『流跡』と異界について:朝吹真理子『流跡』雑考

 話題の作家・朝吹真理子のデビュー作を読んだ。
 賞を受けるのが作家か作品かという問題は、古今東西を問わず解決しがたい難問だろうと思う。それは近代特有の「人間」病かもしれないし、実はもっと古い原初的な何かかもしれない。もちろん作家本人のプロフィールばかりに光が当たるのは、テクストそのものにとっても不幸なことだし、小説というメディアにとっても好ましいことではないのでは? と思わないでもないけれど、まぁ結局は、誰がどう足掻いたところで、当の読み手が向き合うのは当の作品となるしかないのだし、誰も本当には作家を通じて作品を読むわけじゃない。だから窮極的には作者名とはインデックス以上の役割を果たさないのだが、にもかかわらず、その根強さを考えてみると、人間主体を枕頭に据えた本読みの姿勢自体が、もしかしたら日本文芸における「或る特徴的な類型」が特化的に発展してきた結果ではないのかという疑念が、ふと浮かんだ。
 ――「東下り」である。
 遠く業平や光源氏、つまり我が邦の「物語」の始めとされるところから(もっと言えば、神話の時点でヤマトタケル神武天皇もそうだが)、「東下り」は穢土への旅路、と規定されてきた。宮廷を遂われた貴種は、ひとの醜さ、生活の困難さ、赤裸々な欲望の入り混じる穢土への道行きによって、苦難と情念に直面する。その苦難や情念のあるによって、生活空間の渦中に放り込まれた彼は、自らの運命を切り開き、アイデンティティを見出して戻ることができる。人間像を問う物語は、常に東へと向かうものなのだ。
 無論、こうした東下り物語における零落の象徴としての「東」は、地図上の東方であるとは限らない。「西」に変奏して語られることもあれば、「異界」として措定されることもあるだろう。七卿落ちにしろ、『千と千尋の神隠し』にしろ、「東下り」の変奏と言えなくはない。そして、その特化した形として私小説があるのだ、というのは言いすぎかもしれないが、自己の生活をテクストに落とし込む手法は「人生」という穢土を見つめ直す手段であり、実人生をテクストにおいて生き直す方法論でもあるのは確かで、作家の行きて戻る場所としての「東」を「小説」そのものに仮構したものでもある、というのは言い過ぎではないと思う。ただ問題は、そうした私小説作家の戻る現実の場所も、やはり「東」でなければならないことだ。書き続けるには穢土を往還して、逃れられないループに自らを追い込む必要がある。それがどれだけ無理あることかは伊藤整が口酸っぱく述べているところだが、私小説に限らず、こうした小説観はやはり根強いように思う。実人生の写し絵として小説はある、とする考え方である。もしかすると、それは小説観というよりも人生観と言ったほうがより正確なのかもしれない。「東下り」は、単に文芸に限定したエートスではないらしい。


 以上を踏まえた上でテクストと向かい合ったとき、『流跡』は、そんな「東下り」の伝統に抗する特異なテクストであるとも言えるし、もう一方の伝統に即した極めて日本的なテクストであるとも言える。念のために強調しておけば、このテクストは東下りでもなければ、私小説でもない。前半で丹念に描かれるテクストの構成は、東下りを戯画化しているのではないか、とさえ思えるほどだ。
 この小説が描き出すのは、いわば「西下り」としての異界である。


 ゆるゆるあらましを辿りながら感想を書いてゆこう。
 高野山(※後述)、厳島神社筑後水天宮と、西へ西へと流れてゆく前半部分は、直線的な場所移動ではなく同時に時間も越えながら描かれている。ここで空間と時間を跳躍するのはひとつの主体としてでなく、ゆらゆら揺らめく世界線だけが描出される。曖昧な主体ならざる存在は、まるでその線上にたまたま現れただけというように、決して明確な主語としては立ち現れない。当然、登場人物はアイデンティティを規定できる記憶すらあやふやで、それを取り返そうとしても自己なる何かが元来あったかどうかさえも分からない。ひとであるかどうかも定かでない。示されるのは、ただ川に残った流跡のような世界線でしかない。その世界線が、いわば「西下り」のテクストになる。
 重要な点を記し忘れた。東が穢土ならば、西は浄土なのだ。
 冒頭早々に時間を越えた世界線上で出くわすのは、たくさんの被慈利たちである。「遊行上人の配下に属する半俗半僧の念仏者を、俗には磬打と呼び表向きには沙弥または被慈利と申せし事実は」云々と、柳田國男の「毛坊主考」にも記載がある。彼らを目に留めたその山道に、「南無阿弥陀佛」の札がある。これは当然、阿弥陀聖に由来している。すでに冒頭で「約束の場所」である西方浄土が示されている(高野聖真言宗徒ではありません。念のため)。
 ところが、この浄土を短絡に極楽と決めつけてはならない。
 実人生の営まれる場所は、穢土という人間世界である。だから、西へ西へと象徴的に穢土から遠ざかるならば、人間世界の秩序もまた剥落してゆくことになる。人間世界の秩序とはいったい何か? 法や倫理や社会道徳以上に人間を人間として規定しているのは、まず「言葉」である。人間は自らを規定する世界を、自らの言葉によって分節して知覚している。それに比して、浄土とは言葉が存在しない世界である。幸福や不幸も人間の言葉であり、浄土はそうした分節の彼方にある。これが重要。そこには世界のあるがままの姿があり、人間には感じ取ることのできない「自然」という何かが存在する。ゆえに、その何かを捉えようとして零れ落ちてゆく言葉の連なりは、世界線として跡に残るだけなのだ。ここで浄土行は、人間にとって一つの零落となる。自分が生きているのか死んでいるのか、世界線上に置かれた曖昧な存在にはそれさえも分からないのは、当然である。


 前半部分は、この西下りの道行きが時空を彷徨いながら描かれる。そうして小説の構造が示された後に、ある男の物語が始まる。連続した世界線上に忽然と立ち現れたその男は、水たまりの中に見えない煙突を見ている。現実には存在しない煙突に魅せられている。
 このとき男が見ている煙突は、浄土の光景だ。男が浄土に足を踏み入れているのは、テクストの世界線がすでに浄土に到達しているからだろう。繰り返しになるが、西下りのテクストは、異界としての「西」を描き出すものだ。
 男は自分のアイデンティティを保とうと必死になっている。男はいまだ人間であるつもりだから、「昨日の自分があって今日の自分があるから明日の自分がある。昨日の自分の責を今日の自分も負わねばならない。あたりまえのことだ」などと考える。確かに、あたりまえのことだ。わざわざ考えることですらないのに、男はわざわざ考える。実人生について考え、記憶について考え、死について考える。しかし、そうした考えがどうしてもうまく自分というものにそぐわない。やがて、幻視する煙突は焼場の煙突だと思っていたのに、そうではなかったと知る。男は自分が見つめているものは死だと考えていたのだ。しかし、そうではないと判明し、「なんだかにせもののようにとらえどころなくうつってみえ、すべてが遠遠しいことにしか思えな」くなってしまう。
 さて、男は本当は何を見つめているのか? この男は生と死の狭間にあるのではない。だから男が見つめるのは死ではなく、無である。無の渦中にある以上、生も死も意味がない。そして男にも、最初からそうした自覚はあったのだ。
 この男には妻がいて、子供がいる。妻は子供の発話が遅れていると心配している。男はそんな妻に呆れながらも、子供と一緒に風呂に入って話しかける。この場面は印象的だ。子供は「アンパンマン」としか言わない。

 アンパンマンが好きかときくと、アンパンマンと答える。今度はパパが好きかときいてみた。それにも、アンパンマンと答える。もう一度きくと、生返事になる。抱きつくと子供も抱きかえしてくる。子供は可愛い。抱きしめていれば、そのうち会話も密にできるようになるのではないかと思う。しかしそのうちっていつなんだろうか。

 言葉を知らない子供が見ている光景を、男は察しているのかもしれない。言葉を知ってしまった人間には窺うことすらできない異界を垣間見ている曖昧な存在である男には、「そのうち」という時間の流れは意味を為さないのだ。
 それでも男は、子供に引き戻されるように無へと足を踏み入れることを留まる。しかし、次に世界線上に立ち現れる女は様子が違う。いまは廃墟となった精錬所の島にいる女の、生命への執着も薄い。欲望も情念もまるで他人のもののようだ。この女もやはり生きているのか死んでいるのか自分ではさっぱり分からないまま、汽船が着くのを待ち続ける。この女の存在は、男の存在よりもあからさまに希薄である。内面がないのだ。女はただ視点として、そこにあるものを淡々と見つめ続ける。廃墟に残った人工物のように。女はそんな人工物に対して、「感情移入を避けたものとなって存在し、それがただ光波になぜられて分解し、非分解のものはひたすらそこにとどまっている」。まるで女自身のことを言っているように聞こえる。異界を人間の内面を通して映し出すのが東下りであるならば、西にあっては世界が圧倒的なまでに外に存在する。或いは自己がないのだから、内と外の区別すら意味がないのである。


 果たして、「西」という異界はいったい何を示しているのだろう? 東にある異界はいまここにある現実と地続きである。しかし、西の異界はいまここにある現実のありのままの姿である。いまここでありながら決して語ることはできず、文字できつくかがろうとしてもほどけて溶ける。語り尽くせないテクストは、結局、白紙に戻ってしまう。白紙であることが、唯一正しいのである。
 「西」に下れば、東下りの物語のように戻ってくることはない。それは「いま/ここ」にあって、同時に存在しない。
 かくまで徹底して人間のいない小説というのは、とても面白いと思った。



※ 被慈利についての覚書。

 被慈利という名であるが、仏道の慈恵利益を被る者という意味で、附会ながら趣意のある宛字である。しこうして通例ヒジリの語に宛てているところの聖の字を、特に避けて用いなかった点は、さらにいっそう深い意味があることと思う。記録の証拠はないが、聖の字を避けしめたのは外部からの圧迫かと思う。同じヒジリ坊主の中にも遠慮なくこれを用いている者もある。紀州の高野で有名な高野聖などは、かの山にあっては夙に非事吏と書いていた。

 上は、「毛坊主考」(柳田國男)の一節である。この文章を鑑みると、『流跡』冒頭の被慈利は高野聖ではない他の土地の遊行者かもしれない。被慈利は日本各地にいて、念仏仏教が入る以前からヒジリを名乗って部落を形成していた。毛坊主とは有髪の半俗半僧のことで、起源の一つとしてのヒジリ部落を考察しているのが「毛坊主考」である。ちなみに、引用元は『柳田國男全集11』(ちくま文庫)だが、この巻には「妹の力」や「巫女考」も収録されていて、個人的にはお得感を覚えている。
 このヒジリの語源であるが、一般的な解釈では「日知」であり「日のあまねきが如く、ひろく天の下を知るの意味」であるらしいが、柳田は「自分の意見では、ヒジリは単純に日を知る人、すなわち漢語で書けば日者という語などがその初めの意味であろうと思う」と述べている。以下、「毛坊主考」からの引用。「日の善悪を卜する風はわが邦にも古くからあ」り、「巫術祈祷をもって日の性質を変更することなども、上代の社会には最も必要な生活手段であったかと思う」。これらの日知は、「天体の日を祭ったものではなくして、時間の日を祝する任務をもっていたために公の機関としての必要を認められたものだろう」。ただし、これは民間のヒジリとは別物である。
 ヒジリの語源は時と共に混乱して、日知の生業も衰退してなぜヒジリと呼ばれるのか分からなくなってしまったのだろう、と柳田は推測している。ヒジリが聖となったのは当時の知識階級である仏門の徒によるものであり、それがいつしか毛坊主如きが聖を名乗るのはおこがましいとなり、被慈利の宛字となったという。その真偽は自分などには分からない。
 この「ヒジリ」に関して連想したことをちょっと書いておく。安藤昌益の『統道真伝』にも、ヒジリに関する一節がある。

 聖の字に非知ヒジリの仮名を附く、聖人は己が罪を知る故、言行あやまり無きを云う是れ甚しき失りなり。転下てんかに己の非を知らざる者は聖人なり。第一は自然の転道生生の直耕道を盗む、是れ転下無二の非なり。之れより失り始まり、不耕貪食の者転下三分が二に及び、果して兵乱始まる。是れ大非の始まりは聖人に起る。此れ非を知らざるの甚しき者なり。(引用中、転は天の意。昌益は天地を「転定」と書く)

「毛坊主考」ほどの論証は行っていないが、現世秩序を謳う儒の「非知」を揶揄する論理展開が面白い。ここでひじり=「日知」は「非知」と解され、元来の意味は「罪(非)を知る者」とされている。昌益の儒に対する批判は、儒の定めた秩序それ自体の否定を目的とした徹底的なものである。
 さて、『流跡』冒頭に被慈利が登場し、そこから西へ流れてゆく展開を読んで、儒の構築した秩序礼範をことごとく転倒させてゆく昌益の論法をちょっと連想した。『統道真伝』では耕作こそが自然であり、人間の生活が「自然」を破壊していると見る(いうまでもなく、この自然は現代のエコロジーとは関係ない。「ひとる五行は常にひとり行う、一切の妙行妙用、人倫の常行、万物の調有り、一歳に極りて、人と転定てんちと自然に合一なり」)。例えば、「則ち何が故ぞ、転に対し屈身し、中土の田畑に手を下して直運耕を為さざるか。之れを止めて貪食、口言のみ教うる故に、衆人に諂い、利己の謀言にして妄偽の失談なり」。言葉に対する見方が興味深い。昌益のいう自然と『流跡』の背景はまったく別物だとは思うが、二つのテクストをこうして眺めてみると、少し面白い。
 これはよしなしごとである。