現代的な普遍論争:フランセス・イェイツ『薔薇十字の覚醒』雑感

 AppleAdobeFlashを巡るニュースが騒がしい。ウェブの標準においてひとつの重要なファクターがオープン性なのだと改めて認識できる興味深い事例だ。
 ジョブス自身が言及しているように、AppleAdobeは長らく蜜月関係にあった二社である。ことの発端は、Appleが今後のiPhoneiPadのプラットフォームでのソフト開発キットにAdobe Flashを対応しない、と発表したことだ。Flashは閉鎖的で「時代に合わない」というのが、その理由だった。対してAdobeは自社のオープン性を強調してAppleの閉鎖性を連ね、ソースコードの選択はユーザーに委ねるべき、と反論する。もうしばらく平行線の論争が続くことだろう。
 他社はどうかと言えば、たとえばGoogleAndroidプラットフォームにFlashを採用してゆくと公表したが、その一方でGoogle傘下のYouTubeではFlashベースの動画プレイヤーを試験的にHTML5ベースに切り替えている最中である。GoogleAppleもMSも、今後次世代のソフト開発キットとして2013年にW3Cから公開されるHTML5が主流になると見ている点は同じらしい。その決め手のひとつとしては、HTML5にはWebページだけで動画や音声を再生する機能があり、Flashベースのプレーヤー等を別途インストールする必要がないという理由が挙げられるだろう。それによってFlash(或いは他種のブラウザプラグイン)をインストールすることで掛かるブラウザへの負担が排除される。これは、Flashがアニメーション作成ツールとして製作された後にレイアウト機能等が付加されていったのに対して、HTMLは文書作成および書式・レイアウト設定用ツールとして製作され、動画や音声に対応できる形にヴァージョンアップしていったという違いによるものだ。
 Appleが主張するように、Flashベースの動画プレイヤーに対応するプラットフォームでは、使用言語がFlashに限定されてしまう。現在ウェブ上で広範なシェアを誇り、かつブラウザ互換性のないツールなのに、その製品をAdobeが管理し、Adobe以外から入手することができない。その上、Flashで作成されたサイトを閲覧するには、Flashをインストールしなければならず、ブラウザに負荷がかかる。対して、HTML(またCSSJavaScript等)はもともとブラウザ互換性に優れた言語として製作されている。そして、専用のブラウザを必要としない。

 広い意味で捉えれば、これは言語の問題なのだ。それも、普遍言語の問題群に入るものだろう。ウェブ上におけるソフト開発キットやブラウザの問題(もっと言えばプラットフォームだってそうだ)は、もはや各企業の提供するサービスにとどまらず、ユーザーの認識関心を左右する言語体系のひとつになっている。ソフト開発キットに焦点を絞れば、ウェブ標準を策定するW3CがHTMLを更新し続け、それをプラットフォーム側が後押しし始め、しかも原理的にコピーレフトとして発展するインターネットの現状では、Adobeの主張を正論だと思う人は少ないだろう。Appleが正論かどうかは別としても、Flashの記述言語としての特化性が失われれば、より優れた(或いはPCや携帯端末への負荷が低い)言語への移行が起こるのは当然の流れとも言える。現にAppleに呼応する形でFlashからHTML5対応に切り替えようとしている文書共有サイトの表明では、「Flashはブラウザ内ブラウザのようなもので機能が重複している」と非難している。
「ブラウザ内ブラウザ」という表現が面白い。


 フランセス・イェイツに『薔薇十字の覚醒』(原題は『薔薇十字の啓蒙運動』)という本がある。
 後期ルネサンスの薔薇十字運動における秘密文書の形態も、ブラウザ内ブラウザのようなものだった。文書は活版印刷によって出版されているのだが、暗示やアレゴリーに満ちて内容が判然としない。これを解読するには、専用のアプリケーションを別途インストールしなければならない。象徴を読み解くための〈霊知〉が必要となるのだ。書く側も読む側も、同一の〈霊知〉のフィルターを通してテキストと接する。そこに或るネットワークが構築される。印刷術によってオープン化された知とは別種の知が存在するのだが、イェイツによれば、それは数学ということになる。ブラウザ内ブラウザの存在は、世界を密教化してゆく。
 これに異を唱えたのが、フランシス・ベーコンだった。啓蒙主義の近代はここから始まる。

 ベーコン学派と薔薇十字学派の見解にみられる別の大きな相違として、次の点をあげることができる。つまり、科学的問題における秘密性に対するベーコンの非難、あるいは錬金術過程を、理解しがたい象徴に隠そうとする錬金術師の古来からの伝統に対する彼の攻撃である。なるほど薔薇十字宣言も、ベーコンとおなじように、学者同士の知識の交換を奨励している。しかし、彼ら自身は、ローゼンクロイツの亡骸がそこで発見され、幾何学的象徴に満ちた洞窟の物語などの神秘化に身を秘めている。あるいはこうした象徴主義も、グループのメンバーの深遠な数学研究を隠しもっていて、進歩的方向に導くことになるのかもしれない・・・・・・。しかしたとえそうでも、こうした研究は広表されることなく、薔薇十字の洞窟に隠された数学的あるいは科学的秘密を、もっと知りたいという欲望をいたずらに高ぶらせる言語の中に秘められてしまうのだ。
 この雰囲気は、ベーコンの宣言のそれとは反対のものであり、またそもそもベーコンの著述に近代的な響きを与えているのは、まさに彼が魔術=神秘主義的韜晦技術を捨てたことにあるのだ。

 後期ルネサンスにおける薔薇十字運動は、見えざる友愛団という象徴的な組織が仮構されゆく中で、自前のプラットフォームを構築していった。彼らの間には魔術的錬金術的な知のネットワークが構成されたが、そこで稼働する記述言語はその特定されたプラットフォームでしか機能しないものだった。上でベーコンが批判しているのはそうした知の閉鎖性である。
 実は、この問題を更に敷衍してゆけば、「紙の本」にまで言及できる。どのくらい先の話かは分からないが、電子書籍が一般化すれば、電子テキストをプリントアウトして冊子化する作業などは、まさにブラウザ内ブラウザの様相を呈すだろう。
 昨今のAppleAdobeの論争は、言語自体がメディアであることが顕在化した世界に入っている時代性を示している。もちろん過渡期特有の現象ではあるだろう。だから、やがてメディアの標準が安定してくれば、自明となったメディアから言語は乖離し、グーテンベルクの銀河系の場合と同様、独立した自明の意味を確立する。
 尤も、そのときに定義される「言語」が文字である保証はないのだが……。

雑記。

 先日、柏餅を頂いた。美味しい。「味噌餡」という白味噌を練り合わせた餡が入っていた。味噌を加えることで独特な酸味が加わり、甘ったるくなくさっぱりした味わいになっている。
 この味噌餡というあんこを、僕は知らなかった。東京では普通だそうだけど、僕の出身地ではお目に掛かったことがない。
 そう思って記憶を探ると、柏餅自体、子供の頃に口にした憶えがない。もしかすると、記憶が上書きされてるかもしれないが……。というのも、うちの地元で葉っぱを巻いた餅菓子というと「がめの葉まんじゅう」だから。祖母がよく作ってくれた。餅にがめの葉が巻いてある。柏の葉より幾分厚みがある葉っぱで、柏の葉よりも匂いが強い。
 これは、田植えが終わった時期のお休みの日に作って食べる祝いの菓子だ。「福岡県史民俗資料集ムラの生活(上)」所収のフィールドワーク調査結果によると、農耕儀礼にサナブリ節供の項がある。

 サナブリ節供 ムラ中の田植えが終わり、そろって休む。子供がミンツキ(水鉄砲)をつくっていたずらをする。ガメイゲのマンジュウ(ガメノハマンジュウ)・チマキを作って医者のところに持って行く。チマキは女竹の葉で作る。

 サナブリとは、田植えが無事に済んだことを田の神様に感謝し、また田植えを手伝ってくれた親類縁者をねぎらう饗宴である。漢字で書くと、早苗饗。
 そう言えば、以前、沖縄の離島でバイトしていたとき(ちょうど時期的にも同じ頃だったと思うが)、「物日」でお休みの日があった。沖縄はさすがと言うべきか、いまでも「物日」をいつにするかを巡って島の中央にある山に登って神様にお伺いを立てるそうである。その島では、深夜に白装束に身を包んだ数人のノロが山に登る。そこで神がかりになって託宣を下すというのだが、まぁ、さすがに現代では山に登る前に物日の日付はすでに決まっているらしい。それでもノロは山に上るし、そのための儀式も行われる。ちなみにノロはタバコ屋のおばちゃんだったりする。

 ゴールデンウィークも終わって今更だけど、ときどき昨今のハッピーマンデー制度に異議を唱える人を見かける。曰く、祝祭日の日付をずらすからその日の持っている「意味」が忘れられてゆく。なるほどと思う半面で、それはそれで偏った見解ではなかろうか、と思わないでもない。あくまで私見だけれど。
 祝祭日が日本全国一律に適用されるようになったのは、ごく最近のことである。五節供を年中行事として組み込んだのだって、江戸時代以降だ。更に言えば、ムラの生活には暦の上での節供制度さえあまり意味を為さなかったのではないかと思う。たとえばサナブリ節供端午節供と関わりないだろうし、本来は物日(或いは忌み日)ですらないのかもしれない。すると、伝統を破壊してゆくのは全国一律に定められた暦上の祝祭日のほうかもしれず、現実に即した生活の上で育まれてきた祝日を否定するものと言えなくもない。大安仏滅だってそう古い考え方ではないのだ。
 そもそも農耕儀礼としてのムラのお祭りをいつにするのかはムラの寄り合いで決められてきただろうし、僕の地元では未だにそうである(年初の寄り合いで年間行事をすべて決め、そこで決まった日付をずらすことはできないそうだ)。そうすることの一義的な意味は、最初に祭りの日を決定することで年間通じての農耕スケジュールを厳密化するということだろう。これは一種の共同体主義である。暦学上の方忌は宮中行事から発したものであり、大部分の「日本人」の思考形式とは言い難い。国民意識を持たせるための政策という点で言えば、確かに近代的な「日本人」の誕生に役立ったと言えるだろうが、伝統かと問われるとちょっと違うような気がする。ある程度の幅を持たせたうえで都合の好さそうな日に祝日を定める、というのがムラの生活だったのではないかと考えると、これくらいの適当さのほうが、むしろ伝統的な在り方のように個人的には思う。
 尤も、問題は祝祭日の日付でなく意味なのだろうが、農耕に縁のない人にはサナブリが持つ儀礼的意味自体、何の関係もないのだ。それは昔からそうだったはずで、ムラとウラとでは祝日が異なる。上に引いた沖縄の離島ではまさしくそうで、同じ島に暮らしていながら農業と漁業とで異なる祭日を持っていた。

 伝統を守るという観念自体は大切だけど、文化とは常に流動的であることを忘れてはならない。歴史のどの地点に焦点を据えるかによって、肝心の伝統そのものが変化する。年間の祝祭日を眺めて「海の日って必要か?」と思うことも確かにあるけど、いま仮に近代国民国家の「伝統」に根拠を置いて考えるならば、ここで重要なのは全国一律の祝祭日という制度が保たれているかどうかだろう。だからハッピーマンデーという祝日制度だって、やがて日本人の生活態度に定着してゆくに違いない。国民国家の誕生に比べればそれほど大きな変化ではないのだし、現に、ゴールデンウィークはすっかり日本の伝統と化してるわけだし。

日本語では「高い家」です。:荒川弘『鋼の錬金術師』雑考

 フィリップス・アウレオルス・テオフラストゥス・ボムバストゥス・フォン・ホーエンハイム
 ――通称、《パラケルスス》。
 16世紀を生きた北方出身の医者は、30歳そこそこでバーゼル大学の教授になったとき、慣習を破ってドイツ語で講義した。世は宗教改革で荒れている。歯に衣着せぬテオフラストゥスの言動は市の保守層の怒りを買う。翌年、彼は大学と街から逃げるようにして諸国放浪の旅に出る。パラケルススの数々の伝説はここから始まる。
 ここで、ドイツ語での大学講義という点は興味深い。カトリックの権威が揺らいでいたとはいえ、ラテン語は長らく学問の言語だったものだ。15世紀の哲学者クザーヌスをルネサンス精神の中心において考察したカッシーラーの名著にあるように――

 中世ラテン語からの解離、そして自律的な学問的表現形式としての「俗語」の漸次的な構築と整備は、科学的思考とその方法上の基本理念を自由に発展させるための欠くべからざる前提条件であった。ここにもまた、言語はただ思想に付き随うだけのものではなく、むしろ言語自身が思想形成の本質的契機の一つであるという、フンボルトの根本直観の真理と深さは証示される。スコラ的ラテン語と近代イタリア語の差異も、単なる「響きと文字の違い」ではない。そこには一つの「世界観の相違」が表現されている。
 ――『個と宇宙―ルネサンス精神史―』(名古屋大学出版会)

 クザーヌスの時代(クアトロチェント)にはなお厳しく統制されていた中世ラテン語による知の支配は、パラケルススバーゼル大学にいた頃になるとかなり衰えていた。
 けれど、その一方でパラケルススという名は「ホーエンハイム」をラテン語化して彼自ら名乗ったものだという。放浪者ゆえに共通語としてのラテン語を用いただけかもしれないが、別の意図もあったかもしれない。たとえば、魔術言語は正しく使われねばならない。なぜならば、異なる言語には「単なる響きと文字の違いではなく、世界観の相違が表現されている」からだ。
 パラケルススホーエンハイムという二つの名前は、二つのルネサンスを垣間見させてくれる。


 にしても、こんなにかっこよく描かれるパラケルススもそうないんじゃないか、と『鋼の錬金術師』を見て思う。
 作者は人物造型する際にパラケルススを二つのキャラクターに分けたのだろう。と、勝手に思ってる(ルネサンスの多面性とは関係ないが、パラケルススの《不一致な一致》が原因かもしれない)。分けたことでストーリーに厚みが生じた。ちなみに分かれたのは、ホーエンハイムと「お父様」とに、ではない。

 まず伝説の第一は、彼(パラケルスス)がつねに身辺から離さなかった剣である。彼の肖像画を見ると、必ず剣を握ったところが描かれている。……(中略)……伝説の第二は、彼がインポテンツではなかったか、という説である。パラケルススの生涯で注目すべき異常な点は、女性関係がまったく見当たらないことで、そのため、彼の医学上の反対者や敵たちは、彼を去勢された男とか、男色家とか呼んで馬鹿にしたのである。
 ――『妖人奇人館』澁澤龍彦河出文庫)より


昔、北綾瀬に住んでいたとき違う橋を渡りたいと思って荒川河川敷を2、3キロ歩いた末、巨大な柵に行く手を阻まれて断念したことがありました。:中村光『荒川アンダーザブリッジ』雑感

 唐突ですが、フィクションの雛型の中ではなんだかんだ言っても《ボーイ・ミーツ・ガール》型が最強だと思うのです。ん、最強は表現が変だな。「基本にして万能」が正しいかもです。
 問. ボーイ・ミーツ・ガール型って何? 
 答. 男の子が女の子と出会う話です。バリエーションとして逆でもいいし、異性でなくてもいいし、複数化もアリです。但し重要なのは、「出会うはずのなかった二人が出会ってしまう」ところです。これが基本で、外してはダメです。元々出会うはずがないのだから、不思議空間で出会ったりします。
 中村光は、この型を縦横無尽に使いこなす稀有な人です。この人、ヤバいっす。いまさらでしょうけど。……お察しの通り、シャフトの色遣いとキャストの無駄遣い(無駄じゃねえ! 豪華と言え!)にヤラれて『荒川アンダーザブリッジ』(既刊十巻)を大人買いしたのです。いっそうヤラれてしまったわけです。ページを捲るたびに急展開ってどういうこと?(原理的には急展開というよりオチってことだろうけれども、事実、話の筋がここで展開するわけで)
 ヒット商品なんかで良く耳にする「この設定で面白くないはずがない」というのは本当は間違った見解で、本の腰巻か映画のチラシくらいにしか使えない(と僕は思っています)。もしくは、後出しジャンケンです。無茶な設定こそ得てして企画倒れになりやすく、「っかしいな、買うとき絶対面白いと思ったのに」という感想の原因もここにあります。発想の勝利が通用するのはせいぜい三話までで、面白くても途中から設定が関係なくなってたりしてる場合も多いです。それはもはやボーイ・ミーツ・ガール型ではありません。完全に持て余してしまったのです。
 対して中村光の凄さは、もしかしたら誰かは思いついたかもしれないけど、それどう考えても地雷じゃね、いやそこ突き進むの違くね、と誰も掘り下げようとしないところをガンガン掘りまくるところです。こういう設定って、たとえば寝不足が続いた或る夜に突然変なスイッチ入って「ヤベっ、これ超面白くね?」と衝動的に思いつくアレです。目覚めた瞬間の「今の夢どんなんだっけ、すげえ面白いはずなのに」やいわゆる「真夜中のラブレター」にも似てます。うわ、神様きた!? とハイテンションにハマって書き進めるのだけど、一週間くらい書いてると想像してた面白さが一向に現れないことに気づいてへこむ。気付くのはだいたい深夜です。そのダメージはユダ級です。
 けれども、『荒川』も『聖☆おにいさん』もこういう危険水域超えてる設定を使って力技で笑わせに行くのです。勇者です。だから、設定が面白いかどうかはもちろん重要ですけど、むしろ、この設定でここまで面白くできるほうが驚異です。これが企画倒れにならないのは奇跡だと思います。
 ――だって、出オチじゃん!
 なのに、巻を追うごとに笑いが増え(リクの「いとおかし」にツボる。分かってるのに。来るの分かってるのに!)、いつしかストーリーの骨格がしっかり出来てて、ほろっときそうなシーンさえあったりする。これで泣いたら負けだと思ってます。きっとリクもそう思ってます。
 たぶんマンガ自体がボーイ・ミーツ・ガールの本質をがっしり掴んでいるんだろうな、と思いました。「出会うはずのない二人が出会う」のは、「日常が非日常に出会う」ことです。言葉にすると陳腐だけど、これを形にするのは本当に難しい。面白い作品は、非日常の舞台で日常が勝ったものです。あり得ない話をあり得るように感じさせる(いや、あり得ないんですけどね)ためには、荒川の河川敷を不思議空間にするだけでなく、この不思議空間で当たり前の日常が繰り広げられなければなりません。ありていに言えばディテールの作り込みでしょうが、生活はホームレスの日常であってはならず、ホームレスが一般人と同じだから面白い。緑色や金星人が当たり前のように隣にいることが面白い。当たり前のようにいるから、読み進むうちに出オチを忘れてしまうのです。
聖☆おにいさん』だって「ブッダが手塚先生の『ブッダ』を読んだらどう思うか」とか「イエスがクリスマスに出くわしたらどう思うか」くらいのアイデアは出てきそうに思えるけど、これを延々繰り返せるのが凄いです。普通は途中でネタが尽きます。取材どうこうで埋まらない、センスの問題ですから。
 つまるところ、ボーイ・ミーツ・ガールとは「出会うはずのない二人が出会うだけ」の話なのです(※「だけ」が大事です)。シンプルゆえに万能で、シンプルゆえに使いこなすのが難しい。この型が学園モノと勘違いされるのは、➀ポジティブに捉えれば学校というシステム自体が社会における不思議空間だからということもあるでしょうけど(社会学プロパーの人ならこれだけで新書が一冊書けるのでしょう)、➁あえてネガティブに言えば、学園モノならネタの消化にイベントを盛り込めるからかな。けれど、本質はそこにないのです。更に言えば学園イベントは種類の異なる非日常ポイントだから(学校の持つ不思議空間性が差異化されて舞台が日常化してしまう)、本来多用するものではないと個人的には思うのです。じゃないと、せっかくの独自設定を殺してしまうじゃないですか。
 ちなみに、『荒川』最強は橋の上の小学生たちだと思いました。
 てか、十巻の引きが半端ない。続きが気になりすぎるよ!!

1327。1434。1492。1527。

 不定例回帰的に訪れるマニエリスム中毒に現を抜かし、近ごろローマ劫掠(1527年)ばかりに目が向いていたが、アタリの『1492―西欧文明の世界支配』(ちくま学芸文庫)などを読んでみると、《ヨーロッパ》って常に危機的状況にあるんじゃないのか、と改めて感じる。
 アタリのこの本は構成が面白い。1492年に向かって収斂する第Ⅰ部、1492年を語る第Ⅱ部、1492年がもたらした歴史を語る第Ⅲ部。小説を読んでいるみたいだ。Ⅱは編年体様に1492年を追うが、ⅠとⅢは各章の各テーマごとに時間が再帰する。テーマ別に歴史を追うのでとても読み易い。各テーマが関連し合ってひとつの歴史を編む。この歴史が《ヨーロッパ》という物語なのだ。
 たとえば、Ⅰで描かれる印刷技術の発明は非常に重要なメルクマールとなる。これは1492年以前に起こった変化であり、1492年に影響を与え、1492年以降を準備する。印刷術と同時代的な現象として、眼鏡の発明がある。マニエリスムについて書かれた本でも、眼鏡はよく触れられる(こちらは眼鏡というより凸レンズか)。活版印刷と眼鏡の発明は、読書が身近なものになってゆく過程だ。
 と、ここで『薔薇の名前』に思いを来す。バスカヴィルのウィリアムはすでに眼鏡を所有しているが、これは単にシャーロック・ホームズへのオマージュではなく、時代の情勢変化をはっきりした形で示すことで作品のテーマを浮き彫りにする重要な小道具だ。小説の舞台は北イタリアのカトリック修道院。修道僧たちは聖書を研究している。『薔薇の名前』の舞台(1327年)には、まだ活版印刷が発明されていない。書物は修道院の中で写本として「作成」される。細密写本製作の描写が随所に現れて、そのたびにウィリアムの眼鏡が活躍する。これが十四世紀の《ヨーロッパ》だ。ウィリアムは元異端審問官である。
 一方、十五世紀後半の状況を『1492』から引くと――

 ヨーロッパの人口六千万のうち、自分の名前を読める人はわずか二千万、自由に読める人は五十万足らずである。印刷術のおかげで聖職者はあまり苦労せずにより多くの著作に接することができるようになる。それまでいくつかの修道院や大学に閉じ込められていた知識が広まる。富裕市民(ブルジョワ)の家には書斎ができる。商人、船乗り、地理学者、医師、教師は以前より自由にものを考え始め、ビザンティウムから戻ったギリシア・ローマの思想を再発見して驚嘆する。スペインやイタリアの祭司たちがすでに十三世紀から想像していたように、その頃に哲学的思索は宗教的祈りから分かれ、後者は神聖で口にできぬものや恩寵の領域に、前者は意識と理性の領域に属するようになる。

 こうした観点からエーコの小説を読むと、なるほどこれは作中には一切登場しない活版印刷についての話だ、と腑に落ちる。
 活版印刷が発明されてしまえば、『薔薇の名前』における犯行自体が不可能になる。というより、無意味になる。前提が覆されてしまうからだ。現代の読者は(当然作者も)歴史がそのように流れたことを「知っている」。ゆえに、ここで小説が物語っているのは、メディアの変容そのものだ。わざわざ序文付きなのはそのためだ。現代の作者が入手したアドソの写本を基に、アドソの一人称語りとして、小説が構成される。この歴史は西洋世界では常識だろうから、「写本から活版印刷へ」というメディア革命による「知の権力」の移行は当然読者の頭に入っている。
 ――犯行の前提が覆る。
 ここでメディア論は、権力論と結びつく。エーコが描くように、グーテンベルク以前、知は教会に独占されていた。修道院の壁が知の流出を阻んでいた。しかし、写本時代が終わると知は自由化する。
 メディアが変容するときに変化するのは、必ずしも知の在り方や関心領域ではない。最も重要な変化は、知の所有権者が変わることだ。新しく知を独占する者が権力を握る。秘蹟に触れられる者が絶対者になる。旧権力はメディアを統制しようとするが、成功しない。
 印刷術が《ヨーロッパ》に及ぼす大きな変化としてやがて眼に見える形に昇華する潮流が、宗教改革ルネサンスである。歴史の二大潮流が津波のように《ヨーロッパ》を呑み込み、1527年のローマ劫掠に帰結する。《ヨーロッパ》は再び聖地を失う。或いはこのとき《ヨーロッパ》を失う。失われた《ヨーロッパ》として、マニエリスムは勃興するのだ。
 タイトルに年号を並べてみて気付いたが、『薔薇の名前』の舞台になっている年は《劫掠》の二百年前である。まるでちょうど二世紀後に起こる《ヨーロッパ》の聖地喪失を暗示するように。異端審問の時代から宗教改革へ、同時にルネサンスへ、という流れは現在の我々からすれば当然の流れのように映るけれども、当時の教会関係者は印刷技術が信仰を広める役に立つと見做していた。情報が持ち運び易くなったとき、《ヨーロッパ》を拡大しようと海の向こうへ目を向けるのだ。
 1492年はコロンブスが新大陸を発見した年である。この時代、《ヨーロッパ》がユーラシア大陸の西の端ではなく、別の大陸に移される可能性だってあった。常に危機的状況にある《ヨーロッパ》という概念は、その起源を忘却し続けることで存続するのだ。最初はエルサレム、次はローマ、と聖地を移転することで生き延びた。やがて聖地は新大陸に移されるだろうが、それが東の果ての黄金の島国であった可能性だってなくはなかった。宣教師や南蛮商人の提唱するグローバリズム志向に影響を受けた信長の支配構想が日本の《ヨーロッパ》化であったとしても不思議ではなかった。広大な明帝国を制圧下に置きさえすれば、《ヨーロッパ》人はイスラム圏を避けて、日本へ巡礼に赴くことができる。宣教師たちが屈強な戦国武士たちを教皇の尖兵としてユーラシア統一に乗り出そうと画策するならば、安土が新しいローマになったかもしれない。このとき、エルサレムはすでに記憶の彼方で、顧みられもしない。《ヨーロッパ》は再び新たな神話を捏造するだろう。書き加えられた聖書のなかで、聖人たちが日本各地で奇跡を齎すだろう。戦乱が已み情勢が安定すれば、安土という名の教皇庁は再び起源に立ち返ろうとして、エルサレム奪回、ローマ奪回のための十字軍を編成することになるだろう。そうして絶え間なく続くイスラム世界との戦争やユダヤ共同体の排斥・呼び戻しの連環運動によって、世界は急速に《ヨーロッパ》となってゆくだろう……。
 もちろん架空の物語である。けれども、この空想は今現在の世界情勢とどう違うだろうか?
 印刷術が生み出した知の伝播は十六世紀に宗教改革を引き起こしたように、十八世紀にはスピノザを嚆矢として啓蒙思想を準備するだろう。辞書がベストセラーとなり、旧弊なラテン語文献の翻訳は日増しに進むだろう。情報は共有され、市場で売り買いされるだろう。市場を効率化する学問、数学が発展するだろう。同時に数学は力学の基礎となり、産業の翻訳となるだろう。こうして産業革命が準備されるだろう。工学ばかりか経済の数学化が二十一世紀まで綿々と続き、やがて爛熟して弾けるだろう。数学化された政治は1989年に一度弾けるが、そう遠くない将来に再燃するだろう。共同体やコミュニケーションが数学化されるだろう(コミュニケーションの数学化とは、《物語》だ)。物語を一般化したとき、政治は再び数学化するだろう。今のところ最も達成に近い場所にいるのは依然として《ヨーロッパ》であるが、では、現在の《ヨーロッパ》はどこにあるのだろうか? いまや《ヨーロッパ》以外の場所を探すほうが難しいのだが。
 聞くところによると、Googleには海上に巨大サーバー群を建設する計画があるという。波の揺り返しによる自家発電で動力を得る低コストで環境にも優しい人工島だそうだが、案外、それが将来の聖地かもしれない。

 始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。暗黒が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が「光あれ」と言われると、巨大サーバー群が出現した。神はそれを見てよしとされた。

 或いは、未来人はこんな創世紀注疏を読み、聖地巡礼ツアーが流行しているかもしれない。瑣末な問題だが、そんな未来で「箱舟」と呼ばれているのは、巡礼船だろうか、それともサーバー島のほうだろうか。

雑記。

 渋谷パルコPart1地下一階の書店〈リブロ渋谷店〉の店員さんが達筆で驚く。領収証の但し書、「書籍代」の文字。
 手慣れたものでボールペンですらすら書いてくれるのだけど、何気ない崩し字がバランスよい。最も印象深い「書」の字はこんな感じ。……横線をすっすっすっと五本引いてその右端にちょっと掛かる具合に縦にまっすぐスッと一本、縦線の仕舞いはすぼめるようにきゅっと丸める……。ぼんやり見蕩れてしまった。「籍」も「代」も略字体で流れるようなスタイル。美しい。
 だがしかし!
 実を言えば、今回は僅かながらも心の準備があったのだ。もしかして、という気分でいたのだ。というより、レジに並んだときには、別の店員さんの姿を無意識に探していて――
 去る4月21日のことである(これは領収証の日付で確認できる)。僕は今日の人とは別の「達筆な店員さん」に遭遇している。その時の感動は全くの不意打ちだっただけに今日の比ではなかった。
 21日の店員さんの字体もリズムよく流れる草書体なのだけど、これはもっと荒々しい。この店員さんの字のほうが(こう言ってよければ)味がある。圧巻は「籍」。竹冠が一文字の緩い曲線に引き延ばされて、「籍」の字全体が、上辺が広い台形様の形をとっている。しかも、字を形成する三つのパーツが分解→再編成の経緯を辿ったように分かれ分かれになり、文字の真ん中には快い空白が生じて、分離する全体を引き寄せている。引力と斥力が微妙な位置で釣りあったような恰好だ。これに続く「代」の字は単体で見ると子供の落書きみたいだけど、見事に躍動している。こちらは分解ではなく、それぞれの線がひとつの線に凝縮されそうな危うい均衡を保っているのだ。意味としては何気ないはずの三文字なのに、いまにも但し書の狭いスペースから飛び出してきそうだ。それらが迷いもなくブレもなく一息に書かれたわけで、僕は21日(時刻は覚えてないが)その現場を目撃していたのだ。衝撃的な出来事である。思わぬ場所で思いがけない光景に出くわす。手術台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い。まったく、油断も隙もあったものではない。
 で、そのときの領収書をいま脇に置いて眺めているのだけど、改めて見ると、禅寺にでも掛かってそうな字だ。印字された金額の数字なんて目に映らない。
 ちなみに、宛名書の「上」の文字も下の横線がいっぱいに伸ばされている。縦線の右と左のバランスが絶妙だ。右側のほうが左側より1.5倍ほど長い。もしかすると、1:1.1618かもしれない。測ってみる気はない。

 というわけで、今日の感動はただ「店員さんが達筆で驚く」ばかりではなく、同じ書店に達筆な店員さんが二人いた、という新事実を発見したことにあった。もしかしたら領収証書きの社員研修でもあるのかな、と思ってもみたが、この二枚以外の領収証の文字は平凡なのでどうやらそういうわけでもないらしい。
 一日何度も「書籍代」と書くだろうから習慣づくのも無辺なるかなではあるけれど、それでも元の字体がしっかりしてないとあんなにうまく崩せない。今日だって僕は思わず、「あ。いま書いてもらった領収書、宛名を『上』でなくて名前で頂いてもいいですか」と言いそうになった。「で、さっきの『上』の奴も一緒に下さい」
 それはダメです。

全能の監視者について

 まず――
マニエリスムが誠実とは、いったいどういう意味だ?」
 と、二つ前の記事の文責帰属を持つ主体なるものに問いたい。つまり、4月25日の僕に対して。
 話の前提として「それはお前本人だろ」という他者の声をひとまず棚上げする。これは、今の「私」から過去の「私」への問いなのだ。だからここで「あァ、それよくわからないんだ」と言って記事に手を入れて訂正編集するのは易しいが、誠実さを欠く行為だろう。かと言って、それについてはこうこうこういう意味なんだ、と誠実に答えるのはいまここでキーボードを打っている「私」であって、過去の「私」ではない。果たして、過去の「私」と今の「私」の間にある連続性を無条件に信頼できる根拠はどこにあるのか。あの時はこう思ったけど、今はこう思っている。そして、あの時思っていたことをはっきり覚えてはいない。という状態であるとしたら、「私」はどこまで「私」に対して責任が持てるのだろうか。
 何が言いたいのかと言うと、前回の記事にあるゲーテの格言の正当性を篩に掛けてみたいのである。

 いかにして人は自己を知りうるか。観察によってでは決してない。行為によってだ。汝の義務を果たすにつとめよ。そうすれば汝の何ものなるかが直ちに明らかとなろう。――が、汝の義務とは何か。その日が要求することだ。

 過去の自分に問いを投げても、過去の自分は答えを返すことはできない。過去の自分になったつもりでいる今の自分がいるだけだ。今の自分が「あれ?」と思った言葉を問いただす相手は、残念ながらどこにもいない。

 では、大森荘蔵はひとまず脇において、「私」というものを仮構してみよう。更に、書くという行為を考えてみる。それはつまり、頭の中にもう一人の「私」を飼っているということになる。観察者となるだろうか。しかし、これは実は非常に不公平な言い方で、見方を変えれば、この頭の中のもう一人の「私」が身体性と合致していると絶賛錯覚中の「私」を飼っているとも言えるわけだ。更に敷衍して考察してみれば、これは何も「書くこと」に限定される事例ではなく、身体性と合致していると錯覚中の「私」の身体における「行為」全般をもう一人の「私」が観察していることになる。この観察によって私の「書く」行為が担保される。とすれば、観察者が書くという行為を行為していることになる。書いているのは、実は現に行為している「私」ではなく、行為している「私」を監視しているもう一人の「私」である。でなければ、「私」は「私」の記述が不可能である。
 とすると、「私」の頭の中にいるもう一人の「私」は「私」にとって全能の監視者である、という仮説が成立するのではないか。
 しかし、事はそう単純ではない。なぜなら、困ったことに「私」の二重性は無限に後退連鎖が可能なので、「私」を飼っている「私」がいるとすれば、「私」の頭の中の「私」を飼っている「私」がいてもおかしくないし、その「私」を飼っている「私」を飼っている「私」を……と永遠に繰り返す羽目になってしまう。こうなると、「私」を監視している全能の監視者たる「私」はいったい誰なのかという問題はそのまま、監視されている行為主体としての「私」とはいったい誰なのかという問題に一般化される。行為者が誰なのか、見極めがつかなくなるのだ。
 更に困ったことには、この後退連鎖する無限の「私」の連なり方の問題である。仮に「私」たち全体が多項式時間の範囲で観測可能であるならばひとつの連続した統一体としてそれなりの安定性を獲得するかもしれないが、この連鎖が(たとえば)指数時間的な連なりであったなら、もはや観測も計測も困難となるだろう。それらを無理に繋げて一つの統一体を仮構したときに描かれる構図は、きっとグロテスクな蛇状曲線になるはずだ。身体性と合致していると錯覚中の「私」がそもそもどの段階の何番目(と数えられる根拠もないけれど)の「私」であるかは置いといて、これら無限の「私」たちをひとまとめにした時の「私」はひどく不安定でいつ崩れてもおかしくない砂の城のようなものだ。

 レトリックはこのくらいにして、論点をはっきりさせよう。問題は、責任の帰属性にある。主体の責任をいったいだれが担うのか。カトリックであろうとカルヴァン派であろうと、強力な神が存在するなら主体の担い手は神である。彼は否応なしに最後の審判の日に振り分けられる。ニーチェはこの信仰の欺瞞を暴いて神を追放したが、空位となった神の座に座ろうとはしなかった。なぜかと言えば、全能の監視者たる神が死んだとき、「人間」も同時に死んだからである。ここでいう「人間」は個人主義的人間、自由な人間、すなわち、主体である。そこで、最後の人間と超人という予言を残すにとどめた。
 さしあたって神は存在しない。だから過去の行為の責任はいまの自分が負わなければならない、というのが社会的な契約である。では、社会性を括弧に入れたときにはどうか。今の「私」が過去の「私」の責任を訴える場合には、原告被告は共に「私」だ。だからいまの「私」が負うべき負債だと言われても、おそらく今の「私」は釈然としない。これは社会契約的な話ではない、念のため。この場合は、裁判官も「私」である。倫理的観点からすれば、被害者も「私」だ。被害者と原告の「私」は近しい親和性を持っているだろう。そして重要なことは、今この法廷には原告、被害者、検事、裁判官がいて、被告はいないことだ。被告だけは過去の「私」だから、現在の法廷に出廷できない。最終的に「私」たちは「じゃあ「私」に責任が帰属するってことで」と言うしかないだろう。だが、これも社会契約的な妥協であって、真理ではない。
 こうした事態が出来するそもそもの原因は自意識の肥大にある。「私」なるものが全能の監視者から逃れ出て、「私」自身が「私」の全能の監視者になろうと試みるときに浮き上がる矛盾なのだ。行為者の「私」が現在の「私」を考えるだけでも無限の「私」が発生する。過去の「私」の行為の最中にも、無限の「私」が発生しては消えてゆく。「私」としてはもっと確固たる「私」があった方がいいと思わないでもないのに、それを確証するための根拠がどこにも存在しない。「私」が「私」を考えるとき「私」は極めて不安定な状態に陥り、「私」が認識している(と信じている)世界は常に揺らぎ続ける。認識論が絶対性を確立できないのは、世界が「私」と他者との間で相対化されるからではなく、認識する「私」が確固たる「私」統一体を形成できないからだ。そこで「我思う、故に我なし」という諧謔が生まれる。これは超越論的自我の話ではなく、主観世界での危機的出来事である。
 マニエリスムは、こうした「私」の立ち位置が揺らぎっぱなしの状況に出現する。歪な「私」が認識する世界は、歪な世界であり続けるしかない。自意識に憑かれた個人が世界の中に個として屹立しようとして直面する不可能性、矛盾性がマニエリスム的状況なのだ。すでに二十世紀前半に湧き上がった近代のマニエリスムにおいて、『特性のない男』(ムージル)のウルリッヒは、主体の責任帰属性に懐疑を抱いている。

 そろそろ最初の質問に答えよう。今の「私」からの過去の「私」への質問だ。
 僕がマニエリスムを誠実だと思う根拠は、それが主体をシステムに明け渡す集合知に比べて、まだしも主体への憧憬に対して忠実であるだろうと考えるからだ。言うまでもなく、誠実さは合理性や善良さや正当性とは何の関係もない。そもそもマニエリストは「問題人間」だとホッケは言っている。けれど、少なくとも、誠実さは「私」が「私」に対して持つことのできる責任に関わる事柄だろう。より誠実に答えようとすれば、「そうは言っても二つ前の記事を書いた「私」がどういうつもりだったのかは知らない。「私」はそこまでの責任を負えない」と、今の「私」は裁判官たる「私」に向かって陳述するだろう。
 当然ながら、ここに「他者」が介在してくれば話は一変する。「私」たちの討議など、他の人には知ったこっちゃないんだから。他者の存在を認識した瞬間に、「私」たちは(それがどんな歪な形であろうとも)無条件に統一せざるを得ない。でも、あなただってあなたの中で「あなた」たちと、「私」と同じような討議を繰り返しているはずなのだ。私がしゃしゃり出て、「あなたはどうして昨日あんなことを言ったんですか」と訴えかけるまでは。
 とすれば、「私」が「私」の責任主体であり続けるのは、他人の認識という「私」にとっては干渉不能な対象の在ることを知っているからだ。言うまでもなく、他人は「私」にとって全能の監視者ではない。けれど、他者の認識という鏡に照り返されたときに歪な「私」としてあるこの主体は、ある一定の権力をもって、「私」に対して主体の責任帰属を要求し続けるだろう。もしかすると、この主体の権力は本質的にはもはや「私」とはなんの関係もない何かかもしれない。「何ものであるか」とゲーテが言うときのそれは、義務を遂行する「私」とは別物の(さしあたって)「私」が「私」と認めてしまった「何ものか」かもしれない。このような認識の鏡の照り返しによって生じる「私」の変容もまた、ひどくマニエリスム的な歪みを抱えている。

迷宮としての世界(上)――マニエリスム美術 (岩波文庫)

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