八犬伝覚書 巨田道灌について

リアルな効果を狙う子供っぽい配慮から、もしくは最善の場合、ごく単純に便宜上であっても、架空の人物に架空の名前をつけることほど俗っぽいことがあるだろうか?

『HHhH』(ローラン・ビネ)の冒頭に置かれた小説という媒体を巡る、短いがスリリングな洞察は、大きな問題を提起している。架空の物語における架空の人物に架空の名を付けるとき、その名前がその人物を示す必然性は全くない。だから、作者の独断によってそうと決められることへの懐疑も止めることはできない。

 歴史小説ではなおさらで、たとえば架空人物を拵えて史実に混ぜ込んで登場させるとき、なんら根拠のない名前をその人物に与えることには、ある種の恥ずかしさが伴う。ビネが当該箇所で引用するクンデラのほのめかしのように。それは小説そのものが孕む「なんでもあり」に対する疾しさでもあるだろう。もちろん歴史小説に限った話ではなく、フィクションに登場する人物名に根拠がない以上、その人物をそう呼ぶことの全能性そのものが少し恥ずかしい。こういう感覚は一旦気にし始めると、拭い去るのが難しい。

 その点、南総里見八犬伝は、江戸戯作らしく名前を洒落のめすことで必然性を付与している。名付けに動機が加われば、この種の恥ずかしさからは免れる。

 

 その八犬伝の敵役、扇谷定正は実在の人物である。歴史上、扇谷上杉麾下には当代随一の武将太田道灌がいた。江戸城を築造したことで有名な、文武に優れたこの名将は、八犬伝では巨田道灌と名を変えて登場する。

 なぜ、架空の名前なのだろうか?

 馬琴は八犬伝を構想していた段階で、太田道灌の取り扱いに迷ったのではないか、と考えてみる。巨田備中介持資として道灌が登場するのは、第二十二回。初期のことだ。

 豊島・練馬の残党を物語のひとつの軸に据えようとすれば、豊島一族を滅亡に追いやった道灌の存在は欠かせない。しかし、馬琴は太田道灌の介入を用心深く避けている。

  その理由として、名著『八犬伝の世界』(高田衛)は、幕府にはばかって江戸城と深く関わる太田道灌を描けなかったのではないかと推測している。それを踏まえて想像の羽を広げれば、幕府にはばかって物語に組み込めなかったからこそ、「太田道灌」は巨田道灌という架空の名を与えられて八犬伝の世界から放逐されたのではないか。ここで問題視されたのは、太田道灌の「太」の一字だったのではないか。

 名詮自性に彩られた八犬伝世界に「太」田道灌が登場すれば、単なる敵将では済まなくなる。読者はその名から深読みするし、物語自体が彼に役割を要求する。「犬」の文字を再構成した「太」の文字を苗字に含む登場人物が、犬士たちと運命的な結びつきをしないはずがないのだ。馬琴は一度ならず太田道灌を登場させられないか考えたのではないか。そして、咎めを被る恐れから断念したからこそ、初期の段階で巨田道灌を登場させ、太田一族が作中に存在しないと示したのではないか。そこには幕府への用心とともに、物語世界の結構を崩さない配慮が感じられる(同時期に創作された『近世説美少年録』では、太田持資入道と記載されている)。

  さて。

 現代では、だれにはばかることなく太田道灌を描くことができる。上の推論に沿うなら、巨田道灌でなく太田道灌が登場することには意味が生じるだろう。あったかもしれない八犬伝の可能性として。

 架空の物語の架空の名前を実在する名前に置き換えても、その物語は史実通りにはならない。史実や現実とは異なる強固な原則が作用するからだ。

 太田道灌という正しい名前は、原典からも史実からも逸脱する動機を含んでいる。

  

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

 
南総里見八犬伝 結城合戦始末

南総里見八犬伝 結城合戦始末