『南総里見八犬伝』は水滸伝を基に書かれたと言われるが、参照元はそれだけではない。三国演義、西遊記、封神演義、平妖伝など中国の伝奇小説、平家物語、源平盛衰記、太平記など日本の軍記物、源氏物語、枕草子、伊勢物語といった王朝文学、あるいは和歌など。八犬伝は引用の織物である。
出典の明記されていない引用を幾つか書き出してみる。
第五回
◎ 里見義実の瀧田城攻め。敵将岩熊鈍平に立ち向かう家臣堀内蔵人貞行の戦装束。
「備前長刀のしのぎさがりに、菖蒲形なるを挾(わきばさ)み」
→→→「備前長刀のしのぎさがりに菖蒲形なるを挾(さしはさ)み」(『太平記』巻第十五)
第六回
◎ 玉梓の弁明。
(玉梓のセリフ)「女子のうへには筑摩の鍋を、かさぬるも世におほかり」
→→→筑摩の鍋祭。性行為をおこなった人数分、女の頭に鍋をかぶせる奇祭。
第八回
◎ 伏姫誕生。赤ん坊の美しさの形容。
「かの竹節(たけのよ)の中より生れし、少女(おとめ)もかくやと思ふばかりに」
→→→『竹取物語』。「かくや」が「かぐや」に掛けてある。
第十六回
◎ 犬塚信乃の母、手束が、明け方、子宝祈願の帰りに伏姫神女と遭遇する。
「紫の雲たな引きて、地を去ること遠からず」
→→→「紫だちたる雲の細くたなびきたる」(『枕草子』第一段)
第二十七回
◎ 山伏、寂莫道人肩柳の火定。
「肩柳は、経よみ果て、平形(いらたか)金珠(ずず)を、鎗々(さやさや)と推し揉みつ」
→→→「山臥大きに腹を立て柿の衣の露を結んで肩にかけ、澳行く舟に立向って、いらたか誦珠(じゅず)をさらさらと押し揉みて」(『太平記』巻第二)
第五十五回
◎ 犬阪毛野が誕生するまでの話。
「(粟飯原)胤度の妾に、調布といふものあり。有身(みごもり)てより三年経るまで、今もて産の紐を解かず」
→→→『封神演義』。哪吒の誕生秘話。
第五十六回
◎ 宴席へ女田楽の旦開野を呼び込む口上。旦開野のレパートリーを紹介する。
「呪師、侏儒舞、田楽、傀儡子、唐術、品玉、輪鼓、八玉之曲、独相撲に、独双陸……(以下延々と続く)」
→→→『新猿楽記』。
第六十一回
◎ 犬村角太郎が隠棲する返璧の庵の描写。
「秋深けれども、東籬の菊なく、門陕(せま)うして、五株の柳を見ず」
→→→「采菊東籬下 悠然見南山(菊を采る東籬の下、悠然と南山を見る)」(「采菊東籬下」陶淵明)。
【注記】五柳先生は陶淵明の号。自宅に五株の柳を植えた。陶淵明は隠者。
第六十一回
◎ 雛衣くどき。
(雛衣が角太郎へ)「二人が中(仲)は高安の、井筒よりなほ縁(えに)しは深き、ふりわけ髪の初より」
→→→「(男)筒井つの井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざる間に。女、返し、くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ君ならずして誰かあぐべき」(『伊勢物語』第二十三段「筒井筒」)
【注記】子供の頃から井戸の周りで遊んでいた男女。幼い頃から想い合い、上のような歌を詠み合い、念願かなっていっしょになった。何年かすぎ、女の親が死ぬと貧しくなり、男は河内国高安に別の女ができた。だけど妻は不快そうでもなく男を高安へ送り出すのだ。男は不思議に思い、出かけたふりをして隠れて覗くと、女は化粧をしてぼんやり遠くを眺め、あの山を夫はひとりで越えているのか、と歌を詠む。男は妻がいとしくなって河内へ行かなくなった。
この「筒井筒」を元に作られた能『井筒』では、「待つ女」のイメージがさらに強調された。「(在原業平)筒井筒井筒にかけしまろがたけ生いにけりしな妹見ざるまに。(女)くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ君ならずしてだれかあぐべき」
◎ 雛衣くどき。
(雛衣が角太郎へ)「日暮れて誘ふ阿曾沼の、眞菰隠れの紫鴛鴦(おしどり)も」
→→→「日暮るればさそひしものを阿曾沼のまこもかくれの独り寝ぞ憂き」(『沙石集』巻第八 三「鴛の夢に見ゆる事」)
【注記】ある男が狩りに出て鴛の雄を獲って帰った夜、夢を見た。見目麗しいが恨み深い気色で泣いている女が現れて、あなたは私の夫を殺したと言い、上の歌を詠む。翌朝、男が目覚めると、昨日狩った雄と嘴を合わせて雌鳥が死んでいた。
- 作者:松尾 清貴
- 発売日: 2021/03/12
- メディア: 単行本