅げる環境にいたとは思えない。ゴットフリートは徴兵されてブリツェロの隊に入っている。昔から軍と関わっていたのでもない。 

 彼はその年齢に達して徴兵通知が届くのを、生意気な恐怖心ともいうべき態度で待っていた。(中略)軍隊は自分を取られた感覚が味わえて、心から安らげる。〈戦争〉がなかったとしたら、何を望んでいいかわからなかった自分にも、こんなすごい冒険の一役を与えられたのだ。(上)P200〜P201

 だが、そもそも、軍で使われるような最新技術によるポリマー、イミポレックスの匂いを子供時代に嗅いだことがある者なんて存在するのだろうか。

 それが、ひとりだけいるのだ。タイロン・スロースロップが。

 タイロン坊やは幼い頃、ラスロ・ヤンフという化学者(イミポレックスGの開発者)の実験台にされた。その実験終了後、勃起の条件反射消去が十分でなかった、ビヨンドゼロの勃起反射を消さなかったことが、この小説の始まりとなる。そのとき使われた素材がイミポレックスGだった。それから二十年以上がすぎ、彼が勃起した場所にロケットが落ちるようになったのだ。

 スロースロップの勃起とロケットの落下には明らかな関連性があった。

 それは最初から明らかにされていることだった。スロースロップは、なぜかロケットを誘導できたのである。

 ということはつまり、スロースロップ自身が、ロケットの誘導装置、Sゲレートだったのだろう。

 その後、タナツの情報をもとにして、エンツィアンたちはロケット00001号を完成させ、それを発射位置まで運搬しようとする。 

 あらゆるマシンの中で最も人間との合一が進んだこの〈ロケット〉なるもの――最も恐怖すべき爆撃の力を秘めた〈ロケット〉なるものを受け入れること・・・

 00001号は各パーツに分解される――弾頭、誘導部、燃料用および液体酸素用タンク、尾部。発射地点に着いたら、元どおりに組み立てなおさなくてはならない。(下)P635

 ここで語られる分解された「誘導部」とは、まさにスロースロップのことではないのか。

 上の引用の前段部分は原文ではこうなっている。

“(……)to take this most immachinate of technique,the Rocket――the Rocket, this most terribly potential of bombardments…”

 機械と人間との合一を意味するピンチョンの造語である、immachinate /immachinationには、machinate/machination(陰謀を企む/陰謀)が含まれている。訳注によれば、エンツィアンのみが用いている言葉のようだ。

 機械と人間の合一化という言葉からも、スロースロップの異名であるロケットマン/ラケーテメンシュを想像しないわけにはいかないだろう。

 

 では改めて、「スロースロップが解体され、散布された」とは、どういう状況なのか。文章が使役である。スロースロップ自らが自己を解体し、散布したわけではない。なんらかの外部の力が働いた結果、彼は解体され、散布された。その力とはなにか。ゾーンの不思議な魔力だろうか。カルテルの陰謀だろうか。

 もっとシンプルに理解できる答えはどうだろうか。

 スロースロップは00001号に積載されて発射された、としたら?

 そして空中で爆発したのではないかと、僕は思った。

 作中に記述はないが、エンツィアンのロケット00001号も発射された。記述がないのは、00000号発射との重ね合わせだからだ。その発射の流れが、そっくりそのまま同じだからだ。

 それでは、どこへ向かって発射されたのだろうか。

 ロケットがゾーンに向かって放たれ、空中で爆発して分解したとすれば、ゾーン全域にスロースロップは散布されるのではないか。

 なぜ空中で爆発したかと言えば、スロースロップがそのように誘導したからだろう。

 そう考えるなら、スロースロップの持ち物や破片が、ゾーン内であたかも聖遺物のように扱われている理由も理解できる。スロースロップがイエスに擬される理由もまた分かりやすくなる。もしもスロースロップが、原罪を背負って自爆したのだと考えるなら。

 そのときゾーンは、祝福されたラケーテンシュタットとして再誕するのではないだろうか。 

 

 

追記

 『重力の虹』第四部の章タイトルは「カウンターフォース」だ。しかし、この小説は奇妙なことに、対立構造が描かれない。なにしろ、戦争さえそうなのだ。裏で国家間を結んでいるIGファルベンをはじめとしたカルテルの存在が、国どうしの戦争よりも非常に大きなウエイトを占めている。

 第三部までは、ロシア人チチェーリンとエンツィアンの異母兄弟の対立がひとつの軸になっているが、この対立もやがて消えてしまう。和解ではない。消えるのだ(ちなみに、そのシーンは作中屈指の美しさである)。

 これは、対立構造としては描かれ得ない世界を描いているからだろうか。

 カウンターフォースという章タイトルだからと言って、巨大な「かれら(They)」や陰謀への反逆が見られるかと言えば、そうはならないのだ。

力と、対抗する力、衝突、そして新たな秩序の形成という弁証法的な思考に慰安を見いだすようになったのは(下)P589

 これはチチェーリンの言葉だが(原文では「対抗する力」が counterforce)、「かれら」を打倒しようとしても弁証法に組み込まれ、取り込まれるだけと暗示するようでもある。

 一方、ならず者のボーディンは、スロースロップにジョン・デリンジャーの血染めの切れ端を贈る。スロースロップの行き先を知った上での贈り物だったのだろうか。パブリックエネミーNo.1は、ボーディンにとってカウンターフォースそのものだろう。ボーディンは反逆者としてのロケットマンに期待し、「かれら」に対抗できる力があると信じたのだろう。

 思えば、ボーディンは一貫してスロースロップをロッキーと呼んでいる。ロケットマンの愛称だ。ロケット人間としてロケットと一体化すれば、人間にはできないこともできるだろう。しかし、スロースロップはボーディンの思うようなカウンターフォースにはならなかった。

 もうひとつ、ロケット落下を思わせる描写が第四部にはある。

 だが、それは警察が発するよりも大きな音だった。コンクリートとスモッグからなる全域を包み込み、遠い盆地と山脈を覆いつくす。死すべき人間の身でこれを逃れられるはずはない・・・空間的にも、時間的にも・・・(下)P692

 この挿話の舞台はアメリカだが、同じことがゾーンでも起きたのかもしれない。ロケットの落下か空中爆発。描写からすると後者だろう。着弾していれば、音がしたときにはもう遅いのだから。

 いずれにせよ、ボーディンが夢見たパブリックエネミーNo.1のような反逆は、この世界ではもう通用しなかった。

 だからラケーテンシュタットの聖人となることでしか、カウンターフォースにはなれなかった。としたら?

 

八犬伝覚書 八犬伝の引用元 その3

南総里見八犬伝』は引用の織物である。本文中に出典の明記がない引用箇所の、参照元を探る試みの続き。

 

第百三回

◎ 富山の描写。

「嶮邊(そばのべ)逈(はる)かに直(み)下せば、白雲聳え起りて、谷神(こくしん)窅然(ようねん)と玄牝の門を開けり」

→→→「谷神不死 是謂玄牝 玄牝之門 是謂天地根 綿綿若存 用之不勤」

(谷神は死せず、これを玄牝という。玄牝の門、これを天地の根という。綿々と在るごとく、これを用いて勤(つ)きず。)

(『老子道徳経』第六)

 

第百六回

◎ 富山で里見義実を救った犬江親兵衛に大刀が贈られる。

(義実、親兵衛に向かって)「我が家に、大月形、小月形と名付けたる、重代の刀あり。大月形は、家督と共に、昔年義成に譲り与へたり」

→→→「天文三年八月三日、わが父にてをはせし人、主君の仰うけ給はり、鎌倉の管領家へ、婚縁の事あって、引き出物として里見の重宝、大月形の大刀を衛(も)り与(あずか)り、」(曲亭馬琴常夏草紙』)

 

第百十七回

◎ 政木が狐龍について語る。

(政木、孝嗣に向かって)「三稔(みとせ)の後、上総国夷隅郡、雑色村に石降りて、石の形は、蟠る、龍に似たるを見給はば、我が成る果(はて)と知り給へ」

→→→「天目山人全文猛於新豊後湖観音寺西岸、獲一五色石大如斗。文猛以為神異、抱献之梁武。梁武喜、命置大極殿側。将年餘。石忽光照廊、有聲如雷。「此上界化生龍之石也、非人間物」

(天目山の住人、文猛は湖の西岸で大きな五色の石を拾った。文猛は神異を感じ、梁の武王に抱え献った。武王は喜び、大極殿の側に置くように命じた。やがてこの石は光って廊下を照らしたり、雷のような声を上げたりした。「これは天上の化生だ、龍の石である。人間の物ではない」)

(『太平広記』巻四百十八/『梁四公記』)

 

第百三十八回

◎ 京都物語。紀二六は犬江親兵衛に命じられ餅売りに扮し、客引きのため太平記を読んで評判をとる。

(紀二六の独白)「犬江主の誂え給ひし、餅は必ず所以(ゆえ)あるべし。と心つきてもその所以を、早(とみ)に悟るに才足らぬ、かの堕涙碑(だるいのひ)にあらねども、考へ考へ幾町か、ゆくとも覚ず五條なる、客店近くなりしとき、やうやく思ひ得てければ、」

→→→「祜樂山水、毎風景、必造峴山、屋酒言詠、終日不倦。嘗慨然歎息、顧謂從事中郎鄒湛等曰、「自有宇宙、便有此山。由來賢達勝士、登此遠望、如我與卿者多矣。皆湮滅無聞、使人悲傷。如百歳後有知、魂魄猶應登此也」

 湛曰、「公徳冠四海、道嗣前哲、令聞令望、必與此山倶傳。至若湛輩、乃當如公言耳」

 襄陽百姓於峴山祜平生游憩之所建碑立廟、歳時饗祭焉。望其碑者莫不流涕、杜預因名爲堕涙碑。

(羊祜は山水を楽しんだ、風景ごとに。必ず峴山へ出かけては、酒を設けて吟詠し、終日飽きなかった。あるときひどく憂いて嘆息し、従事中郎の鄒湛らを振り返って言った。「宇宙が生まれたときから、この山は存る。以来、私や君たちのように登って遠望した優れた人士が大勢いたのだ。それがみなこの世から消え、音沙汰もない。悲しいことだ。もし百年後にも心が残るなら、魂魄となってなおここへ登るだろう」

 鄒湛が言う。「殿は四海に冠する徳を、先哲を嗣ぐ道を備えておられます。御名望はこの山とともに永遠に伝わるでしょう。私などは殿のお言葉通りになりましょう」

 襄陽の人々は、峴山の、羊祜が平生遊山していた場所に碑と廟を建て、歳時ごとに祀った。その碑を見て涙流さぬ人はなく、杜預が因んで「堕涙碑」と名付けた。)

(『晋書』巻三十四「羊祜伝」)

 

第百三十九回

◎ 京都物語。細河政元の近習、紀内鬼平五景紀が犬江親兵衛との対戦を請う。

(政元に)「(投石の技を誇り)実に是百撥百中、百歩を隔てて柳葉を、穿ちしといふ養由基が、弓箭にも優(ま)す本事(てなみ)なれば、人みな並(なべ)て賞感のあまり、則(すなわち)綽名(あだな)して、今三町と呼びなしたり。昔源為朝の勇臣と聞えたる、三町礫の紀平次大夫の、本事に伯仲すればなり」

→→→「楚有養由基者、善射。去柳葉者、百歩而射之百撥百中。左右皆曰、善」

(楚に養由基なる者あり、射を善くし、柳葉を去ること百歩にしてこれを射、百発百中す。左右みな善しと曰ふ)

(『戦国策』巻之一「西周」)

→→→「(為朝、精鋭のみ連れて上洛する)乳母子の箭前払の須藤九郎家季、その兄透閒数の悪七別当、手取の与次、同じき与三郎、三町礫の紀平次大夫、大矢の新三郎、越矢の源太、松浦の二郎左中次、吉田の兵衛、打手の紀八、高閒の三郎、同じき四郎を始めとして、廿八騎をぞ具したりける」

(『保元物語』巻之一)

 

第百四十回

◎ 京都物語。種子島中太正告は親兵衛との鉄砲の試合を、的撃ちではなく、それぞれの笠の上に的を付け、馬上での撃ち合いにしたいと願い、主君細河政元に却下される。

(親兵衛はその話を聞いて)「かの種子島が、小人なる、今さらに歯に掛るに足らねど、昔唐山宋の康王は、射(ゆみい)るごとに人をもて、必ず的にせしといふ、残忍にや做(なら)ひけん、或は又今戦世(みだれよ)の諸侯の、専専(おさおさ)驍勇を好む家には、運試しといふ事あり、究竟なる若人を、円坐に並せたる、その中央に、機関(からくり)ある、鉄砲に火を刺て、一人急に牽き輪(めぐら)すに、その銃丸(たま)発して、撃たるる者あり、撃たれて死するを薄命として、父母親族も哀しまず」

→→→「酒宴を設るとき、大円形に群坐して、人々の間を疎にして居、其中央に綱を下げて鳥銃(てっぽう)をくくり付け、玉薬を込め、綱によりをかけ、よりつまるを見て、火をさしながら綱の手を離せば、綱のより戻りてくるくると回る内に銃玉発す。円坐せしもの、元の如くありて避ず。或は其玉に当る者あるも患へず。人も亦哀れまずと云う」(『甲子夜話』巻十八?)

【注記】この回が収録された巻二十六、第九輯下帙之下甲號は天保九年(1834)刊行。『甲子夜話』巻十八の原本はすでに書かれているが、『甲子夜話』の刊行年を調べてみないと、馬琴が読んだという確証を得られない。

 

第百四十一回

◎ 竹林巽の住む村の東外れにある薬師院の利益について。

「老若男女、何まれかまれ、通(なべ)て皆只病痾(やまい)と唱えて、深信祈請して利生を仰げば、感応あらずといふことなし。然ば古歌にも、

 南無薬師あはれみ給へ世のなかにありわづらふも病ひならずや

と詠みてまゐらせて、貧しかりける女房の、宜しき所縁(よすが)を得たりといふ、心操(こころばえ)に同じかるべし」

→→→「昔、伊勢と聞こえし歌詠みの女、世の中過ぎわびて、都にも住み浮かれなんどして、世に経べきたづきもなく侍りけるが、太秦に参りて、心を澄ましつつ、勤めなんどして、

 南無薬師あはれみ給へ世のなかにありわづらふも同じ病ひぞ

と詠みて侍りければ、仏殿動き侍りけり」(『撰集抄』巻八第二十二話)

【注記】「薬師如来様のお慈悲を請い願います。この世にある貧しさもまた同じく病でございましょう」薬師如来には病平癒の祈願をすることから。八犬伝のほうも「この世の貧しさも病ではございませんか」で意味は同じ。

 

南総里見八犬伝 5 八犬具足

南総里見八犬伝 5 八犬具足

  • 作者:松尾 清貴
  • 発売日: 2021/03/12
  • メディア: 単行本
 

クリーマが持ち歩く『モデル読者』とは?:アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』雑考

 ウンベルト・エーコ『物語における読者』、原題 ”Lector in fabula” は英訳すると「おとぎ話の読者」となって意味が通らないから、英語版タイトルは ”The Role of the Reader”(読者の役割) になったと、エーコ『小説の森散策』冒頭に書かれている。

 

 アンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』(阿部賢一 須藤輝彦訳)を読んだ。

 日本文学を研究するチェコの大学生、ヤナの物語だ。あるきっかけで出会った大正時代の謎の作家、川下清丸の研究に熱中している。そんなヤナは日本が大好き。十七歳のとき念願かなって日本へ旅行に行ったが、それ以来、渋谷から出られなくなった。プラハで川下清丸を研究するヤナと、渋谷を出られないヤナ。ヤナはふたりに分裂して、お互いにお互いの存在を知らない。

 プラハのヤナといっしょに無名作家の研究を行うのが、同じカレル大学の日本学専攻のクリーマだ。変わり者のクリーマは、『モデル読者』という本を持ち歩いている。

 この本がエーコの 『物語における読者』ではないかなと思ってみたが、どうだろうか。エーコはイタリア語(ラテン系言語)の原題をそのまま英訳にすると意味が違ってくると言うから、チェコ語版も英語版に近いタイトルになるのではなかろうか。

 ともかく、「モデル読者」は『物語における読者』でエーコが提唱した、テクスト論の用語である。

 いずれにせよ、クリーマは、経験的な読みを排した「モデル読者」としてテクスト創作の協同作業者たらんと試みるわけで、その時点でのヤナの読み方とも必然的に違ってくるだろう。

 

 

 

 

以下、ネタバレします。未読の方は進まないでください。

 

 

 

 

 

 

 エーコは、テクストの読みとは、モデル作者とモデル読者によって協同で行われる遊戯だと言う。モデル読者と対比されるのが、経験的読者である。

 

 ひとつの物語のモデル読者は経験的読者ではありません。経験的読者とは、テクストを読んでいるときのわたしたちであり、わたしやあなたがたのことであり、つまりだれもが経験的読者なのです。(中略)

 たとえばみなさんがふかい哀しみにとらわれているさなかに滑稽な映画を見る羽目になったとしましょう。なかなか愉しむことなどできないのはお分かりでしょう。それどころか数年経って、もう一度同じ映画に出会うことになったときも、相変わらず微笑むことさえできないかもしれません。(中略)経験的観客として、その作品を間違った方法で「読んでいる」わけです。ですがいったいなにと比べて「間違っている」のでしょうか? 監督が思い描いていた観客のタイプ、つまり気持ちよく微笑んだり、直接には自分を巻き込むことのない話を追いかける準備のできている観客と比べてなのです。このタイプの観客(書物なら読者)をわたしはモデル読者とよんでいます。テクストが協同作業者として想定し、創りだそうとするのは、このタイプの読者なのです。(『小説の森散策』より)

 

 ヤナとクリーマは日本の私小説作家を研究対象としているが、私小説は事実を書くとは限らない。川下清丸のテクストとしては、小説と随筆が一編ずつ提示されている。

 全く無名の作家だから、当初、ヤナもクリーマも川下清丸なる作者が実在するのか、それが他の作家のペンネームでないかなどを、特定できない。では、どの段階で、作者の存在は保証されるのだろうか。

 結論から言えば、小説「恋文」だけではどこまでいっても実在する作者の正体を明らかにすることはできない。どれだけ「恋文」が作者の私的な事柄を語っているように見えても、それが本当に起きたことかどうかを、その小説から特定することはできない。

 そこで周辺取材を重ね、たしかに作家は存在したらしいと裏付けを取りつつ、ヤナは、クリーマが翻訳した随筆「揺れる想い出」を読む。そして、「恋文」で語られた内容が、「揺れる想い出」でも語られていることを発見するのだ。より作者に近い形式である随筆によって、小説の内容が事実である可能性が高まってくる。

 

 このとき、エーコが論及する語りの入れ子構造と同じように、川下清丸を探すヤナたち読者の前で、川下が書いたふたつのテクスト「恋文」と「揺れる想い出」は機能し始める。

「恋文」の主人公の名前は川下清丸ではなかった。「揺れる想い出」は川下清丸の語りとして書かれた。このふたつの異なるテクストの内容が一致したとき、「恋文」は「揺れる想い出」に内包されたテクストとして初めて「作者」を語りだす。エーコの論で言えば、「恋文」の語りは語り手のものだが、「揺れる想い出」に内包された時点で、語っているのは川下清丸というモデル作者になる。

 

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『小説の森散策』より

 

 しかし、これはあくまでモデル作者の声であり、川下清丸の声ではない。随筆が小説よりも作者に近いテクストであっても、テクストはテクストなのだ。そこで事実を語っているという保証は当然ない。

 それでは、どのようにテクストを超えて、現実の川下清丸に接触することができるのだろうか。それは、テクストを読んでいるヤナたちにはできないことだった。

 このテクストの壁を突き破るのが、渋谷のヤナである。ここが、この小説のユニークさだ。渋谷のヤナは幽霊のような存在で、現実の人々からは存在を認識されていない。その不思議な存在感は、テクスト(川下清丸の曖昧な実在性)と似ている。

 渋谷のヤナは、川越の墓地で川下の妻、上田夫人と会う。上田夫人は川下清丸のテクストにしかいなかった人物である。その人物が現前化してヤナの前に現れる。だが、これは本質的には逆なのだ。テクストである上田夫人と同じ位相に、渋谷のヤナがいるということだ。

 川越の墓地で、青山の老人ホームで、渋谷のヤナは上田夫人と会う。だが、そのヤナはヤナではない。上田夫人はヤナのことを「上田清子」の幽霊だと認識している。川下清丸がかつて書いた「恋文」、あるいは、作中では語られない『川を越える』という小説の登場人物「上田清子」だ。ここでヤナ自身が「恋文」の登場人物になり代わることによって、ヤナは、テクストを内破する異物となった。

 結果、ヤナはテクスト内から原稿を持ち帰ることに成功する。それこそ川下清丸の実在を証明できる、無名作家についての論文を書くことができるだけの重要資料である。

 上田夫人は最後まで、ヤナを清子だと信じて疑うことがない。上田夫人はテクスト内部にとどまり、ヤナはテクストの外に出て小説は終わる。

 ヤナのその後は?

 

『シブヤで目覚めて』の章立ては十部だ。プラハと渋谷で章が分かれて、全十部。

 だが作中に、極めて象徴的に「十一」が二ヶ所で出現する。プラハのヤナが、図書館で鍵のかかった本棚を見つける。十一番の戸棚。鍵がなくて開けることができずにいたが、やがて戸棚を開けたとき、そこに入っていたのはヤナにとって重要なものだった。

 もう一ヶ所が、青山の老人ホームの上田夫人の部屋、十一号室。渋谷のヤナが「清子」として夫人と会った部屋である。

 このふたつの「十一」で、プラハと渋谷のヤナはそれぞれ贈り物を受け取った。

 ということは、小説『シブヤで目覚めて』全十部の間に「第十一部」が語られている、あるいは、語られ始めている。ヤナはテクストという閉塞から脱出する方法をたしかに受け取り、受け取ったそれらを使うことによって、その後の展開をすでに与えられている。図書館で見つけた贈り物。老人ホームでの贈り物。それらは彼女が彼女の未来に向かって進み出すための、晴れやかな暗示ではないだろうか。

 

シブヤで目覚めて

シブヤで目覚めて

 
物語における読者 新版

物語における読者 新版

 

全体主義社会における自我(依存と惑乱):『DAU.ナターシャ』雑考

 『DAU.ナターシャ』(イリヤ・フルジャノフスキー監督)を観た。奇抜というかなんというか、異常な撮影方法が話題となった映画である。

 かつてのソ連を再現するために当時の町を実際に作り、そのセット内で何百人もの参加者を、二年間も当時の風習に従って生活させて(文字通り歴史シミュレーションだ)、撮影を行ったという。「史上最も狂った映画制作」とも言われた、とんでもなく大掛かりな映画なのだ。

 こうした映画が完成しただけで驚きである。ギリアム『ドン・キホーテ』やホドロフスキー『DUNE』は頓挫したわけだし、フィクションでさえ『脳内ニューヨーク』(カウフマン)の映画内映画は未完だった。この『DAU.』プロジェクトは七百時間のフッテージを撮りため、映画として十作を予定しているそうだ。『ナターシャ』が第一弾で、第二弾『DAU.Degeneration』は『ナターシャ』とともに映画祭に出品されたということで、ぜひ日本でも公開してほしいものです。なにせ『ナターシャ』では、ほとんど町並みが映らなかったから。

 

 

 

以下、ネタバレしています。念の為。

 

 

 

 全体主義社会の非人間的な権力の実相を暴き出す映画『DAU.ナターシャ』だが、スクリーンにはひたすら人間、というか、人間の感情や情動を映し続ける。撮影監督がハネケ映画(『ファニーゲーム』もそう)を撮ったユルゲン・ユルゲスだったことも観たかった理由のひとつで、たしかに賑やかな場面でさえ不穏、不安が漂って目を離せなかった。ただしハネケの場合と違い、こちらは全部を映しだす。

 主人公ナターシャは研究所の町の食堂で働き、同僚のウェイトレスに若いオーリャがいる。四十代半ばのナターシャは、既婚の昔の恋人をいまも愛している。その男にDVを受けていたようだが、それでも一方的に愛情を抱き続けている。

 一方で、ナターシャはオーリャに無理に酒を飲ませたり、頭ごなしに説教したりと、強制する態度をしばしば見せる。ナターシャの他者との関係の結び方は歪だが、自覚がある様子はない。

 冒頭で、ナターシャはオーリャに食堂の床を拭くように指示するが、オーリャが「明日やる」と断ったことに激昂して、ふたりはケンカになる。

 ラストで、ナターシャはまたオーリャに食堂の床を拭くように指示し、やはりオーリャが従わない。

 冒頭とラストのやり取りが同じで、終わらない悪夢といった様相でもあるが、二通りの解釈ができるのではないかと思った。一応、これがこの記事の主題である。

 

1、毎回オーリャが床拭きを明日に延ばしてナターシャがイラ立つ。

2、ラストシーンの続きが冒頭のシーンである。

 

解釈1

 ナターシャは依存することでしか他者と関係を結べない。そのせいで情緒不安定に映る行動をたびたび起こす。決定的な姿は、KGBによる拷問の後のやりとりで明らかにされる。尋問官はナターシャを肉体的にも心理的にも拷問する。その後で、彼はナターシャに優しく接して協力を強制する。それに対して、ナターシャは尋問官に取り入るような態度で応答する。

 このナターシャの言動は打算によるものではなく、恐怖の対象であるはずの尋問官に依存しようとする不気味さが描かれる(暴力を振るう恋人に未だ依存していることと重なる)。全体主義社会というものが、そうした自発的な依存によって永続したという恐怖がまざまざと描かれている。

 こうした権力へ依存する市民と、彼らの弱者への攻撃性(ナターシャがオーリャに示すような)は、いまの日本でもよく見られる。ナターシャは善人ではないが、どこにでもいる人間なのだ。抗えない(と彼が考える)強者に依存する人は、彼自身が弱者とみなした相手を自らに依存させようと無自覚に残酷な行動を取る。それが人間性の喪失だと気付かない。そうする以外の人間関係を結べなくさせることが、全体主義社会の恐ろしさでもあるのだろう。

 

解釈2

 ナターシャにはすでに尋問官=全体主義国家への恐怖が刻み込まれ、些細なきっかけで心の均衡が破れて感情の制御が効かなくなっている。常に抑圧下にあるなら、ナターシャの精神状態が不安定なのも当然だろう。

 食堂を閉めた後で、ナターシャがオーリャにムリヤリ酒を呑ませ、しばらくは仲よく飲んでいたが、やがてケンカになる。ナターシャは散々ひどいことを言いながら、オーリャを引き留めようともする。だが、オーリャは帰ってゆく。その夜に、ナターシャは椅子やテーブルをひっくり返して暴れたり、泣いたり、妙に冷静になったり、明らかな情緒不安定さを見せる。そしてその際、「上官が明日来たら大変なことになる」というようなセリフを口走る。この「上官」とは、ナターシャが連行された先で尋問官が名乗る呼び名(「覚えられないなら上官でいい」)だ。すると、ナターシャが食堂で八つ当たりしたこの夜は、拷問された後だと考えられないだろうか。

 なぜ、そんな演出があり得るのか。

 ナターシャの感情の発露が意味不明であればあるだけ、観客は剝き出しの感情そのものに圧倒されるだろう。ナターシャがオーリャを詰ったり、食堂の椅子を壊したり、逆にオーリャに優しくしたり、ひとり怯えるように泣き出したり、そうした行動に理由がないほうが不気味であり、ただ感情だけが生々しく迫ってくる。それは人間そのものの生々しさでもある。なまじ理由を見出すと、ナターシャの感情に因果関係をこじつけて納得してしまうのだ。

 この映画はひたすら人間を映している。風景や背景でなにか語ることさえしていない。非人間的な社会は合理性を根拠とする。その抑圧下にある人間は、理由の分からない感情の奔出として描かれるのではないか。だから、もしも映画内時間がシャッフルされたとしても、最後の最後まで隠しておくことには大きな意味があると考えたいのだ。

 

 とは言え、全体主義を描くというテーマから、ナターシャの剝き出しな感情は依存として捉えるほうが、まず正しい解釈だろう(八つ当たりの夜の後、ナターシャの後をKGBらしき男が尾行していたし)。解釈1である。